黒澤明はなぜ世界進出に失敗したのか?
(2008年4月24日メルマガより)
■私は元来無趣味な方ですが、敢えて言えば、映画を観るのが好きです。
今は時間の関係であまり観れてはいませんが、学生時代から30代ぐらいまで
は、よく観たもんです。
学生時代には、古い映画を名画座へ観にいったりしました。「時計じかけの
オレンジ」と「地獄に堕ちた勇者ども」の2本立てなんて、気が狂いそうに
なりましたね^^;
よくもまあ、時間があったんだな~と思います^^
■映画が好きだというと「今までで一番面白かった映画は何ですか?」とい
う質問をよくされました。
困った質問です^^;
映画なんていくらでもあるし、面白さも千差万別です。そもそも面白いとい
う言葉自体が曖昧です。
悲しいのも面白い。怖いのも面白い。感動するのも面白い。
基準の違う面白さを一緒くたにして、一番面白いのは?なんて聞かれても、
答えようがない。
プロレスと空手と柔道と相撲を並べて「一番強いのは?」なんて聞いている
ようなもんでっせ。
■ただし私に関する限り、その質問には瞬時に答えられます。
私にとって、今まで一番面白い映画は、疑いようがないほど明瞭です。これ
は恐らく生涯変わることはないでしょう。
その映画とは、黒澤明監督の「七人の侍」です。
この先、これ以上、面白い映画はないと信じています。
特に、アクションを主体にした映画で「七人の侍」を超えるものを作ること
が可能だとは考えられません。
断言します。
黒澤明の「七人の侍」こそ世界映画の史上最高傑作です。
この映画を観た人で、異論を持つ人は少ないのではないでしょうか。
■始めてこの映画を観たのが、テレビやビデオではなく、リバイバル・ロー
ドショーの大画面だったことは幸運でした。(確か高校生ぐらいではなかっ
たでしょうかね)
それ以来、私は、この映画のことを疑ったことはありません。
それぐらい衝撃的な映画体験でした。
■この映画が上梓されたのは1954年です。まさに戦後10年を控え日本が高度
成長期に差しかかろうとエネルギーを充満させつつある時期にあたります。
映画界においては、溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男といった世界的に有
名な巨匠たちがしのぎを削っていた時代です。
日本映画は世界中からお手本とされ、尊敬を集めていました。その頂点を極
めたのが、この作品です。
■黒澤明は、1910年生まれ。26歳で映画の世界に身を投じ、助監督をしなが
ら、まずは脚本の名手として鳴らします。
1943年「姿三四郎」で監督デビュー。いきなり大ヒットを飛ばします。
1946年「わが青春に悔いなし」、1948年「酔いどれ天使」、1949年「野良犬」
などで名声を高め、1950年には「羅生門」がベネチア国際映画祭でグランプ
リを受賞。世界にその名を知られるようになります。
1952年「生きる」、1954年「七人の侍」、1955年「生きものの記録」、1957
年「どん底」「蜘蛛巣城」、1958年「隠し砦の三悪人」、1960年「悪い奴ほ
どよく眠る」、1961年「用心棒」、1962年「椿三十郎」、1963年「天国と地
獄」、1965年「赤ひげ」と精力的に傑作・名作を生み出していきました。
このあたりのバイタリティとクオリティの高さは驚異的です。
■伝説によれば、ジョン・フォードの西部劇映画(「駅馬車」など)に触発
された黒澤明が「おれも馬を撮りたい」と言い出したのが、「七人の侍」の
出発点だったとか。
「黒澤明が西部劇を作る!」
噂は映画界を駆け巡り、プロジェクトはいつの間にか、巨大なものになって
いました。
図らずも、日本映画のエネルギーが頂点を迎えていた時代です。そのパワー
と、黒澤明という不出世の天才のキャリアがピークで結びつき、相乗効果を
生んだ極めて幸運な作品が、この「七人の侍」です。
この映画のスピード感・躍動感、物語の納得性、人物造詣の巧みさ、映像構
図の絵画のような美しさ、群集シーンの大迫力は類を見ません。
ことにラスト20分にわたる侍と野武士と百姓たちが入り乱れた雨中の死闘は、
凄まじいとしか言いようがありません。
どれほど映画の技術が発達しようとも、このシーンを超える迫力を出すこと
は不可能だと私は思います。
恐るべき迫力の集団シーンが凄まじいスピードで展開し、しかも何の矛盾も
感じさせることがないのです。(普通、パニックシーンには、小さな矛盾が
いくつか生じるものですが...)
この群集の動きを統率し、描ききった黒澤明の演出力が、どれほど強大なも
のだったかが推し量れます。
この映画は、全盛期の天才・黒澤明にしか撮れなかったものでしょう。
■黒澤映画は世界中の映画に影響を与えたと言われています。
「羅生門」は、ヨーロッパの映画関係者に異常な衝撃を与え「ラショウモン・
ショック」という言葉ができたほどです。
「蜘蛛巣城」は、イギリスでは、シェイクスピア映画の最高傑作と評価され
ています。
「生きる」はアジアの映画人に広く受け入れられ、インドでは10以上のリメ
イク版が無許可で作られたといいます。
「用心棒」「椿三十郎」などの娯楽時代劇は、本場の西部劇に多大な影響を
与えています。特にマカロニウェスタンの傑作「荒野の用心棒」は、盗作騒
ぎにまで発展しました。
ジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」が、「隠し砦の三悪人」を
下書きにしていることは有名な話です。
そのジョージ・ルーカスは「天国と地獄」をサスペンス映画の史上最高傑作
と呼びました。
そして「七人の侍」は、映画史上の最高傑作として、多くの映画人が推して
います。
クロサワの前にクロサワなし、クロサワの後にクロサワなし、というのが、
黒澤明という存在なのです。
■そんな黒澤明も日本では賛否両論があるのは確かです。
さすがに、その才能に疑いを持つ者はいませんが、「天皇」とまで言われた
傲慢な態度が、いくつかの反発を招いたようです。
もっとも、黒澤明が本当に傲慢な人物だったのか、今となっては真実は分か
りません。
純粋に映画づくりに妥協を許さぬ完璧主義が、傲慢だと受け取られたのかも
知れません。あるいは、本当に一時期、才能に奢っていたのかも知れません。
ただ、制作会社である東宝と徐々に関係をこじらせていったのは事実のよう
です。
■というのも、黒澤映画に予算超過はつきもののようになっていったのです。
脚本にこだわり、俳優の演技にこだわり、音響にこだわり、小道具にこだわ
り、背景にこだわり、ロケの天候にこだわり、編集にこだわる。
映画に関する限り、妥協するということがないので、撮影は遅れに遅れ、予
算は超過どころか倍増することもありました。
確かに名作を作り、観客も呼べる。結果として東宝が損をすることはないの
ですが、それをいいことに要求はエスカレートしていったようです。
これでは暴走と受け取られても仕方ありません。
撮影に1年かけるというやりたい放題の映画「赤ひげ」以降、黒澤明と東宝
は決別状態になってしまいます。
■もっとも黒澤明ほどの才能をハリウッドが放っておくはずがありません。
それまでも、何度かオファーを受けていたようです。
また黒澤側も東宝との関係悪化を受けて、資金力の豊富なハリウッド映画に
興味を持つことは自然な流れだったのでしょう。
黒澤明のハリウッド進出は、両者の思惑が一致した相思相愛のビジネスだっ
たのです。
■黒澤監督のハリウッド進出第1作は「暴走機関車」になるはずでした。
これは止まることができない機関車を舞台にしたスペクタクル映画で、全編
アクションとサスペンスに満ちた純粋なエンターテイメント作品です。
既に、主演にピーター・フォークとヘンリー・フォンダが決まっており、ま
さにヒットが約束された大型企画です。
ところがその企画は、いつの間にか無期限延期となりました。
次に持ち込まれたのは、20世紀フォックス社が総力を上げた大作映画「トラ・
トラ・トラ」です。
これは日米開戦の緒戦である真珠湾攻撃を日米両方の立場から描いた戦争映
画で、黒澤明には日本側のパートを演出してもらおうというオファーでした。
ところが、この映画に至っては、撮影途中で監督が交代するという事態に至
ります。
一体、何があったというのでしょうか?
