もし諸葛孔明が経営顧問だったら
(2009年4月23日メルマガより)
■今週の週刊文春に「日本人の好きな三国志の英雄」という特集をやってい
ました。
ちなみにアメリカ人は曹操が好きで、中国人は関羽が好きだそうです。
では日本人は?
お分かりでしょうか。
そうです。諸葛亮(孔明)の人気がダントツです。
■アメリカ人が曹操好きというのは分かる気がします。
古い慣習を壊して、柔軟な精神で、新しい時代を切り開く英雄曹操は、アメ
リカ人の開拓者精神に響くのでしょう。
中国人の関羽というのはよく分かりませんね^^;
忠義に厚い人柄が転じて「商売の神様」として崇められている関羽ですが、
中国の方は忠義を殊の外重んじるということでしょうか。
理由を知っている方がおられたら教えてくださいね。
■日本人はとにかく諸葛亮が好きです。
中国の歴史上最大級の能力を持ちながら、清廉潔白な人柄で、ひたすら主君
のために尽くす姿は日本人の琴線に触れるのでしょうね。
それに大国魏を相手に孤軍奮闘の末、悲劇的に生涯を終える結末も、判官び
いきの日本人に合うということでしょうか。
もちろん私も諸葛亮が一番好きです。
メンターを一人挙げよと言われれば、迷わず諸葛亮と言いますね。
というわけで今回は、諸葛亮の話をします。
今までこのメルマガでは、2度ほど三国志をとりあげましたが、今回は赤壁
の戦いの後を中心に書きたいと思います。
参考→「経営で必要な知恵はすべて三国志で学んだ」
■レッドクリフがモチーフとする「赤壁の戦い」(西暦208年)は、呉軍
が勝利し、曹操による天下統一を事実上挫くこととなりました。
呉の孫権は、曹操への警戒から「天下三分の計」を採用し、第3勢力として
育てるべく劉備に荊州という地域を貸し与えます。
それまで抜群の軍事能力を誇りながらも、拠るべき土地を持たないために傭
兵集団としてしか在りえなかった劉備が念願の拠点を得たのです。
三国時代が大きく動き出した瞬間です。
■そもそも劉備とはどのような人物だったのでしょうか。
劉備。字は玄徳。現在の河北省にあたるタク郡の生まれで、漢王族の末裔と
称していました。しかし実際には血縁を頼った形跡はなく、あくまで自称で
あったようです。生まれは貧しく、草鞋を編んで生計を立てていました。
ただ本来の気性は激しく、関羽や張飛といった荒くれたちをも一目置かせる
侠気があったと思われます。
一時は学問を志すこともあったようですが、結局、戦乱の世に生きる道を見
つけていきます。
■劉備は「三国志演義」の主人公として、その誠実な人柄が称えられる人物
です。
しかし客観的に見た時、目立つのは、その軍事的能力の高さです。
大きな兵力数を持たぬ身でありながら、多くの諸侯に頼りにされ、また数多
の戦いにも生き抜いたしぶとさは、三国志随一です。
曹操や呂布など一流の武将には敗れていますが、それでも損害を最小限に食
い止める勝負勘の鋭さが、劉備の価値を高めています。
何ら後ろ盾を持たぬ裸一貫の男が、戦乱の世に勢力を保ち続けたのだから脅
威であることは間違いありません。
さすがの曹操も「この世に英雄と呼べるのは、劉備と私しかいない」と警戒
していました。
■もっとも劉備が本当に歴史の表舞台に顔を出すのは、長期的な戦略をデザ
インできる参謀を得てからです。
それまでは、軍事能力に優れた庸兵集団のリーダーに過ぎなかった男が(要
するに雇われて動く便利屋稼業です)、突如、歴史をつくりかえるような方
向性を持って動き出したのです。
その参謀こそ臥龍と言われた諸葛亮に他なりません。
諸葛亮ほどの人物が仕える劉備を、もはや単なる戦争屋と思う者はいなくな
