コラム
本業がなくなってしまったら
(2007年1月18日メルマガより)
■「トヨタ自動車の車がなくなる、新日本製鐵の鉄がなくなる、それぐらい
の未曾有の事態にある」と言ったのは富士フィルムの古森社長です。
ご承知の通り、業界の枠を超えたデジタル化の波は、写真業界を消滅寸前に
まで追い込んでいます。
これまで衰退の危機を幾度か乗り越えてきた業界の雄“富士写真フィルム”
も、とうとう“写真”を外し、“富士フィルム”と社名を変える羽目になり
ました。
■産業そのものが消滅してしまうことは、実際には珍しいことではありませ
ん。
レコード、ワープロ、ポケベル、ミシン、カセットテープ、機械式時計。
製品に寿命があるように、産業にも寿命があります。デジタルカメラの登場
が、フィルム式カメラを葬り去るのは、時間の問題でした。
■皮肉なことに、古森社長が就任したのは、富士写真フィルムの写真事業の
ピークである2000年頃です。
その頃でさえ、写真フィルムの需要が坂を駆け下るように落ちていくことは、
火を見るより明らかでした。
しかし当時の富士写真フィルムでは「BRICsなどでは成長余地がある」
と希望的観測が幅を利かせていたとか。
実際には、グローバルなデジタル化のスピードは、思った以上に早いものだ
ったのですが。
■こんな事態に当った時、企業はどのように行動すべきなのでしょうか。
最も多いのが、それまでの本業で得たキャッシュで、新たな事業分野に進出
するというものです。
ミシンメーカーだったブラザーは、今ではFAXやプリンターなどの電子機
器メーカーです。
カメラメーカーだったオリンパスは、医療機器のメーカーに。
携帯電話世界トップのノキアは、元は紙パルプのメーカーでした。
このように、産業が死んでも、企業は死ぬわけにはいきませんから、事業転
換をするケースは多いのです。
現在、新たな事業分野を模索中なのが、OSでIT革命をリードしたマイク
ロソフトです。このまま、OSをバージョンアップし続けても、希望はない
というのが“予測された未来”です。
ただ、こちらはキャッシュリッチな会社ですから、いろんなことができそう
です^^
■一方で、コア技術や素材を他事業に転換する(コンセプトの転換)ことで
生きのびる会社もいます。
ナイロンという素材の使い道を次々に見つけ出し、成長を続けるデュポンが
その典型です。
時計を時間を見る道具からファッションに転換したスイスの高級時計メーカ
ーなどもこの類型でしょうか。
富士写真フィルムも、インスタントカメラ衰退の危機を、レンズ付フィルム
(写るんです)という新製品開発で一度は乗り切っています。
■あるいは事業を縮小しながらも、本業を守り続け、希少価値が出るまで耐
え抜くしぶとい会社もあります。
こちらはニッチ需要となるので、中小企業に向いているかも知れません。し
かし、他社が撤退した後では、労せずして寡占状態となり、意外に儲かるビ
ジネスです。
創業何十年、何百年の老舗といわれる企業にはこのタイプが見て取れます。
■話を元に戻します。
富士フィルムは、まず、関連会社である富士ゼロックスを子会社化して売上
を倍近くにしました。
その上で、写真関連事業に対する徹底したリストラを行いました。(5000人
の退職・特約店の廃止)
これは、フィルム業界のナンバーワンとして得たキャッシュがあってこその
施策です。つまり、中途半端な位置づけの会社では生き残ることは難しかっ
ただろうと言えます。
この事例は、デジタル化により産業展開のスピードが速くなった時代に、ナ
ンバーワンをとることの重要性を示しています。
■さらに、古森改革の真骨頂はこれから。
写真事業に変わる成長分野(印刷、医療・ライフサイエンス、電子材料)に
リストラ費用の倍近い3100億円の投資(M&A)を行い利益を上げる事業に
育てました。
つまり、典型的な新事業分野進出を志向したわけです。
現在は、それぞれの投資効率を見ながら、写真事業に変わる第2の柱を探し
ている段階のようです。
■ランチェスター戦略には、新事業に進出する時の戦略として「グー、パー、
チョキ戦略」といわれるものがあります。
名前はベタですが^^;
新事業を始めた当初は、グー、つまり1つの事業に一点集中して貫く。
成長期に入ると、パー、一気に手を広げて売上を稼ぐ。
成熟期に入る頃には、チョキ、広げすぎた部分を削減する。
という分かりやすい戦略です。言い得ているでしょう。
■富士フィルムの場合、どの分野に集中するのかがまだ見えていません。お
そらく、柱だと認定した時点で、一点集中するのだと思われます。
そうじゃないと、手を広げたまま突き進むのは、荷が重過ぎます。この、手
を広げすぎているところが、心配といえば心配な部分です。