■実はこのあたりの真相ははっきりとしません。
黒澤明は、この件についてあまり多くを語りませんでしたし、周りの人間も
これら一連の出来事についてはタブーのようにしていましたから。
ただいくつかの情報から類推することはできます。
今に残る「暴走機関車」のシナリオは、サスペンスに満ちた面白い作品のよ
うです。脚本の名手黒澤明の面目躍如といったところでしょうか。
(1985年に別の監督によって映画化されますが、サスペンス色が相当薄まっ
た作品となっていました)
ハリウッドのプロデューサーもそれを認め、プロジェクトを発進させたわけ
ですが、脚本を英語に直す時点で壁にあたったようです。
これは単に、黒澤明が英語を書けないという問題ではありません。
例えば「このシーンは具体的にどのように撮るんだ?」というプロデューサ
ーの問いに「細かいことは後に決める。おれに任せてくれ」
「脚本が長すぎる。時間を削って欲しい」という要求には「編集で削ってい
って、丁度いい長さにする。おれを信じてくれ」
という調子だったそうです。
これは黒澤明が自分の作品を作る過程を端的に表しています。彼は、自分の
頭の中で映画を組み立て、現場で修正を加えながら、自分の思い通りに作り
上げていく監督なのです。
極端な話、完成した映画のイメージは黒澤明の中だけにしかなく、誰もそれ
を知ることができない。
天才・黒澤明に任せていれば、いいものができるというスタイルです。
東宝の仕事では、相当程度裁量を任されていたので、そのスタイルが機能し
て、名作を次々を生み出すことができました。
ただ、このやり方の負の面である「コスト管理の困難」が最後には、両者の
決別をもたらします。
それなのに、万事に合理性を追求するハリウッドのシステムが、黒澤明のや
り方を受け入れるはずがありません。
あるシーンをどのように撮るか具体的に決まっていなければ、費用がどれぐ
らいかかるか判断できません。
最後には削る"使わない"シーンばかり撮られては、コストが跳ね上がって
しまいます。
プロデューサーが、それを認めることはなかったのです。
■ハリウッド映画に資金が潤沢にあることは確かです。
しかし、それを無軌道に使い放題というわけではありません。
当然のことながら、資金の使い方には合理性が求められます。
思えば、ランチェスター戦略の構築も、田岡信夫先生が「合理的なアメリカ
軍が単なる物量作戦を展開したわけはない。軍を展開するための法則がある
はずだ」と考えたことから始まっています。
出来上がった大作映画だけを観て「お金をいっぱい使えていいなーー」とい
う単純なものでないことは確かです。
■「トラ・トラ・トラ」は、真珠湾攻撃のスペクタクルを前面に出し、そこ
に日米開戦に至る歴史の裏側を交えたエンターテイメント大作です。
黒澤監督に対するオファーは、あくまで日本側のパートの演出でした。
ところが黒澤明は「運命に翻弄された人間の悲劇を撮る」という意気込みで、
作品全体の脚本を作っています。
ハリウッド側がその脚本の素晴らしさを認め、採用したために、黒澤明は
「自分の思い通りの映画が撮れる」と思ってしまったのかも知れません。
ここでも撮影方針、スケジュール、予算をめぐって、相当のやりとりがあっ
たようです。
それに、アメリカ側のパートをとる監督が意に沿わない人物だったとかで、
まともな打ち合わせを拒否したりしています。(「黒澤明vsハリウッド」
による)
この映画は撮影開始にまでこぎつけます。しかし、黒澤明のモチベーション
は低く、続けられる状態ではなかったようです。
様々なトラブルが続いて撮影は進まず、黒澤明は降板させられます。
黒澤明の心労は多大で、2年後、自殺未遂事件を起こします。
■私も黒澤明監督の大ファンとして心苦しい限りなのですが、経営コンサル
タントの視点で見る限り、この事態は避けられぬものだったと言わざるを得
ません。
一説には、黒澤明の「芸術至上主義」とハリウッドの「拝金主義」が馴染め
なかったと言われていますが、それは偏った見方でしょう。
ビジネスの基本は「安く作って、高く売る」ことです。あらゆる企業は、ど
のようにして安く作り(仕入れ)、どのようにして高く売るかに知恵を絞り、
しのぎを削っています。
ただ安く上げればいいというものではない。安物は、顧客満足度が低く、高
く売ることなどできません。
したがって、顧客満足に直結する部分にはお金をかけて、しない部分は削る
というのがビジネスのコツとなります。
限られたコストをどのように使うかによって、企業は生き、死んでいくのです。
噂によると、黒澤監督は、細部にものすごくこだわった監督だったそうです。
武士の具足の結び目が時代考証を経たものでなければ納得せず、撮影を中止
したそうです。
「トラ・トラ・トラ」の撮影時には、お見舞いシーンに使う手紙の中身が別
のやくざ映画に使われた果たし状だったということで激怒し、その日の撮影
を取りやめたそうです。
こうした黒澤監督の完全主義が、日本映画の見えない力を底上げしていった
側面は確かにあることでしょう。
ただ、画面に映らない手紙の中身のことで撮影を中止するのは、非合理だと
言われても仕方ありません。
明らかにオーバースペックです。
■日本の製造技術は世界一であると言われます。
特にデバイスの分野では、他の追随を許さぬ強さを誇っています。
それを支えているのが、多くの町工場の積み上げてきた製造ノウハウです。
ただ、多くの部品製造業の中でも、淘汰されるものと生き残るものがあるの
は、マーケティング戦略とコスト管理の差によるところが大きいと思われます。
「いいものを作れば分かってくれる」という考えはとうの昔に通用しなくな
っています。
過剰品質は、ビジネスにとって悪なのです。
それを理解しないと、グローバル市場では戦っていけません。
■今日の話は、つらいですね。。。
私は営業コンサルタントとして、カリスマ営業マンを否定しています。
その営業マンの能力が高い低いに関わらず、自信過剰で、自分には特別ルー
ルが適用されると考えるような人材は、チームにとって害悪です。
そのような人材がもしいたならば、迷わず営業から外さなければなりません。
できるなら辞めさせるべきでしょう。
だけど、それが黒澤明ほどの真の天才ならば...