りました。
かくして劉備は、長期的な戦略性と軍事力、それに漢王朝の末裔という大義
名分を持つ大きな勢力となっていったのです。
■諸葛亮はとにかくスケールの大きな戦略眼を持った人物でした。
まだ拠点を持たない劉備に対して「曹操の魏と対抗するためには、呉と魏を
戦わせ、その間に第三勢力として屹立すべきである」という「天下三分の計」
を説きました。
その場合の拠点とすべき場所も具体的に決めていました。
この大きな戦略を持つ諸葛亮に劉備は全面的に心服しました。
義兄弟である関羽や張飛が嫉妬するほどだったといいますが、劉備は「私と
孔明の間柄は、魚と水の関係のようなものだ」と言って彼らを納得させてい
ます。(これが水魚の交わりの語源です)
■諸葛亮。字は孔明。徐州(現在の江蘇省北東部)あたりの生まれですが、
曹操の徐州大虐殺を機に荊州(現在の湖北省)に移り住みました。
荊州の名士の間で才能を畏敬されていましたが、本人は仕官する気はなく、
弟とともに晴耕雨読の生活を送っていました。
彼が世に出る意欲を見せなかったのは、主君とするに足る人物がいなかった
こともありますが、生来身体が弱く、仕官に耐えられないからだとみる向き
もあります。
それが劉備との出会いを機に、自らの命を賭ける仕事を見出したのでした。
諸葛亮が理想とするのは、儒教の理念を中心とした漢王朝の再興だったよう
です。
漢王朝の末裔を名乗り、しかも軍事力に優れた劉備は、諸葛亮が夢を託すに
うってつけの人物でした。
■赤壁の戦いの後、借り受けた荊州を足がかりに、益州(現在の四川省あた
り)に地盤を得ていくのは、諸葛亮の力であるといっても過言ではないでし
ょう。
当時、名士といわれる儒教者のグループの影響力は想像以上だったようで、
形式的な主君よりも、土地に根ざした名士たちの方が、力が強かったと言わ
れています。
その名士たちから畏敬されていた諸葛亮の力は大きく、彼がいなければ劉備
は益州から受け入れられることはなかったでしょう。(このあたり、呉にお
ける周瑜の果たした役割に通じるものがあります)
当時、益州の君主は劉璋という人物でしたが、彼では曹操に対抗できないと
考えた名士たちが、劉備を呼び寄せたのです。
劉備はこれまでと同じように、信義に反することはできないと渋りますが、
(過去に同じような状況でグズグズしていたために曹操に奪われてしまった
ことがありました)大儀を果たすためであるという諸葛亮の説得もあり、劉
璋を追い出して、益州を支配下に治めます。
■諸葛亮の戦略は、荊州と益州の両方から挟み打ちにする形で曹操を攻める
というものでした。
諸葛亮自身は、成都(四川省の主都)を統治することに専念し、益州からは
劉備が、荊州からは関羽が曹操を攻撃する壮大な戦略です。
当時の劉備陣営には、それを為す軍事力も戦略も備えていたのです。言い換
えれば、諸葛亮が机上で作った戦略が具体化できたのは、劉備の持つ軍事力
というリアリズムでした。
曹操自身が最も恐れる二大武将に挟み撃ちされる状況は、非常に厳しいもの
だったに違いありません。
特に関羽の攻撃力はすさまじく、さすがの曹操も弱気になって、都を長安か
ら後方に遷都しようかと漏らしています。
■一方で、劉備は、曹操陣営の喉元である漢中に侵攻します。
その時、呉の孫権との戦いに手をとられていた曹操は身動きがとれませんで
した。
そもそも、曹操が乱世の覇者となれたのは、機動力が格段に優れていたから
です。
曹操は、自身に忠実な騎兵隊を持ち、自在に操ることができました。相手が
戦闘態勢に入る前に素早く攻め込み各個撃破するというのが、曹操の最も得
