コラム
社会起業は一般の起業と何が違うのか?
(2009年5月7日メルマガより)
■最近読んだ本の中で印象的だったのが水野俊哉氏の「知っているようで知
らない法則のトリセツ」です。
水野俊哉氏はいわゆる「成功本」というジャンルの本を読みまくって、それ
を紹介するという作業をされている方のようです。
今回の著作は、その数多の成功本を取りまとめて、成功の法則そのものを提
示しようという試みです。
著者なりの「私版成功法則の集大成」といった趣でしょうか。
■一歩間違えば胡散臭いトンデモ本になってしまいそうなんですが、水野氏
のアプローチは、入れ込み過ぎず、他人事過ぎず、いい距離感を保っていま
す。
パクリだらけの成功本の世界で、出典を律儀に記す公正さも好感が持てます。
数多い成功法則を俯瞰して整理し、しかも原典にあたるための索引として役
立つように工夫しています。
■ただ、この本の価値は、やはり水野氏の成功本を集約し、再提示するとい
う「まとめる」力に負うところ大です。
この本の中で、水野氏は多くの成功本が説く成功法則は次のような言葉に集
約できると書いています。
「夢や目標を定め、自己管理しながら周囲の人への感謝を忘れず、ポジティ
ブに行動し続ける。そして、メンターやソウルメイトに出会い、やがて成功
へと至る。」
まさにこれぞ成功法則。実にうまいまとめ方ですねーー
キーワードを抽出すると「夢、目標」「自己管理」「感謝」「ポジティブな
行動」「メンター、ソウルメイト」ということになるでしょうか。
それぞれのキーワードを膨らませていくだけで、成功本の一丁あがりですな^^;
冗談はともかく。こういうまとめ方ができるということは、水野氏の抽象化
と具体化の能力の高さを示していますね。
これを読むと必ず成功しますよとは言いませんが、私としても非常に参考に
なった本でした。
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■週刊ダイヤモンド2009/4/11号は「社会起業家」の特集をやっています。
そういえば、一種のブームになっているようですね。社会起業というものが。
■最初に言うのもなんですが、実は私は、社会起業という言い方に違和感を
覚えています。
一つは、私がたまたま知っている「社会起業家」を名乗る人が、情緒的に世
直しを叫ぶだけの夢想家か、リアルなビジネスが怖いだけの逃避家であった
ことです。
「世の中にいいことをやっているのだから誰かが助けてくれる」「助けよう
としないのは悪い人だ」ちょっと極端ですが、こういう考えが根底にあると
私には見えました。
これって一種の「社会起業選民主義」じゃないですか?
社会起業だと言うことが選民意識を助長しているとすれば、そんな呼び方は
ない方がいいですね。
(ほんの一部の人しか私は知りませんので。偏見に過ぎないとは思いますが)
■そもそも、社会起業と一般の起業にどのような違いがあるというのでしょ
うか?
週刊ダイヤモンドには、30人の社会起業家の事例が載っていますが、殆どは、
社会問題の解決をミッションにしているというものの事業収益で継続するビ
ジネスを志向しています。
目的を社会貢献とすることだけが社会起業であるとすれば、それは通常のビ
ジネスと何ら変わりません。
本来、すべてのビジネスは、社会に役立っていないと継続することはできま
せん。
マーケティングの理念そのものが社会貢献ですから、何を今更、社会起業を
名乗るのだろうと思うわけです。
■まあ、そういった私の立ち位置を明らかにしつつ、私なりに、社会起業
(企業)と一般の企業の違いについて整理したいと思います。
社会起業の定義はまだ無いのかも知れませんが、普通に考えれば「社会問題
の解決をビジネスの仕組みで行うことを志向して起業すること」ということ
でしょうか。
週刊ダイヤモンドには、病気の子供を預かる託児所を運営する事業、父親に
よる子育てを支援する事業、途上国の貧困者が製造した鞄を日本で販売する
事業、中高生のキャリア支援を行う事業、視覚障害者のサッカーを支援する
事業などが掲載されています。
社会問題という抽象的な言葉ですから、内容は千差万別で、人間の数だけ社
会問題があると言っても過言ではない。
これらの問題を寄付やボランティアで解決しようというのが慈善事業の範疇
であるとすれば、ビジネスの仕組みで解決しようというのが、社会起業だと
いうわけです。
(ちなみに営利団体、非営利団体という分け方もありますが、これは、収益
を株主に配当するかどうかの差であって、儲けを出す出さないということを
言っているわけではありません。社会起業もそうでない場合も、営利団体の
形式をとる場合も、非営利の場合もあります)
■週刊ダイヤモンドで田坂広志という方が仰っていましたが、日本はもとも
と「企業は社会の公器」という考え方を持っています。
渋沢榮一や松下幸之助といった有名な企業家の例を引くまでもなく、近江商