■ハリウッド側にも、東宝にも、黒澤ほどの才能を活かす他の方法がなかっ
たものでしょうか。
また黒澤も、グローバルな映画づくりのシステムを理解し、自分の才能を活
かす方法を試すことができなかったのでしょうか。
残念ながら、黒澤明が監督として復帰したのは、「赤ひげ」から5年後の
1970年「どですかでん」でしたが、全盛期のエネルギーを見ることはできま
せんでした。
最も気力の充実していた時期の空白の5年は何とも惜しいと思わざるを得ま
せん。
■しかし、だからといって、黒澤明の業績と天才が何ら色あせるものではあ
りません。
黒澤明よ永遠なれ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■日本で怪物と言われた松坂大輔もメジャーリーグでは苦しんでいます。
といって実力が足りないとは思えません。
元来、尻上がりに調子を上げ、いつの間にか完投している怪物ぶりが、10
0球で交代させるメジャーのシステムの中では十分に発揮されないのです。
■松坂が、それに文句を言うことはありません。
ルールやシステムの中で力を発揮してこその才能であることを野茂やイチロ
ーらの先達が示してきたからです。
■日本の映画監督で、ハリウッドで成功した例を聞いたことがありません。
実力がないわけではない。
まだシステムに適応する者が現れないだけだと思います。
いつかはクロサワの無念を晴らす者が現れることを願っています。
(2008年4月24日メルマガより)
■私は元来無趣味な方ですが、敢えて言えば、映画を観るのが好きです。
今は時間の関係であまり観れてはいませんが、学生時代から30代ぐらいまで
は、よく観たもんです。
学生時代には、古い映画を名画座へ観にいったりしました。「時計じかけの
オレンジ」と「地獄に堕ちた勇者ども」の2本立てなんて、気が狂いそうに
なりましたね^^;
よくもまあ、時間があったんだな~と思います^^
■映画が好きだというと「今までで一番面白かった映画は何ですか?」とい
う質問をよくされました。
困った質問です^^;
映画なんていくらでもあるし、面白さも千差万別です。そもそも面白いとい
う言葉自体が曖昧です。
悲しいのも面白い。怖いのも面白い。感動するのも面白い。
基準の違う面白さを一緒くたにして、一番面白いのは?なんて聞かれても、
答えようがない。
プロレスと空手と柔道と相撲を並べて「一番強いのは?」なんて聞いている
ようなもんでっせ。
■ただし私に関する限り、その質問には瞬時に答えられます。
私にとって、今まで一番面白い映画は、疑いようがないほど明瞭です。これ
は恐らく生涯変わることはないでしょう。
その映画とは、黒澤明監督の「七人の侍」です。
この先、これ以上、面白い映画はないと信じています。
特に、アクションを主体にした映画で「七人の侍」を超えるものを作ること
が可能だとは考えられません。
断言します。
黒澤明の「七人の侍」こそ世界映画の史上最高傑作です。
この映画を観た人で、異論を持つ人は少ないのではないでしょうか。
■始めてこの映画を観たのが、テレビやビデオではなく、リバイバル・ロー
ドショーの大画面だったことは幸運でした。(確か高校生ぐらいではなかっ
たでしょうかね)
それ以来、私は、この映画のことを疑ったことはありません。
それぐらい衝撃的な映画体験でした。
■この映画が上梓されたのは1954年です。まさに戦後10年を控え日本が高度
成長期に差しかかろうとエネルギーを充満させつつある時期にあたります。
映画界においては、溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男といった世界的に有
名な巨匠たちがしのぎを削っていた時代です。
日本映画は世界中からお手本とされ、尊敬を集めていました。その頂点を極
めたのが、この作品です。
■黒澤明は、1910年生まれ。26歳で映画の世界に身を投じ、助監督をしなが
ら、まずは脚本の名手として鳴らします。
1943年「姿三四郎」で監督デビュー。いきなり大ヒットを飛ばします。
1946年「わが青春に悔いなし」、1948年「酔いどれ天使」、1949年「野良犬」
などで名声を高め、1950年には「羅生門」がベネチア国際映画祭でグランプ
リを受賞。世界にその名を知られるようになります。
1952年「生きる」、1954年「七人の侍」、1955年「生きものの記録」、1957
年「どん底」「蜘蛛巣城」、1958年「隠し砦の三悪人」、1960年「悪い奴ほ
どよく眠る」、1961年「用心棒」、1962年「椿三十郎」、1963年「天国と地
獄」、1965年「赤ひげ」と精力的に傑作・名作を生み出していきました。
このあたりのバイタリティとクオリティの高さは驚異的です。
■伝説によれば、ジョン・フォードの西部劇映画(「駅馬車」など)に触発
された黒澤明が「おれも馬を撮りたい」と言い出したのが、「七人の侍」の
出発点だったとか。
「黒澤明が西部劇を作る!」
噂は映画界を駆け巡り、プロジェクトはいつの間にか、巨大なものになって
いました。
図らずも、日本映画のエネルギーが頂点を迎えていた時代です。そのパワー
と、黒澤明という不出世の天才のキャリアがピークで結びつき、相乗効果を
生んだ極めて幸運な作品が、この「七人の侍」です。
この映画のスピード感・躍動感、物語の納得性、人物造詣の巧みさ、映像構
図の絵画のような美しさ、群集シーンの大迫力は類を見ません。
ことにラスト20分にわたる侍と野武士と百姓たちが入り乱れた雨中の死闘は、
凄まじいとしか言いようがありません。
どれほど映画の技術が発達しようとも、このシーンを超える迫力を出すこと
は不可能だと私は思います。
恐るべき迫力の集団シーンが凄まじいスピードで展開し、しかも何の矛盾も
感じさせることがないのです。(普通、パニックシーンには、小さな矛盾が
いくつか生じるものですが...)
この群集の動きを統率し、描ききった黒澤明の演出力が、どれほど強大なも
のだったかが推し量れます。
この映画は、全盛期の天才・黒澤明にしか撮れなかったものでしょう。
■黒澤映画は世界中の映画に影響を与えたと言われています。
「羅生門」は、ヨーロッパの映画関係者に異常な衝撃を与え「ラショウモン・
ショック」という言葉ができたほどです。
「蜘蛛巣城」は、イギリスでは、シェイクスピア映画の最高傑作と評価され
ています。
「生きる」はアジアの映画人に広く受け入れられ、インドでは10以上のリメ
イク版が無許可で作られたといいます。
「用心棒」「椿三十郎」などの娯楽時代劇は、本場の西部劇に多大な影響を
与えています。特にマカロニウェスタンの傑作「荒野の用心棒」は、盗作騒
ぎにまで発展しました。
ジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」が、「隠し砦の三悪人」を
下書きにしていることは有名な話です。
そのジョージ・ルーカスは「天国と地獄」をサスペンス映画の史上最高傑作
と呼びました。
そして「七人の侍」は、映画史上の最高傑作として、多くの映画人が推して
います。
クロサワの前にクロサワなし、クロサワの後にクロサワなし、というのが、
黒澤明という存在なのです。
■そんな黒澤明も日本では賛否両論があるのは確かです。
さすがに、その才能に疑いを持つ者はいませんが、「天皇」とまで言われた
傲慢な態度が、いくつかの反発を招いたようです。
もっとも、黒澤明が本当に傲慢な人物だったのか、今となっては真実は分か
りません。
純粋に映画づくりに妥協を許さぬ完璧主義が、傲慢だと受け取られたのかも
知れません。あるいは、本当に一時期、才能に奢っていたのかも知れません。
ただ、制作会社である東宝と徐々に関係をこじらせていったのは事実のよう
です。
■というのも、黒澤映画に予算超過はつきもののようになっていったのです。
脚本にこだわり、俳優の演技にこだわり、音響にこだわり、小道具にこだわ
り、背景にこだわり、ロケの天候にこだわり、編集にこだわる。
映画に関する限り、妥協するということがないので、撮影は遅れに遅れ、予
算は超過どころか倍増することもありました。
確かに名作を作り、観客も呼べる。結果として東宝が損をすることはないの
ですが、それをいいことに要求はエスカレートしていったようです。
これでは暴走と受け取られても仕方ありません。
撮影に1年かけるというやりたい放題の映画「赤ひげ」以降、黒澤明と東宝
は決別状態になってしまいます。
■もっとも黒澤明ほどの才能をハリウッドが放っておくはずがありません。
それまでも、何度かオファーを受けていたようです。
また黒澤側も東宝との関係悪化を受けて、資金力の豊富なハリウッド映画に
興味を持つことは自然な流れだったのでしょう。
黒澤明のハリウッド進出は、両者の思惑が一致した相思相愛のビジネスだっ
たのです。
■黒澤監督のハリウッド進出第1作は「暴走機関車」になるはずでした。
これは止まることができない機関車を舞台にしたスペクタクル映画で、全編
アクションとサスペンスに満ちた純粋なエンターテイメント作品です。
既に、主演にピーター・フォークとヘンリー・フォンダが決まっており、ま
さにヒットが約束された大型企画です。
ところがその企画は、いつの間にか無期限延期となりました。
次に持ち込まれたのは、20世紀フォックス社が総力を上げた大作映画「トラ・
トラ・トラ」です。
これは日米開戦の緒戦である真珠湾攻撃を日米両方の立場から描いた戦争映
画で、黒澤明には日本側のパートを演出してもらおうというオファーでした。
ところが、この映画に至っては、撮影途中で監督が交代するという事態に至
ります。
一体、何があったというのでしょうか?