意なパターンです。
袁紹や劉備は、過去に幾度もこの機動力の前に敗れ去りました。
しかし、呉や関羽、劉備から波状攻撃に晒される状況は、曹操得意の機動力
を封じられたとも言えます。
ここでも、曹操の弱点を突いた軍師諸葛亮の壮大な戦略が功を奏したと言っ
ていいでしょう。
■劉備は、漢中守備をしていた猛将夏侯淵を撃破し、漢中に砦を築きます。
ようやく呉と講和した曹操が、漢中にやってくるのは、劉備が万全の布陣を
しいた後でした。
■ついに劉備と曹操が雌雄を決する時が来たのです。
劉備陣営を激しく攻める曹操に対して、劉備は火力を武器に用いたようです。
これは諸葛亮の基本戦略でもありました。
諸葛亮は、発明家としても優れ、数々の武器を考案しています。1800年
も前に火力を武器としていたということ自体が驚きですが、彼はそれを曹操
の機動力を封じるために活用しようとしました。
これは、後に武田騎馬隊を封じるために鉄砲隊を使った織田信長の戦略に通
じるものがあります。
しかも曹操が驚いたのは、劉備の戦術の的確さでした。これまでの戦いとは
一味も二味も違う劉備の戦いぶりに曹操は目を見張ります。
実は、この時、劉備には法正という稀代の軍略家が仕えていました。
私怨で政敵を抹殺するなどとかく悪い噂の耐えない法正ですが、彼の軍事指
導は正確無比で、諸葛亮も一目置いていました。
このように、当時は、諸葛亮は直接戦闘指導をすることはありませんでした。
あくまで、全体戦略を諸葛亮が担当し、具体的な行動は劉備が行っていまし
た。
後に曹操は「劉備があれほどやるとは思わなかったが、やはり法正がついて
いたのか」と述懐しています。
攻めあぐねた曹操は、漢中を諦め、撤退します。
216年。劉備は、ここに漢中王を名乗り、三国時代を到来させるのです。
■しかし劉備の勢いは長くは続きませんでした。
あくまで曹操に対抗させる勢力としか見ていなかった劉備が王となることで、
焦燥したのは呉の孫権も同じでした。
孫権は、妹を劉備に嫁がせるなど、両国の関係を深める一方で、貸し与えた
荊州の返還を巡っては揉めていました。
しかも自分の娘を関羽の息子に嫁がせようとして拒否されるなど面目をつぶ
される事件もありました。
曹操の密かな誘いに乗じて、孫権は突如裏切り、曹操との戦いに気をとられ
ている関羽を背後から襲い攻め殺してしまいます。
こうして関羽に対する恨みを晴らすと同時に、荊州の領有を回復します。
まだ若い孫権ですが、この後も、魏と蜀との同盟と離反を繰り返しながら、
のらりくらりと自国を維持するというマキャベリズムを体現していきます。
しかし後継者選びにものらりくらりと態度をはっきりしなかったために、国
内の政治は乱れ、国力を衰退させていきます。
呉そのものは、三国の中で最も長生きするのですが、最後の状況はお寒いも
のだったようです。
■さて義兄弟である関羽を斬られた劉備は怒り狂います。
本来の敵である曹操など眼中になく、孫権憎しの気持ちだけで我を忘れてし
まいます。
諸葛亮や宿将の趙雲(レッドクリフではやたら活躍していましたね^^)で
さえ私怨を捨てるように進言しますが、聞き入れませんでした。
運悪く、張飛や法正も次々と没しますが、それでも劉備を止めることはでき
ませんでした。
劉備はありったけの軍勢を連れて、呉に侵攻します。
劉備の全てを賭けた進軍でした。その勢いはすさまじく、手のつけようがな
い有様でした。
しかし勢いに任せ冷静さを欠いた進軍は、敵の思う壺でもありました。
敵の陣中深く入り込んだ劉備は、いつしか退路を絶たれ、罠にはまったこと
を知ります。
