コラム
世紀末都市・アキバ
(2010年9月23日メルマガより)
■秋葉原と聞いて何を思い浮かべますか?
私の年代なら、家電街ですね。
大阪にも日本橋という家電関連の店が集積する町がありますが、そのスケー
ルを大きくしたものが秋葉原だと私は考えていました。
今でもその側面はあるのでしょうね。
まともな家電品やパソコンばかりではありません。誰が使うのだろうと思え
るパーツも充実しています。
大阪の日本橋も、一つ筋を奥に入れば、素人には何のためのパーツか検討も
つかない電子部品らしきものが並んでいたりします。
それだけではありません。盗聴器だとか盗撮器だとか、その他、犯罪に使う
んじゃないの?と疑わしい器具も並んでいたりします。
秋葉原に行けば、さらにイカガワシイものが探せば探すほど出てくるのでは
ないですか。想像ですが。
■もう少し年代が下がれば、フィギュアやプラモデル、カードゲーム、同人
誌などのコアなものが集まるいわゆるオタクの聖地という印象があるのでし
ょうか。
あるいは、メイド喫茶やコスプレ関連の店など“萌え”に関連する商品やサ
ービスも、オタクというキーワードの中に括られるのかも知れません。
最近では、AKB48などがメジャーになりましたが、それ以前から、オタ
クの世界だけで知られたアイドルもいたようですね。
私は残念ながら“萌え”関連の話は詳しくありませんが、この世界は奥が深
そうですな。
■今週の週刊ダイヤモンド(2010.9.25)が、秋葉原の特集を組んでいます。
題して「アキバ変態(メタモルフォーゼ)不死身の街 驚異のビジネスモデ
ル」
すごいキャッチコピーですね。
これを読むと、今や秋葉原は、日本を代表する観光地となっているようです。
家電製品を求める中国人観光客はもとより、オタク文化に興味を持つ世界の
人々が、この聖地を訪れているらしい。
「オタクのカリスマ」といわれる岡田斗司夫氏など「もはや、日本から秋葉
原がなくなったら、海外から観光客を呼び込むことなどできまい。」と言っ
ています。
京都や奈良ではありません。今やアキバは日本そのものだというわけです。
■世界中どこを探しても、秋葉原のような町はない。そう言われています。
猥雑で混沌として、かつ最先端で実用的。
後ろめたく、いかがわしく、セクシーで、かつリアルである。
どうしてこのような町が出来上がったのか。
秋葉原の歴史に、その形成を説く鍵があるようです。
■現在の秋葉原の源流は、戦後に出来た闇市にあるようです。
東京の下町に散在していたラジオや無線関連の部品を扱うメーカーや問屋が、
戦後に闇市として集まりました。
日本に出来た多くの闇市は、GHQの手によって一掃されてしまいますが、
ラジオ関連の複数店舗が、代替地として得た場所が、秋葉原駅近くのガード
下でした。
だから、アキバは、闇市の精神をそのまま引き継いでいることになります。
現在のアキバが持つ猥雑で何でもありというエネルギーが、その雰囲気を今
に伝えるものなのでしょう。
高度成長期には、家電の町として発展した秋葉原は、20世紀の終わりにはパ
ソコン関連商品の町に姿を変えていきます。
それは闇市の頃に持っていた、最新の、かつマニアックなテクノロジーへの
志向が当然に帰結するところだったのでしょう。
■ところが、21世紀に入って、パソコンブームが一段落ついた頃からオタク
の聖地としての姿を一気に顕在化していきます。
以下は私の推察ですが、それまで裏側に隠れていたものがその時期に表に出
ざるを得なかったのではないか。
最新のテクノロジーやサービスには、セックスに結びつく側面が必ずあるも
のです。
テレビやビデオに則するアダルトビデオの発展や、パソコンやインターネッ
トに則するエロゲームや出会い系の発展などです。むしろ、セックス産業が
最新テクノロジーの普及を牽引しているという向きもあります。
そうした猥雑で後ろめたい産業やサービスは、最新テクノロジーの裏側に隠
れていることが多いのですが、パソコンブームの終焉で危機に陥った秋葉原
で、堅調だったセックスに関わる産業が、目立ってしまった。
具体的には美少女をテーマにしたゲームなどです。
ここで重要なのは、こうしたゲームには、セックスをむき出しにしたものも
多いのですが、むしろ、それを覆い隠し“萌え”という言葉に収まるような
節度のものが喜ばれていたことです。
むき出しのセックスは、健全なビジネスとして展開しにくいが、“萌え”レ
ベルならば、昼間に堂々と営業できます。
かくして、闇市のしたたかなビジネスセンスを持つ人々が、フィギュア、同
人誌、メイド関連グッズ、コスプレ関連グッズなどをメインストリートで営
業するようになり、世界に冠たるアキバが誕生したというわけです。