■実はこのあたりの真相ははっきりとしません。
黒澤明は、この件についてあまり多くを語りませんでしたし、周りの人間も
これら一連の出来事についてはタブーのようにしていましたから。
ただいくつかの情報から類推することはできます。
今に残る「暴走機関車」のシナリオは、サスペンスに満ちた面白い作品のよ
うです。脚本の名手黒澤明の面目躍如といったところでしょうか。
(1985年に別の監督によって映画化されますが、サスペンス色が相当薄まっ
た作品となっていました)
ハリウッドのプロデューサーもそれを認め、プロジェクトを発進させたわけ
ですが、脚本を英語に直す時点で壁にあたったようです。
これは単に、黒澤明が英語を書けないという問題ではありません。
例えば「このシーンは具体的にどのように撮るんだ?」というプロデューサ
ーの問いに「細かいことは後に決める。おれに任せてくれ」
「脚本が長すぎる。時間を削って欲しい」という要求には「編集で削ってい
って、丁度いい長さにする。おれを信じてくれ」
という調子だったそうです。
これは黒澤明が自分の作品を作る過程を端的に表しています。彼は、自分の
頭の中で映画を組み立て、現場で修正を加えながら、自分の思い通りに作り
上げていく監督なのです。
極端な話、完成した映画のイメージは黒澤明の中だけにしかなく、誰もそれ
を知ることができない。
天才・黒澤明に任せていれば、いいものができるというスタイルです。
東宝の仕事では、相当程度裁量を任されていたので、そのスタイルが機能し
て、名作を次々を生み出すことができました。
ただ、このやり方の負の面である「コスト管理の困難」が最後には、両者の
決別をもたらします。
それなのに、万事に合理性を追求するハリウッドのシステムが、黒澤明のや
り方を受け入れるはずがありません。
あるシーンをどのように撮るか具体的に決まっていなければ、費用がどれぐ
らいかかるか判断できません。
最後には削る"使わない"シーンばかり撮られては、コストが跳ね上がって
しまいます。
プロデューサーが、それを認めることはなかったのです。
■ハリウッド映画に資金が潤沢にあることは確かです。
しかし、それを無軌道に使い放題というわけではありません。
当然のことながら、資金の使い方には合理性が求められます。
思えば、ランチェスター戦略の構築も、田岡信夫先生が「合理的なアメリカ
軍が単なる物量作戦を展開したわけはない。軍を展開するための法則がある
はずだ」と考えたことから始まっています。
出来上がった大作映画だけを観て「お金をいっぱい使えていいなーー」とい
う単純なものでないことは確かです。
■「トラ・トラ・トラ」は、真珠湾攻撃のスペクタクルを前面に出し、そこ
に日米開戦に至る歴史の裏側を交えたエンターテイメント大作です。
黒澤監督に対するオファーは、あくまで日本側のパートの演出でした。
ところが黒澤明は「運命に翻弄された人間の悲劇を撮る」という意気込みで、
作品全体の脚本を作っています。
ハリウッド側がその脚本の素晴らしさを認め、採用したために、黒澤明は
「自分の思い通りの映画が撮れる」と思ってしまったのかも知れません。
ここでも撮影方針、スケジュール、予算をめぐって、相当のやりとりがあっ
たようです。
それに、アメリカ側のパートをとる監督が意に沿わない人物だったとかで、
まともな打ち合わせを拒否したりしています。(「黒澤明vsハリウッド」
による)
この映画は撮影開始にまでこぎつけます。しかし、黒澤明のモチベーション
は低く、続けられる状態ではなかったようです。
様々なトラブルが続いて撮影は進まず、黒澤明は降板させられます。
黒澤明の心労は多大で、2年後、自殺未遂事件を起こします。
■私も黒澤明監督の大ファンとして心苦しい限りなのですが、経営コンサル
タントの視点で見る限り、この事態は避けられぬものだったと言わざるを得
ません。
一説には、黒澤明の「芸術至上主義」とハリウッドの「拝金主義」が馴染め
なかったと言われていますが、それは偏った見方でしょう。
ビジネスの基本は「安く作って、高く売る」ことです。あらゆる企業は、ど
のようにして安く作り(仕入れ)、どのようにして高く売るかに知恵を絞り、
しのぎを削っています。
ただ安く上げればいいというものではない。安物は、顧客満足度が低く、高
く売ることなどできません。
したがって、顧客満足に直結する部分にはお金をかけて、しない部分は削る
というのがビジネスのコツとなります。
限られたコストをどのように使うかによって、企業は生き、死んでいくのです。
噂によると、黒澤監督は、細部にものすごくこだわった監督だったそうです。
武士の具足の結び目が時代考証を経たものでなければ納得せず、撮影を中止
したそうです。
「トラ・トラ・トラ」の撮影時には、お見舞いシーンに使う手紙の中身が別
のやくざ映画に使われた果たし状だったということで激怒し、その日の撮影
を取りやめたそうです。
こうした黒澤監督の完全主義が、日本映画の見えない力を底上げしていった
側面は確かにあることでしょう。
ただ、画面に映らない手紙の中身のことで撮影を中止するのは、非合理だと
言われても仕方ありません。
明らかにオーバースペックです。
■日本の製造技術は世界一であると言われます。
特にデバイスの分野では、他の追随を許さぬ強さを誇っています。
それを支えているのが、多くの町工場の積み上げてきた製造ノウハウです。
ただ、多くの部品製造業の中でも、淘汰されるものと生き残るものがあるの
は、マーケティング戦略とコスト管理の差によるところが大きいと思われます。
「いいものを作れば分かってくれる」という考えはとうの昔に通用しなくな
っています。
過剰品質は、ビジネスにとって悪なのです。
それを理解しないと、グローバル市場では戦っていけません。
■今日の話は、つらいですね。。。
私は営業コンサルタントとして、カリスマ営業マンを否定しています。
その営業マンの能力が高い低いに関わらず、自信過剰で、自分には特別ルー
ルが適用されると考えるような人材は、チームにとって害悪です。
そのような人材がもしいたならば、迷わず営業から外さなければなりません。
できるなら辞めさせるべきでしょう。
だけど、それが黒澤明ほどの真の天才ならば...