それまで不気味に静まり返っていた敵が突如、四方から火責めを仕掛けてき
たために、劉備はなすすべもありませんでした。
裸一貫から王にまで上り詰めた男も生涯の最後にほぼ全軍を壊滅させるとい
う歴史的な大敗を喫してしまったのです。
失意の劉備は、命からがら白帝城に逃げ込み、そこで生涯を終えたのです。
■劉備は死ぬまぎわ遺言を諸葛亮に託します。涙なしには聞けない言葉です。
「君の才能は魏の曹丕に十倍する。必ずや国に安定をもたらし、統一を果た
してくれると信じている。わが子、劉禅が王の器を持っているようであれば、
これを補佐してほしい。だが、もし補佐するに足りない器だと思ったのなら、
いつでも代わって皇帝になってほしい」
まさに前代未聞の遺言です。
「三国志正史」には、一点の私情もない君臣関係の鏡だと評されています。
一部、劉備が諸葛亮を牽制するための遺言だと捉える向きもありますが、そ
うではないと私は考えます。
諸葛亮とすれば、皇帝になるためのお墨付きをもらったようなものです。
この後、諸葛亮に「そろそろ皇帝になってはどうか」と勧める声は少なくあ
りませんでしたが、諸葛亮はついに生涯をかけて劉禅を守り続けました。
これほど清廉で高潔な人格が他にあるでしょうか。
■しかし、事実上、蜀の命運は決まったも同然でした。
頼みとした軍事力は崩壊し、劉備、関羽、張飛はもういません。
内政を担当する諸葛亮しか残っていないのです。
いくら彼に戦略があろうとも、それを実現するリアルな手段はもうなくなっ
てしまったのです。
誰もがそう思いました。。。
■ところが、中国の歴史上最大の天才は、ここから不死鳥のように蘇り、幾
度も魏を圧倒することになるのです。
素早く呉と同盟を回復すると、抜群の内政能力を発揮し国力を回復させた諸
葛亮は、わずか4年で魏を討伐する軍を進めます。
これまでほとんど実戦を経験したことがなかった男が、6倍の戦力を有する
大国を一方的に攻め続けたのです。
一部には諸葛亮の軍事能力を疑問視する声もあるようですが、結果はともあ
れ、あと一歩のところまで魏を追い詰めた軍事能力が低いはずはありません。
魏は切り札としてもう一人の天才軍師司馬懿を立てますが、司馬懿をもって
しても、持久戦に持ち込むことで精一杯でした。
しかも5度に渡る戦争の中で、諸葛亮は様々な軍事課題を解決し、確実に優
位に戦いを進めるようになっていきました。
諸葛亮の敵は、自分自身の体力だけでした。
もともと身体が弱く仕官に耐えられないと言われていた男は、その使命感だ
けで過酷な遠征に耐え続けていたのです。
しかし西暦234年。秋風の吹く五丈原で、ついに稀代の人物は病に倒れま
す。享年54歳。
ひたすら大儀に燃え、現世的な欲望は一切求めない清廉な生涯でした。
■日本に三国志を紹介した第一人者である吉川英治は「三国志の前半の真の
主人公は曹操であり、後半の主人公は諸葛孔明である」と書いています。
吉川三国志における諸葛亮への思い入れは強いものがありますから、これを
最初に読んだ私としても、諸葛亮びいきになったのは否めませんね。
だから日本人で諸葛亮好きな人が多いのは、吉川英治の影響を受けていると
いうことなんでしょうか。
■諸葛亮なきあとの三国志は急速にテンションを下げてしまいます。
残念ながら、諸葛亮という一人の才能に拠りかかっていた国家は、急速にひ
ずみを露呈し、衰退の道をたどっていきます。
皮肉なことに劉備の息子、劉禅は王の器ではなかったようですね。
そして西暦263年には、魏の侵攻を受けて滅亡します。三国の中で最も早
く姿を消してしまったのです。
■しかし劉備や諸葛亮らの業績が消えることはありません。