人の時代から日本の企業家は社会貢献を究極の目標にしてきました。
戦後の一時期とここ数年、アメリカ型株主至上主義や拝金主義が社会的に認
知されることもありましたが、やはり我々のDNAの中には「社会のために
働くことが、回りまわって自分のためになる」という考え方があるようです。
だから田坂氏の言うように「社会貢献の志を持つ者は誰でも社会起業家だ」
というべきであり、何ら特殊なものではない。
私に言わせれば、マーケティングを行う者は全て社会起業家です。
■現在が社会起業のブームであるとすれば、それは一時期の楽天的な拝金主
義の揺り戻しが来ているということでしょうか。
こういうことはブームになってほしくないですな。
あるいは、資本主義が転換期にあるということの証左の一つなのかも知れま
せん。
ちなみに田坂氏は「人々が給料や役職よりも、働き甲斐や人間的成長を望み
始めている」と言っています。
これは資本主義からの転換を示す一つの現象と言えるかも知れません。
言い換えると、一般の企業に所属していると働き甲斐や人間的成長が望めな
いと考えている若者が増えており、彼らが社会起業という言葉に惹かれてい
るということです。
だとすれば、一般企業のあり方と若者のギャップにこそ大きな「社会的問題」
がありそうですな。。。
思い起こせば、私も「仕事とはよりよい社会を作るための社会的分担である」
という言葉に感銘を受けて独立を思い立ったのですから、企業内にいては理
念を貫くことは難しかったという実感があったのでしょうか。その頃の気持
ちは、忘れてしまいましたが。
私も社会起業家だったんですなー^^;
■実は、ビジネスとして社会起業を見た時、非常に魅力的だと私は感じてい
ます。
まず、多くの社会起業は、起業家自身の問題意識から始まっていることが多
い。身近で明確な問題を対象にしています。
だから、顧客ニーズが絞り込まれていて明確です。「小さな市場を狙え」と
いう原則に側しています。
週刊ダイヤモンドの例で言うと、フローレンスというNPOは、病気の子供
でも預かってほしいと考えている母親をターゲットにして、託児所を運営し
ています。自分の体験から来るビジネスなので切実さがあります。
カタリバというNPOは、自分の将来について真剣に考える機会を学校教育
の中で与えられないでいる中高生に対して、大学生のボランティアが相談相
手になり考える機会を作るという事業を行っています。こちらは学校がコス
ト負担をするビジネスです。
コトバノアトリエというNPOは、夢あって東京に出てきた若者たちに低家
賃住宅を斡旋するビジネスです。このNPOが、理解のある大家さんを見つ
けてきて、漫画家志望の若者たちに紹介するだけではなく、仕事の斡旋や出
版社の紹介までも行っているようです。
いずれも絞られた顧客ニーズから発想したビジネスなので、ピンポイントで、
きめ細かなサービスを展開することができます。
■単純な話、「何かを必要としている人」に「必要な商品・サービス」を提
供することは、ビジネス成立の第一条件です。
「この土地を使って何かしたい」「せっかくこの資格があるのだから活用し
よう」「あの補助金をもらって何かできないかな」こういうシーズからの発
想が入ると、徐々に顧客ニーズを汲み取ることが難しくなっていきます。
その点、社会起業家は、常に顧客側から発想しているので、ビジネスの基本
に忠実で、迷いなく取り組めるといえます。
■ただし、こうしたターゲット顧客に大きなコスト負担を強いるわけにはい
きません。
だから社会起業家の「金銭的報酬よりも働き甲斐」という姿勢が重要です。
小さすぎて通常ならビジネスとして取りこぼしてしまうニーズも、社会起業
なら、期待利益が低くなるので、成立する可能性が高くなります。
いや、儲からないから問題解決を諦めようという発想は社会起業家にはない
はず。お金がないなら、ない中で何とかしようというのが、社会起業家の姿
勢であり真骨頂です。
上のフローレンスやコトバノアトリエなど場所が必要なビジネスも、店舗や
不動産を持たずに、損益分岐点を下げるというやり方を編み出しています。
フローレンスの駒崎弘樹氏など、役所と散々喧嘩をした末に、共済保育とい
う現在の仕組みを作ったようです。
参考「「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方」
このしたたかさは、ビジネスをする全員が見習わなければならないものです
ね。
(なお、実際に社会起業が事業収益だけで成立していることは稀で、今のと
ころは、寄付や補助金を含めて運営しているところが殆どです)
■ターゲット顧客を明確にして、彼らが欲しいと思う商品・サービスをお金
がない中、工夫して提供する。
ここまでは通常のビジネスと同じです。
「何とかして儲けたれ」という邪念が入り込まない分、純粋に顧客に受け入
れられやすい優れたビジネスであると言えます。
■では、何が社会起業と一般の起業を分けるのか?