■ハリウッド側にも、東宝にも、黒澤ほどの才能を活かす他の方法がなかっ
たものでしょうか。
また黒澤も、グローバルな映画づくりのシステムを理解し、自分の才能を活
かす方法を試すことができなかったのでしょうか。
残念ながら、黒澤明が監督として復帰したのは、「赤ひげ」から5年後の
1970年「どですかでん」でしたが、全盛期のエネルギーを見ることはできま
せんでした。
最も気力の充実していた時期の空白の5年は何とも惜しいと思わざるを得ま
せん。
■しかし、だからといって、黒澤明の業績と天才が何ら色あせるものではあ
りません。
黒澤明よ永遠なれ。
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■日本で怪物と言われた松坂大輔もメジャーリーグでは苦しんでいます。
といって実力が足りないとは思えません。
元来、尻上がりに調子を上げ、いつの間にか完投している怪物ぶりが、10
0球で交代させるメジャーのシステムの中では十分に発揮されないのです。
■松坂が、それに文句を言うことはありません。
ルールやシステムの中で力を発揮してこその才能であることを野茂やイチロ
ーらの先達が示してきたからです。
■日本の映画監督で、ハリウッドで成功した例を聞いたことがありません。
実力がないわけではない。
まだシステムに適応する者が現れないだけだと思います。
いつかはクロサワの無念を晴らす者が現れることを願っています。
コラム
- 2021.01.07:「鬼滅の刃」大ヒットで復活するソニー「全集中の戦略」
- 2020.12.24:生き残りをかけてもがく家電メーカーたち
- 2020.12.10:ヤマダ電機は、大塚家具の救済よりも、家電産業の復活に取り組め
- 2020.11.26:雑草のようにしたたかなワタミの生き残り戦略
- 2020.11.12:井上尚弥はボクシングの未来を拓くか
- 2020.10.29:出前館vsウーバーイーツ
- 2020.10.15:阪神タイガースはいつまでダメ虎なのか
- 2020.10.01:こんな創業は失敗する
- 2020.09.17:リアル「半沢直樹」 JAL再生は、ドラマよりも奇跡だった
- 2020.09.03:「存在意義」を深く考えない創業は頓挫する
- 2020.08.20:創業の成功確率を上げる5つの要件
- 2020.08.06:米国子会社の破綻は、無印良品の終わりの始まりか?
- 2020.07.23:「論語」は最高の自己啓発書であり、最強の実用書だ
- 2020.07.09:孔子の教えは、なぜ簡単なのに伝えにくいのか?
- 2020.06.25:コロナでも生き残る小さな事業の秘訣
- 2020.06.11:経営者は「貞観政要」を読みなさい
- 2020.05.28:経営者は「君主論」を読みなさい
- 2020.05.14:クロージングがうまくいかない時にこそ、営業の真価が問われる
- 2020.04.30:営業として大成したければ、クロージングでは正攻法を貫け!
- 2020.04.16:営業は基本を学べ。正しい知識を持っていると、経験から正しく学べる。
- 2020.04.02:営業を知らない人ほど怪しげな営業をしてしまうのはなぜか?
- 2020.03.19:プレゼンテーションは、ワンパターンでいい。
- 2020.03.05:「深掘り質問」を制する者は営業を制す
- 2020.02.20:営業は顧客の課題を解決する仕事だ
- 2020.02.06:商談の第一声は営業から発する
- 2020.01.23:「テスト受注」は営業の醍醐味だ!
- 2020.01.09:営業成績が上がらないという人は、顧客訪問してませんね。
- 2019.12.26:とっても簡単な地域営業の始め方
- 2019.12.12:新人営業が自信を持つために最初にすること
- 2019.11.28:創業以来の危機に陥ったアシックスは復活できるのか?
- 2019.11.14:井上尚弥がはじめての苦戦から得たもの
- 2019.10.31:ユニクロ会長が怒る「失われた30年」から抜け出すことはできるのか?
- 2019.10.17:サマンサタバサはなぜ紳士服のコナカに買われたのか?
- 2019.10.03:中小零細企業の大半が不要だと言われてしまう理由
- 2019.09.19:ZOZO身売りに見た前澤氏の限界と可能性
- 2019.09.05:ビアードパパのすごい展開力
- 2019.08.22:マイクロソフトはなぜ比類なき復活を遂げたのか?
- 2019.08.08:空前絶後の幸運に見舞われながらも、それゆえに破滅した男の話。
- 2019.07.25:吉本が、これほどマネジメント能力がないとは驚いた
- 2019.07.11:ネットフリックスは、本気のディズニーに勝てるのか?
- 2019.06.27:ぺんてるとコクヨ またかよ!?と言いたくなるお家騒動がらみの揉め事
- 2019.06.13:驚異の高収益企業キーエンスの理由
- 2019.05.30:井上尚弥が導く異次元のボクシングビジネス
- 2019.05.16:WOWOWをV字回復させたサブスクビジネスの本質
- 2019.05.02:ランチェスター戦略で令和を生き抜く
- 2019.04.18:豊臣秀吉に学ぶ「人を動かす」秘訣
- 2019.04.04:令和のランチェスター戦略
- 2019.03.21:それでも生き残る!小さな会社の生き残り術
- 2019.03.07:少子高齢化と人口減少に直面する日本を破綻させなめに我々がすべきこと
- 2019.02.21:吉野家は過去の栄光を捨て去れるのか
- 2019.02.07:「サブスク」ビジネスの衝撃
- 2019.01.24:島田紳助や大前研一が提唱する成功理論・成功術
- 2019.01.10:平成が終わっても、人生は終わらない
- 2018.12.27:サーモス(THERMOS)V字回復の鍵は「接近戦」にあり
- 2018.12.13:カルロス・ゴーン事件が教える組織の腐り方
- 2018.11.29:RIZAPリバイバルプランは結果にコミットするか
- 2018.11.01:アマゾン・エフェクトに対抗する手段はあるのか
- 2018.10.04:ランチェスター戦略が示す3つのマジックナンバー
- 2018.09.20:ランチェスター戦略の中で、いちばん使えるところを教えます。
- 2018.09.06:ボクシング 井上尚弥にあって、山中慎介になかったもの
- 2018.08.23:川淵三郎はなぜ他のスポーツ団体関係者のようにダークサイドに堕ちないのか?
- 2018.08.09:半周遅れのヤフーによる起死回生の逆転戦略
- 2018.07.26:営業は「準備」が9割!
- 2018.07.12:サッカーW杯日本代表はなぜ躍進したのか?
- 2018.06.28:メルカリが破格の期待を集める5つの理由
- 2018.06.14:楽天が携帯電話事業にいまさら参入する理由
- 2018.05.31:スタジオアリスがさらに成長するための方法
- 2018.05.17:私が出会った優秀なコンサルタント
- 2018.05.03:サーモス(THERMOS)の奇跡はなぜ起きたのか?
- 2018.04.19:ワークマンは第二のユニクロになれるのか?
- 2018.04.05:これから営業職につく若い人に言いたいこと
- 2018.03.22:シリアルアントレプレナー「ブックオフ」「俺の」創業者の成功パターン
- 2018.03.08:サンマルクカフェにわざわざ行く理由があるのか?
- 2018.02.22:小さな事業者が新規開拓で成功する方法
- 2018.02.08:「なんでも酒やカクヤス」にみる局地戦の極意
- 2018.01.25:私が生き残っているのは「弱者の5大戦略」を実践してきたからです。
- 2018.01.11:2018年 君たちはどう生きるか(吉野源三郎や宮崎駿とは関係ありません)
- 2017.12.28:AIの時代に、どのような営業が生き残れるのか?