彼らの姿は、経営者とその参謀に擬することもできるでしょう。
彼らが最も輝いていたのは、曹操との最終決戦に勝った漢中争奪戦の頃です。
その時、リアルに行動する君主と、冷静に戦略を立てる軍師という役割が的
確に機能していました。
それは組織にとって最も理想的な状態で、まさに「水魚の交わり」だったこ
とでしょう。
■諸葛亮は、実際には「それほど特別な人には見えなかった」と言います。
特段、オーラを発する人物ではなかったようです。
私がコンサルタントにはカリスマ性やはったりは不要だと思う所以でもあり
ます。
圧倒的な知識、冷静な判断力、そして公正で清廉な人格。
こういう人物と共に過ごしたいものですね。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■たまに経営者の方と話ていると「なぜ、そんなに知識があるのに、自分で
事業を始めないんですか?」と聞かれます。
まあ本音は「どうせ机上の空論なんだろ?コンサルなんて役に立たないよ」
ということなんでしょうか。
■私の答えが、今日の話です。
経営には、泥臭い実行力と、冷徹な計画力が必要になります。
「計画はシンプルに、実行はクレイジーに」というわけです。
曹操のように、すべてを体現できる人ならいいのでしょうが、大抵の場合、
どちらかが得意で、どちらかが不得意です。
得意分野に特化して、不得意分野は補完し合う。
これがシンプルな組織の原則だということです。
今回の主な参考文献
(2009年4月23日メルマガより)
■今週の週刊文春に「日本人の好きな三国志の英雄」という特集をやってい
ました。
ちなみにアメリカ人は曹操が好きで、中国人は関羽が好きだそうです。
では日本人は?
お分かりでしょうか。
そうです。諸葛亮(孔明)の人気がダントツです。
■アメリカ人が曹操好きというのは分かる気がします。
古い慣習を壊して、柔軟な精神で、新しい時代を切り開く英雄曹操は、アメ
リカ人の開拓者精神に響くのでしょう。
中国人の関羽というのはよく分かりませんね^^;
忠義に厚い人柄が転じて「商売の神様」として崇められている関羽ですが、
中国の方は忠義を殊の外重んじるということでしょうか。
理由を知っている方がおられたら教えてくださいね。
■日本人はとにかく諸葛亮が好きです。
中国の歴史上最大級の能力を持ちながら、清廉潔白な人柄で、ひたすら主君
のために尽くす姿は日本人の琴線に触れるのでしょうね。
それに大国魏を相手に孤軍奮闘の末、悲劇的に生涯を終える結末も、判官び
いきの日本人に合うということでしょうか。
もちろん私も諸葛亮が一番好きです。
メンターを一人挙げよと言われれば、迷わず諸葛亮と言いますね。
というわけで今回は、諸葛亮の話をします。
今までこのメルマガでは、2度ほど三国志をとりあげましたが、今回は赤壁
の戦いの後を中心に書きたいと思います。
参考→「経営で必要な知恵はすべて三国志で学んだ」
■レッドクリフがモチーフとする「赤壁の戦い」(西暦208年)は、呉軍
が勝利し、曹操による天下統一を事実上挫くこととなりました。
呉の孫権は、曹操への警戒から「天下三分の計」を採用し、第3勢力として
育てるべく劉備に荊州という地域を貸し与えます。
それまで抜群の軍事能力を誇りながらも、拠るべき土地を持たないために傭
兵集団としてしか在りえなかった劉備が念願の拠点を得たのです。
三国時代が大きく動き出した瞬間です。
■そもそも劉備とはどのような人物だったのでしょうか。
劉備。字は玄徳。現在の河北省にあたるタク郡の生まれで、漢王族の末裔と