それは、競争に対する考え方であると私は考えています。
ビジネスが成立するためのもう一つの条件は、競合企業に負けないというこ
とです。
すべての企業が競争に勝って生き残る方法を必死で探しています。
ランチェスター戦略は、競争戦略ですから、まさに敵とどう戦うかを伝える
ものす。
ただ、社会起業(企業)は、基本的に競争という概念を持っていません。
え?そうなの?
と思われるかも知れませんが、そうなんです。
■以前、CS放送である社会起業家あるいは評論家の方(誰だか忘れました)
が、話しているのを聞いたことがあります。
その方によると「社会起業というのは社会問題の解決を目指しているので、
問題が解決すれば事業そのものを止めてしまう」そうです。
確かにそれが理に適っています。
社会起業家が理念を忘れてしまえば、普通の起業よりも性質の悪いものにな
ってしまいますから、それは守っていただかないとだめです。
問題が解決すればやめる。
この部分では、永続的な持続を目指す一般企業と大きく異なります。
同時に競合対策も必要ありません。
なぜなら、他の企業が同じことをやってくれた方が、問題解決に一歩近づく
はずだからです。
だから、多くの社会起業家は、自分のノウハウを公開しています。
同じやり方でどんどん参入してほしい。その方が、問題解決になるはずだか
ら、というわけです。
■競争がサービスの質を上げていくという側面はありますので、切磋琢磨す
ることは必要でしょう。
ただそれはあくまで、仲間として条件を合わせて顧客満足度を競い合うとい
う競争であり、「孫子の兵法」のような騙しあいや謀略で相手を出し抜く競
争ではありません。
一般の企業は社内では情報・ノウハウを共有し、従業員同士の競争の条件を
均一にしようとします。
また一部の業界団体でも、業界内で情報交換し、持っている情報・ノウハウ
の質を同じにしようとします。(やりすぎると談合のような動きになります
が)
これに対して社会起業家は、社会全体で情報・ノウハウを共有し、同じ条件
で競争できるように志向していると言えます。
■社会起業が情報・ノウハウを公開するのは、拡大を志向しないということ
にも関連があるのではないでしょうか。
競争に勝って成長してしまえば、従業員を増やす必要に迫られます。すると
雇用に対する責任が大きくなってしまい企業の存続が存在価値となってしま
います。
成長することは自己矛盾を起こすことにつながるわけです。
■この競争という概念に対する取り組み姿勢が、社会起業(企業)と一般の
起業(企業)の最大の違いであると私は考えています。
その他、企業収益を次の顧客満足のための事業投資に回すという考え方も同
じです。
経営者があまり大きな報酬を得ないというのも、日本の企業では一般的です
から、社会起業とそれほど変わりはないはずです。
違いはほんの少しだということです。
■ですから、戦略、管理、実践における様々な考え方や手法は、社会起業も
一般の起業も同じであり、活用することができます。
ランチェスター戦略における「目標達成の技術」なども、そのまま使えます
ので、ご安心ください^^
■今回は私なりの考えを書きましたが、実際のところどうなんでしょうか。
正直に言って、今は社会起業の黎明期です。
進歩していると言われる欧米においても、社会起業は、一般の企業が取りこ
ぼしたことを拾う補助的な存在です。
多くの社会企業が、一般企業の収益から寄付を受ける形で運営されており、
自立しているとは言えない状況のようです。
資本主義は、競争こそが社会を進歩発展させると考えるシステムですが、そ
のシステムが取りこぼした多くのものを社会起業家と言われる人々が、担お
うとしています。
それは、単に、資本主義というシステムを補完するだけの仕組みなのか。あ
るいは、社会起業(企業)そのものが社会全体を取り込んでいき、ポスト資
本主義社会というものを現出させるのか。
欧米と日本では社会的な背景が違うので、今後、社会起業がどのような展開
を見せるのか分かりません。
我々のDNAに従って、日本全体に社会起業の思想が浸透し、ポスト資本主
義の時代をいち早く到来させるのかも知れません。
あるいは、モラトリアムの若者による一過性のブームとして忘れ去られるの
かも知れません。
単なるブームだとすれば、次にまた揺り戻しが来て、拝金主義が声高に叫ば
れるようになるのでしょうかね。
それはご勘弁願いたいものですが。