- 2017.12.14:ナイキもアシックスも「SHOE DOG」だ!
- 2017.11.30:TSUTAYAやDMMはしたたかに生き残っていくだろうが限界もある
- 2017.11.16:「シン・ゴジラ」って途中まで面白いけど、後半グダグダじゃないですか?
- 2017.11.02:織田信長が22年かけてできなかった天下統一を、豊臣秀吉がたった8年でできた理由
- 2017.10.19:電気自動車(EV)の時代に日本企業は生き残れるのか
- 2017.10.05:顧客満足度3年連続1位!ドトールコーヒーが最強か
- 2017.09.21:ヤマダ電機が生き残りを賭けて反攻開始!
- 2017.09.07:ドラッグストアが、コンビニを食い物にしている
- 2017.08.24:国内で敵なしのカルビーの将来が必ずしも明るくない理由
- 2017.08.10:君は内山高志を見たか
- 2017.07.27:金本知憲監督はすべての中間管理職の象徴だ
- 2017.07.13:自然界のランチェスター戦略
- 2017.06.29:回転寿司は群雄割拠の戦国時代に入った
- 2017.06.15:小さな会社のM&Aが日本を救う?
- 2017.06.01:AbemaTVは年間200億円の赤字から脱却できるのか?
- 2017.05.18:大阪・堺の超優良企業シマノは、これからも盤石なのか?
- 2017.05.04:知られざる成長産業 コインランドリー業界はどうなっているのか?
- 2017.04.20:新社会人に贈る「1万時間の法則」
- 2017.04.06:野村克也を超一流のプロ野球人にした3つの力
- 2017.03.23:風林火山を旗印に掲げた武田信玄は、戦略家ではなかったのか?
- 2017.03.09:ラスト・ワンマイルの表と裏をおさえよ
- 2017.02.23:鳥貴族の成長はこのまま∞に続くのか
- 2017.02.09:キングコング西野の絵本「えんとつ町のプペル」はなぜ炎上するほど売れているのか?
- 2017.01.26:アマゾンはどこから来てどこへ行くのか
- 2017.01.12:「孫子」を5つのポイントで整理した
- 2016.12.29:真田幸村はなぜ「日本一の兵」になったのか?
- 2016.12.15:セイコーマート・北の最強コンビニはどのようにできたのか
- 2016.12.01:クリスピー・クリーム・ドーナツの大量閉店は、前向きだったのですね
- 2016.11.17:ジーユーがユニクロを超える時、ファーストリテイリングは世界トップになる
- 2016.11.03:ピコ太郎はなぜ世界を席巻したのか?
- 2016.10.20:地域密着営業って何だろう?
- 2016.10.06:繁盛する居酒屋には、現場営業に必要なヒントが満載だ
- 2016.09.22:天下分け目といわれた関ヶ原の戦いはなぜ半日で決着がついたのか?
- 2016.09.08:「世界の山ちゃん」は世界に届くのか
- 2016.08.25:リオ五輪 男子柔道はなぜ躍進したのか?
- 2016.08.11:ポケモンGOは、何をGOしたのか?
- 2016.07.28:営業は純粋な「技術」であり、誰でも身に着けられるものである
- 2016.07.14:金本を信じよ!
- 2016.06.30:せっかく展示会出展しても成果の出ないやり方をしている企業が多すぎる
- 2016.06.16:小さな会社が生き残る秘訣は「ニッチであること」その他には...
- 2016.06.02:びっくりドンキーは弱者のエネルギーに満ちていた
- 2016.05.19:「同率勝算の規則」に則った唯一の成功法則
- 2016.05.05:レスターに学ぶ「奇跡のチーム」を作る3つの秘訣
- 2016.04.21:世紀のちゃぶ台返し!セブンに何があったのか
- 2016.04.07:新社会人に贈る あなたの人生を豊かにする秘訣
- 2016.03.24:コメダ珈琲店に人気があるのは理由がある
- 2016.03.10:小さくても生き残る「局所的な強者」の作り方
- 2016.02.25:「営業の仕組み」を身に着ければ、目標達成に苦しまなくなる
- 2016.02.11:子供に自慢できる人生を送りたいなら
- 2016.01.28:マクドナルドもスターバックスも日本市場をなめるな!
- 2016.01.14:「孫子の兵法」を企業経営に活かす方法
- 2015.12.31:結果を出す人は、手段を目的化している
- 2015.12.17:廃業寸前の負け犬集団が、常勝軍団に生まれ変わったわけ
- 2015.12.03:なぜ「世界トップ企業」を目指すのか?
- 2015.11.19:初めての著作は、なぜ「小説」になったのか?
- 2015.11.05:戦略は実行させなければ意味がない
- 2015.10.22:世界トップ企業への道は「差別化」が開く
- 2015.10.08:世界トップ企業になるために最初にしなければならないこと
- 2015.09.24:サーモス(THERMOS)はなぜ「廃業寸前」から世界トップ企業になったのか?
- 2015.09.10:営業には3つの役割がある
- 2015.08.27:楽天球団は、新しい野球を見せてくれ!
- 2015.08.13:ユニクロは、無印良品と提携せよ
- 2015.07.23:ノキアと日本電産 東西M&A巧者のやり方
- 2015.07.09:ワクワクする仕事しかやりません。
- 2015.06.25:ライザップはなぜ叩かれるのか?
- 2015.06.11:「けっこういい」よりも「並外れてダメ」がいい
- 2015.05.28:戦略には「感動」が必要だ
- 2015.05.14:「孔子」を学ぶ意味
- 2015.04.30:スカイマークはなぜ優遇されながら破綻したのか?
- 2015.04.16:セブンvsミスド 初戦の判定は
- 2015.04.02:任天堂はもう一度天下をとれるのか
- 2015.03.19:ファミマはセブンに勝てるのか?
- 2015.03.05:大塚家具の父と娘はどちらが正しいのか?
- 2015.02.19:成長しないビジネスのロールモデル
- 2015.02.05:100回勝負に持ち込めば絶対に勝てる
- 2015.01.22:キリンビバレッジは逆転できるのか?
- 2015.01.08:「孫子」を活用するための最大のキーワード
- 2014.12.31:「孫子の兵法」を学ぶ
- 2014.12.25:ハウステンボスはどのようにして再建されたのか?
- 2014.12.11:テラモーターズは、なぜオートバイ市場のトップ企業となったのか?
- 2014.11.27:人を動かすシンプルなメソッド
- 2014.11.13:嫌いな顧客を嫌いだと思わなくなる方法
- 2014.10.30:縄文時代が何年続いたか知ってます?
- 2014.10.02:阪神タイガースはなぜ優勝できないのか?
- 2014.09.18:創業塾でのQ&A
- 2014.08.21:コンビニのアイスクリームはどうなっているのか
- 2014.08.07:創業して10年続く人が持っている3つの資質
- 2014.07.24:私が「孫子」を使う理由
- 2014.07.10:「三国志」の戦いで勝敗が決する要因とは?
- 2014.06.26:「孫子の兵法」でみる2014年ワールドカップ日本代表の戦い
- 2014.06.12:マラドーナはなぜ三流監督で終わったのか?
- 2014.05.29:相性のいい顧客を探す方法
- 2014.05.15:営業が不得意な人は、営業なんてしない方が成果が上がる
- 2014.05.01:GoProは、強者になれるのか
- 2014.04.17:マクドナルドは、マイルドヤンキーを狙え!