称していました。しかし実際には血縁を頼った形跡はなく、あくまで自称で
あったようです。生まれは貧しく、草鞋を編んで生計を立てていました。
ただ本来の気性は激しく、関羽や張飛といった荒くれたちをも一目置かせる
侠気があったと思われます。
一時は学問を志すこともあったようですが、結局、戦乱の世に生きる道を見
つけていきます。
■劉備は「三国志演義」の主人公として、その誠実な人柄が称えられる人物
です。
しかし客観的に見た時、目立つのは、その軍事的能力の高さです。
大きな兵力数を持たぬ身でありながら、多くの諸侯に頼りにされ、また数多
の戦いにも生き抜いたしぶとさは、三国志随一です。
曹操や呂布など一流の武将には敗れていますが、それでも損害を最小限に食
い止める勝負勘の鋭さが、劉備の価値を高めています。
何ら後ろ盾を持たぬ裸一貫の男が、戦乱の世に勢力を保ち続けたのだから脅
威であることは間違いありません。
さすがの曹操も「この世に英雄と呼べるのは、劉備と私しかいない」と警戒
していました。
■もっとも劉備が本当に歴史の表舞台に顔を出すのは、長期的な戦略をデザ
インできる参謀を得てからです。
それまでは、軍事能力に優れた庸兵集団のリーダーに過ぎなかった男が(要
するに雇われて動く便利屋稼業です)、突如、歴史をつくりかえるような方
向性を持って動き出したのです。
その参謀こそ臥龍と言われた諸葛亮に他なりません。
諸葛亮ほどの人物が仕える劉備を、もはや単なる戦争屋と思う者はいなくな
りました。
かくして劉備は、長期的な戦略性と軍事力、それに漢王朝の末裔という大義
名分を持つ大きな勢力となっていったのです。
■諸葛亮はとにかくスケールの大きな戦略眼を持った人物でした。
まだ拠点を持たない劉備に対して「曹操の魏と対抗するためには、呉と魏を
戦わせ、その間に第三勢力として屹立すべきである」という「天下三分の計」
を説きました。
その場合の拠点とすべき場所も具体的に決めていました。
この大きな戦略を持つ諸葛亮に劉備は全面的に心服しました。
義兄弟である関羽や張飛が嫉妬するほどだったといいますが、劉備は「私と
孔明の間柄は、魚と水の関係のようなものだ」と言って彼らを納得させてい
ます。(これが水魚の交わりの語源です)
■諸葛亮。字は孔明。徐州(現在の江蘇省北東部)あたりの生まれですが、
曹操の徐州大虐殺を機に荊州(現在の湖北省)に移り住みました。
荊州の名士の間で才能を畏敬されていましたが、本人は仕官する気はなく、
弟とともに晴耕雨読の生活を送っていました。
彼が世に出る意欲を見せなかったのは、主君とするに足る人物がいなかった
こともありますが、生来身体が弱く、仕官に耐えられないからだとみる向き
もあります。
それが劉備との出会いを機に、自らの命を賭ける仕事を見出したのでした。
諸葛亮が理想とするのは、儒教の理念を中心とした漢王朝の再興だったよう
です。
漢王朝の末裔を名乗り、しかも軍事力に優れた劉備は、諸葛亮が夢を託すに
うってつけの人物でした。
■赤壁の戦いの後、借り受けた荊州を足がかりに、益州(現在の四川省あた
り)に地盤を得ていくのは、諸葛亮の力であるといっても過言ではないでし
ょう。
当時、名士といわれる儒教者のグループの影響力は想像以上だったようで、
形式的な主君よりも、土地に根ざした名士たちの方が、力が強かったと言わ
れています。
その名士たちから畏敬されていた諸葛亮の力は大きく、彼がいなければ劉備
は益州から受け入れられることはなかったでしょう。(このあたり、呉にお
ける周瑜の果たした役割に通じるものがあります)