■そんなアキバの特性をうまく捉えて作られたアイドルユニットが、ご存知
AKB48です。
このアイドルグループの成り立ちについては、結構、あちこちのビジネス誌
が採り上げていますね。
私の思うところ、AKB48の最大の特徴は、秋葉原に行けば必ず会えると
いう絶妙な「アナログさ」です。
それはアキバに行けば、そこにしかない何かがあるという闇市風の「アナロ
グさ」に通じるものです。
欠点をあえて晒す。ミスしたら謝る。学校行事があれば休んでもいい。こ
うした手法はアナログさの提示につながっているようです。
逆に言えば、私などは、こうした情報が記号にしか見えませんから、臨場感
をもって捉えられないんでしょうね。
■週刊ダイヤモンドでは、TO(トップ・オタ)と呼ばれるコアなファンが、
AKB48のメジャー化を熱心に応援したと書かれています。
従来、最先端のファンは、自分の応援するアイドルは、自分だけのものにし
ておきたいと考えるものでした。
ところが、AKB48は、秋葉原の小屋をメインステージとしているので、
いくらメジャーになっても、巣立つということがありません。これなら、い
くらでも応援する気になります。
ファンの投票でフロントに並ぶメンバーを決めるという方式が話題になりま
したが、贔屓のアイドルとファンが一体になって競争するというホストクラ
ブの手法を取り入れたものではないでしょうか。
アナログ参加型アイドルユニット。これを実現してしまったわけですね。さ
すが秋元康ですな。
■ちなみにアキバでは、さっきまでステージで歌っていたアイドルが、BA
Rで酒の相手をしてくれるサービスも登場しているようです。
さすが何でもありですな。きっとまだまだアイデアは出てきますよ。
■AKB48は、フォーマット化して世界にビジネス展開しようとしている
そうですね。
ニューヨーク48とか北京48とか。
その前に名古屋や大阪でも同じようなユニットを作るそうですが。
成功するかどうかは分かりませんが、アキバのような強いカオスを持たない
都市で、似たコンセプトのアイドルユニットが育つのかどうかが心配です。
後は、世界展開した際、アナログさが消えてしまうのではないかという懸念
もあります。
フォーマットが世界展開されてしまえば、それは自分たちが育てるアイドル
ではなく、規格化されたアイドルというデジタルさに取って代わられるので
はないか。
結局、私の捉え方からすれば、成功は危ういということになります。
■ところで、アキバを支えるオタクってどういう人たちでしょうか。
岡田斗司夫氏は「リスクとダメージ」を忌み嫌う人。「生まれて初めてした
徹夜でいい成績がとれなかったら、それを挫折と呼んで、一生勉強しない人
たち」だと言っています。
その人たちって、要するに、高度成長期に健全だといわた理想像のアンチテ
ーゼではないか、と私には思えます。
私は古い世代ですから「成長、挑戦、努力、目的達成」こういったものに価
値を置いています。
ところが、そんな価値観を胡散臭いと感じ「成長なんてしなくていい、挫折
はいや、短絡的でいい、無為自然がいい」と思う人たちが増えてきてもおか
しくない。
なぜなら、我々の世代が支えてきた社会が、動脈硬化を起こしてしまい様々
な歪みを露呈しているから。
日本の成長期の恩恵を受けていないと感じる人たちが、先の世代の価値観を
せせら笑ったとしても不思議ではない。むしろ、自然なことに思えます。
オタクと呼ばれる人たちの精神は、そういうところにあるのではないか。と
これは私の勝手な推察なのですが、そう思う次第です。
■ただし、徹底したアンチテーゼではありません。
「悪霊」に登場するスタヴローギンやキリーロフのような徹底した悪やニヒ
リストではありません。
アンチ巨人ファンが結局は巨人ファンの1形態であるように、徹底したアン
チテーゼは、テーゼを補完する存在になってしまいます。
むしろ、徹底しないテーゼ。ゆるーい同意や反抗。
つまり、時に努力する気になったり、社会貢献する気になったり、こだわっ
てみたり、反省したりする。しかし、貫徹することなしに、途中で投げ出す
ことを自らに許してしまう。
うーーーん、何のことはない。ヘタレな自分のことですね。
まさにこうした心性が、従来の価値に最もダメージを与えます。
そして、そのような私たちをひきつけ、受け入れるのが、アキバという場所
なのではないか。
なぜなら、そこは何でもありのカオスだからです。
岡田氏は、オタクと呼ばれる若者の増加は、先進国に共通の現象であるから
「秋葉原は世界から集客する力をますます強くする」と言っています。
つまりアキバは、世界で最も早く世紀末を迎えた都市だということです。