- 2014.04.03:売れる仕組みが必要な理由
- 2014.03.20:営業プロセスがなければ組織は動かない
- 2014.03.06:ビジネスの設計図を作ろう
- 2014.02.20:彼を知り己を知れば...
- 2014.02.06:ビジョンは営業チームを一丸にする
- 2014.01.23:楽しくなければ営業じゃない!
- 2014.01.09:私がメルマガを書く「立ち位置」
- 2013.12.26:レゴは、なぜ世界第2位の玩具メーカーに復活したのか?
- 2013.12.12:コトラーに教えらえた初心に戻る
- 2013.11.28:日本のモノづくりを復活させるには
- 2013.11.14:レッドブルが世界で52億本も売れた「何か」
- 2013.10.31:ヤフーはどこに行こうとしているのか?
- 2013.10.17:飛び火マーケティングの時代-GoPro
- 2013.10.03:アップルは普通の企業になってしまった
- 2013.09.19:7年後、日本は巨大な展示会場になる
- 2013.09.05:店舗系ビジネスの弱者の戦略
- 2013.08.22:私がイチローから学ぶ3つのこと
- 2013.08.08:脱・人脈の営業
- 2013.07.25:ソーシャル時代の「真実の瞬間」
- 2013.07.11:統計は最強の営業マネジメントツールである
- 2013.06.27:新興宗教のビジネスモデル
- 2013.06.13:進化する教育システムに乗り遅れるな
- 2013.05.30:お医者さんや弁護士さんの営業戦略
- 2013.05.16:できる営業は、負け方が違う
- 2013.05.02:宮崎駿とスタジオジブリについて
- 2013.04.18:差別化は、マイナスせよ
- 2013.04.04:JAL再生にみる企業変革の王道
- 2013.03.21:第3回WBC終戦記念 がんばれプロ野球
- 2013.03.07:マイケル・ポーターの戦略はもう通用しないのか?
- 2013.02.21:王将の餃子は大阪を跳び出すか?
- 2013.02.07:営業チームマネジメントの第一歩
- 2013.01.24:失速したマクドナルドの次の一手は?
- 2013.01.10:阪神タイガースは暗黒時代に戻っていくのか
- 2012.12.27:衰退市場でトップを張る宝島社の戦略
- 2012.12.13:目標は、顧客総取り!
- 2012.11.29:答えのない問題に取り組めるのか
- 2012.11.15:手っ取り早く実績を上げるには
- 2012.11.01:プロ野球は、名選手しか監督になれないのか?
- 2012.10.18:世界王者が世界に挑戦!
- 2012.10.04:新・携帯電話版三国志
- 2012.09.20:安売りせずに売る方法
- 2012.09.06:脳内のリミットを外せ
- 2012.08.23:儲ける方法をタネ明かしする
- 2012.08.09:もうかるビジネスにはタネがある
- 2012.07.26:ステーキを売るな、○○を売れ!
- 2012.07.12:一流の営業になるために絶対に避けられない道
- 2012.06.28:顧客を創造するということ
- 2012.06.14:ビジネスが成立するための3つの要素
- 2012.05.31:理屈で捉えきれない会社もある
- 2012.05.17:戦術は現状を効率的にする。戦略は現状を破壊する
- 2012.05.03:物語風ビジネス書を読んでみよう
- 2012.04.19:市場価値より企業内価値を高めよう
- 2012.04.05:3つの起業家タイプが注意すること
- 2012.03.22:ソニーはどこへ行った?
- 2012.03.08:利益を上げるための最もシンプルな方法
- 2012.02.23:ランチェスター戦略を営業に活かすたった3つのプロセス
- 2012.02.09:日本の電機メーカーはどうすれば生き残れるのか
- 2012.01.26:心理学はビジネスに生かせるのか
- 2012.01.12:水戸黄門の終焉と大阪都構想
- 2011.12.29:「坂の上の雲」を越えていこう
- 2011.12.15:強い現場を作る方法
- 2011.12.01:なぜ落合博満はブレないのか?
- 2011.11.17:小さなお菓子屋さんが描く大きなストーリー
- 2011.11.03:理屈でメシは食えん!でいいの?
- 2011.10.20:iPhone vs iPhone
- 2011.10.06:本質からはじめよ!
- 2011.09.22:アマゾンにチャレンジ!
- 2011.09.08:さらば、スティーブ・ジョブズ
- 2011.08.25:マフィアにビジネスの極意を聞く
- 2011.08.11:たまにはビジネス小説でも読みましょうか
- 2011.07.28:なぜ我々にはマーケティングが必要なのか?
- 2011.07.14:「いい商品」って何ですか?
- 2011.06.30:カリスマ営業を有難がっても意味ないでしょう
- 2011.06.16:ネスプレッソが売れている理由
- 2011.06.02:孫子、ポーター、ランチェスター
- 2011.05.19:足腰の弱い欧米企業、頭の弱い日本企業
- 2011.05.05:斎藤佑樹はプロ野球で通用するか?
- 2011.04.21:ランチェスター戦略って役に立つの?
- 2011.04.07:温泉旅館を蘇らせるには
- 2011.03.24:弱い人をより弱くするのが戦略なのか
- 2011.03.10:タスク管理と時間管理のツール紹介
- 2011.02.24:プレーヤーからマネージャーへ
- 2011.02.10:110兆円の市場に遅れた日本
- 2011.01.27:物語と希望の深い関係
- 2011.01.13:グーグルVSアップル
- 2010.12.30:面白い戦略ストーリーの作り方
- 2010.12.16:残念な人には戦略がない
- 2010.12.02:理屈のない実行はギャンブルですよ
- 2010.11.18:メイド・カフェの営業プロセス
- 2010.11.04:プロ野球球団運営を成功させるには
- 2010.10.21:勝ちパターンの作り方
- 2010.10.07:たまには「哲学」の話をしよう
- 2010.09.23:世紀末都市・アキバ
- 2010.09.09:コンビニ・オーナーというビジネス
- 2010.08.26:もし現場のオッチャンがポーターを学んだら
- 2010.08.12:坂の上に雲は見えない?
- 2010.07.29:システム思考って何だろう
- 2010.07.15:営業は「点取り屋」ではない!
- 2010.07.01:戦略はストーリーで語れ2
- 2010.06.17:戦略はストーリーで語れ
- 2010.06.03:アップルは本当に最強なのか?
- 2010.05.20:営業生産性を上げる構造とは
- 2010.05.06:女子高生と一緒にドラッカーを学ぼう
- 2010.04.22:勝海舟が坂本龍馬に伝えたもの
- 2010.04.08:人をやる気にさせるにはどうすればいいのか
- 2010.03.25:アップルとユニ・チャーム~変革企業の共通点
- 2010.03.11:無料のビジネスって何だ?
- 2010.02.25:営業に必要な戦略的思考
- 2010.02.11:狩猟民族の構想力に学ぼう
- 2010.01.28:農耕営業のススメ
- 2010.01.14:2010年は日本企業のアジア進出元年になる
- 2009.12.31:2009年の携帯とジーンズと餃子
- 2009.12.17:20歳の頃の自分に読ませたい本
- 2009.12.03:日本茶も海外進出している
- 2009.11.19:ダイソンはなぜ売れたのか?
- 2009.11.05:私の考える効率的な営業とは
- 2009.10.22:島田紳助の研究2
- 2009.10.08:フォロワー企業のゲーム
- 2009.09.24:地域密着企業の営業戦術
- 2009.09.10:地域密着企業の経営方法
- 2009.08.27:マクドナルド 一人勝ちの理由
- 2009.08.13:死せる孔明、生ける仲達を走らす
- 2009.07.30:農業は儲かるのか?