当時、益州の君主は劉璋という人物でしたが、彼では曹操に対抗できないと
考えた名士たちが、劉備を呼び寄せたのです。
劉備はこれまでと同じように、信義に反することはできないと渋りますが、
(過去に同じような状況でグズグズしていたために曹操に奪われてしまった
ことがありました)大儀を果たすためであるという諸葛亮の説得もあり、劉
璋を追い出して、益州を支配下に治めます。
■諸葛亮の戦略は、荊州と益州の両方から挟み打ちにする形で曹操を攻める
というものでした。
諸葛亮自身は、成都(四川省の主都)を統治することに専念し、益州からは
劉備が、荊州からは関羽が曹操を攻撃する壮大な戦略です。
当時の劉備陣営には、それを為す軍事力も戦略も備えていたのです。言い換
えれば、諸葛亮が机上で作った戦略が具体化できたのは、劉備の持つ軍事力
というリアリズムでした。
曹操自身が最も恐れる二大武将に挟み撃ちされる状況は、非常に厳しいもの
だったに違いありません。
特に関羽の攻撃力はすさまじく、さすがの曹操も弱気になって、都を長安か
ら後方に遷都しようかと漏らしています。
■一方で、劉備は、曹操陣営の喉元である漢中に侵攻します。
その時、呉の孫権との戦いに手をとられていた曹操は身動きがとれませんで
した。
そもそも、曹操が乱世の覇者となれたのは、機動力が格段に優れていたから
です。
曹操は、自身に忠実な騎兵隊を持ち、自在に操ることができました。相手が
戦闘態勢に入る前に素早く攻め込み各個撃破するというのが、曹操の最も得
意なパターンです。
袁紹や劉備は、過去に幾度もこの機動力の前に敗れ去りました。
しかし、呉や関羽、劉備から波状攻撃に晒される状況は、曹操得意の機動力
を封じられたとも言えます。
ここでも、曹操の弱点を突いた軍師諸葛亮の壮大な戦略が功を奏したと言っ
ていいでしょう。
■劉備は、漢中守備をしていた猛将夏侯淵を撃破し、漢中に砦を築きます。
ようやく呉と講和した曹操が、漢中にやってくるのは、劉備が万全の布陣を
しいた後でした。
■ついに劉備と曹操が雌雄を決する時が来たのです。
劉備陣営を激しく攻める曹操に対して、劉備は火力を武器に用いたようです。
これは諸葛亮の基本戦略でもありました。
諸葛亮は、発明家としても優れ、数々の武器を考案しています。1800年
も前に火力を武器としていたということ自体が驚きですが、彼はそれを曹操
の機動力を封じるために活用しようとしました。
これは、後に武田騎馬隊を封じるために鉄砲隊を使った織田信長の戦略に通
じるものがあります。
しかも曹操が驚いたのは、劉備の戦術の的確さでした。これまでの戦いとは
一味も二味も違う劉備の戦いぶりに曹操は目を見張ります。
実は、この時、劉備には法正という稀代の軍略家が仕えていました。
私怨で政敵を抹殺するなどとかく悪い噂の耐えない法正ですが、彼の軍事指
導は正確無比で、諸葛亮も一目置いていました。
このように、当時は、諸葛亮は直接戦闘指導をすることはありませんでした。
あくまで、全体戦略を諸葛亮が担当し、具体的な行動は劉備が行っていまし
た。
後に曹操は「劉備があれほどやるとは思わなかったが、やはり法正がついて
いたのか」と述懐しています。
攻めあぐねた曹操は、漢中を諦め、撤退します。
216年。劉備は、ここに漢中王を名乗り、三国時代を到来させるのです。
■しかし劉備の勢いは長くは続きませんでした。
あくまで曹操に対抗させる勢力としか見ていなかった劉備が王となることで、
焦燥したのは呉の孫権も同じでした。
孫権は、妹を劉備に嫁がせるなど、両国の関係を深める一方で、貸し与えた
荊州の返還を巡っては揉めていました。