- 2009.07.16:キリン、サントリー、アサヒ、オリオン
- 2009.07.02:戦略2、戦術1の法則
- 2009.06.18:いい顧客、悪い顧客
- 2009.06.04:日本で一番大切にしたい会社の戦略
- 2009.05.21:それぞれの「1万時間」を過ごそう
- 2009.05.07:社会起業は一般の起業と何が違うのか?
- 2009.04.23:もし諸葛孔明が経営顧問だったら
- 2009.04.09:物語の力を知ろう
- 2009.03.26:祝!WBC日本代表優勝
- 2009.03.12:小さな池の大きな魚
- 2009.02.26:農業にチャンスあり
- 2009.02.12:機能と情緒--2つの差別化の方法
- 2009.01.29:営業は結果を追ってはいけない
- 2009.01.15:真似したくてもできない事情がある
- 2009.01.01:欲しいものを作ってくれるビジネス
- 2008.12.18:オール・ザット・競争戦略
- 2008.12.04:ゼロ距離を目指す
- 2008.11.20:10/13の市場でビジネスする
- 2008.11.06:ローカルヒーロー花盛り
- 2008.10.23:いい商品を、いい人から、安い値段で買いたい
- 2008.10.09:経営で必要な知恵はすべて三国志で学んだ
- 2008.09.25:HONDAが空を飛ぶ!
- 2008.09.11:緊急性にフォーカスせよ!
- 2008.08.28:楽天グループ迷走す
- 2008.08.14:エコカー開発競争
- 2008.07.31:儲けるための仕組みを作ろう
- 2008.07.17:「黒船」iPhoneの衝撃
- 2008.07.03:野球は言葉でするもんや
- 2008.06.19:大阪の小さなものづくり企業
- 2008.06.05:事業コンセプトにこだわる
- 2008.04.24:黒澤明はなぜ世界進出に失敗したのか?
- 2008.04.10:スタジオアリスに見る市場特化の行方
- 2008.03.13:山形の洋菓子店がフォーカスしたもの
- 2008.02.28:阪神タイガースは獣王無敵か?
- 2008.02.14:薄型テレビ市場2.0 競争の鍵はブランド力か
- 2008.01.31:アシックスの戦略、ナイキの戦略
- 2008.01.17:「日本一の村」改革に挑戦
- 2008.01.03:マネることは差別化の第一歩
- 2007.12.20:駄菓子屋さんの成功要因
- 2007.12.06:P&Gの戦略-強者はこれだけ有利だ
- 2007.11.22:浪速のグローバル企業
- 2007.11.08:良いモノを作りさえすれば売れるのか
- 2007.10.25:巨人軍の凋落は止められるか?
- 2007.10.11:"志"が歴史を変えた--三国志に寄せて
- 2007.09.27:縮小するアパレル市場で生き残るには
- 2007.09.13:ハンバーガー帝国興亡の行方は
- 2007.08.30:日本製航空機は羽ばたくか
- 2007.08.16:織田信長はなぜ徳川家康に正室と嫡男の処分を命じたのか
- 2007.08.02:中小企業にとって仕組みとは
- 2007.07.19:島田紳助の研究
- 2007.07.05:最強のビジネスモデルとは何か
- 2007.06.21:迷った時は最終ユーザーに聞け
- 2007.06.07:弱者には弱者の販売促進がある
- 2007.05.24:一発逆転を狙ってはいけない
- 2007.05.10:豆腐一丁からビジネスを考える
- 2007.04.26:戦略がなければ生き残れない
- 2007.04.12:飲料業界は激変の予感
- 2007.03.29:経営理念こそ究極の差別化
- 2007.03.27:ホッピーはなぜ復活したのか
- 2007.03.15:引越し業の差別化競争時代
- 2007.03.01:コンビニ 本格競争時代に突入
- 2007.02.15:一人勝ちのワナにはまった松下電器
- 2007.02.01:ワインブームのその後
- 2007.01.18:本業がなくなってしまったら
- 2007.01.04:すべてはデジタル化する
- 2006.12.21:携帯電話版三国志
- 2006.12.07:小さな旅行会社の成功法則
- 2006.11.23:織田信長の戦略
- 2006.11.09:小さな市場に焦点を絞る会社は強い
- 2006.10.26:弱者を貫いて強者となった企業
- 2006.10.12:市場シェアの獲り過ぎに注意
- 2006.09.28:小さな市場でヒットを飛ばす
- 2006.09.14:日本酒市場あれこれ
- 2006.08.31:小さな市場で戦え
- 2006.08.17:もう1つの成長産業
- 2006.08.03:ランチェスター戦略が示すこと
- 2006.07.20:チャンスがあることを皆が知っている市場
- 2006.07.06:商品の意味が変わる時
- 2006.06.22:サッカーW杯にみる「戦略とは」
- 2006.05.25:SMPを意識する
- 2006.05.11:"営業嫌い"は会社の責任だ
- 2006.04.27:営業の分かりやすいコトバとは
- 2006.04.13:残りの80%に富を再配分する
- 2006.03.30:とるに足りない80%
- 2006.03.16:狭く、深く掘り進めれば、視界は開ける
- 2006.03.02:日本の消費者は世界レベルに近づいている
- 2006.02.16:ノウハウを捨てよう!
- 2006.02.02:一番、損になることをしよう
- 2006.01.19:技術系小企業が生き残るには
- 2006.01.05:すでに起こった未来
- 2005.12.22:顧客接点がビジネスの命綱
- 2005.12.08:一点集中戦略の落とし穴
- 2005.11.24:松下電器の一点集中戦略
- 2005.10.27:2005年日本シリーズを斬る
- 2005.10.13:例外に注目せよ
- 2005.10.10:成長の壁を乗り越える
- 2005.09.29:常識を少しずらすとチャンスが生まれる
- 2005.09.15:見えない敵と戦うには
- 2005.09.01:最も怖いのは見えない敵だ
- 2005.08.18:不滅の営業手法
- 2005.07.22:いつまで川原で石を売るのですか?(3)
- 2005.07.07:いつまで川原で石を売るのですか?(2)
- 2005.06.23:いつまで川原で石を売るのですか?(1)
- 2005.06.09:年功序列の市場はもう無い
- 2005.05.26:バーガーキング復活
- 2005.03.03:オニツカ錐もみ商法とは(後編)
- 2005.02.17:オニツカ錐もみ商法とは(前編)
- 2005.02.03:売れないのではなく、売っていないんですよ
- 2005.01.20:中小企業が狙う中国市場とは
- 2005.01.05:常識にとらわれない戦略を戦う
- 2004.12.24:小さな企業は逆転の発想で戦え!
- 2004.12.09:ゲーム型競争時代は終わらない
- 2004.11.11:北欧企業にみるランチェスター戦略
- 2004.11.02:UTADA全米進出失敗を斬る
- 2004.08.22:韓国ドラマ、なぜ人気?
- 2002.09.07:戦略とは見えざるもの
- 2002.09.07:営業をシステムとして把握する
- 2002.09.07:組織営業を導入しよう
- 2002.09.07:SMPメソッドとは
- お客様の声:はじめてのマネジメント入門
2019.07.16 2019年7月16日「はじめてのマネジメント入門」セミナー受講後アンケートの声です。※アンケート回収47名のうち、当セミナーの内容がビジネスに ①大いに役立つ15名、②役立つ31名、③あまり役に立たな...
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