しかも自分の娘を関羽の息子に嫁がせようとして拒否されるなど面目をつぶ
される事件もありました。
曹操の密かな誘いに乗じて、孫権は突如裏切り、曹操との戦いに気をとられ
ている関羽を背後から襲い攻め殺してしまいます。
こうして関羽に対する恨みを晴らすと同時に、荊州の領有を回復します。
まだ若い孫権ですが、この後も、魏と蜀との同盟と離反を繰り返しながら、
のらりくらりと自国を維持するというマキャベリズムを体現していきます。
しかし後継者選びにものらりくらりと態度をはっきりしなかったために、国
内の政治は乱れ、国力を衰退させていきます。
呉そのものは、三国の中で最も長生きするのですが、最後の状況はお寒いも
のだったようです。
■さて義兄弟である関羽を斬られた劉備は怒り狂います。
本来の敵である曹操など眼中になく、孫権憎しの気持ちだけで我を忘れてし
まいます。
諸葛亮や宿将の趙雲(レッドクリフではやたら活躍していましたね^^)で
さえ私怨を捨てるように進言しますが、聞き入れませんでした。
運悪く、張飛や法正も次々と没しますが、それでも劉備を止めることはでき
ませんでした。
劉備はありったけの軍勢を連れて、呉に侵攻します。
劉備の全てを賭けた進軍でした。その勢いはすさまじく、手のつけようがな
い有様でした。
しかし勢いに任せ冷静さを欠いた進軍は、敵の思う壺でもありました。
敵の陣中深く入り込んだ劉備は、いつしか退路を絶たれ、罠にはまったこと
を知ります。
それまで不気味に静まり返っていた敵が突如、四方から火責めを仕掛けてき
たために、劉備はなすすべもありませんでした。
裸一貫から王にまで上り詰めた男も生涯の最後にほぼ全軍を壊滅させるとい
う歴史的な大敗を喫してしまったのです。
失意の劉備は、命からがら白帝城に逃げ込み、そこで生涯を終えたのです。
■劉備は死ぬまぎわ遺言を諸葛亮に託します。涙なしには聞けない言葉です。
「君の才能は魏の曹丕に十倍する。必ずや国に安定をもたらし、統一を果た
してくれると信じている。わが子、劉禅が王の器を持っているようであれば、
これを補佐してほしい。だが、もし補佐するに足りない器だと思ったのなら、
いつでも代わって皇帝になってほしい」
まさに前代未聞の遺言です。
「三国志正史」には、一点の私情もない君臣関係の鏡だと評されています。
一部、劉備が諸葛亮を牽制するための遺言だと捉える向きもありますが、そ
うではないと私は考えます。
諸葛亮とすれば、皇帝になるためのお墨付きをもらったようなものです。
この後、諸葛亮に「そろそろ皇帝になってはどうか」と勧める声は少なくあ
りませんでしたが、諸葛亮はついに生涯をかけて劉禅を守り続けました。
これほど清廉で高潔な人格が他にあるでしょうか。
■しかし、事実上、蜀の命運は決まったも同然でした。
頼みとした軍事力は崩壊し、劉備、関羽、張飛はもういません。
内政を担当する諸葛亮しか残っていないのです。
いくら彼に戦略があろうとも、それを実現するリアルな手段はもうなくなっ
てしまったのです。
誰もがそう思いました。。。
■ところが、中国の歴史上最大の天才は、ここから不死鳥のように蘇り、幾
度も魏を圧倒することになるのです。
素早く呉と同盟を回復すると、抜群の内政能力を発揮し国力を回復させた諸
葛亮は、わずか4年で魏を討伐する軍を進めます。
これまでほとんど実戦を経験したことがなかった男が、6倍の戦力を有する
大国を一方的に攻め続けたのです。
一部には諸葛亮の軍事能力を疑問視する声もあるようですが、結果はともあ
れ、あと一歩のところまで魏を追い詰めた軍事能力が低いはずはありません。
魏は切り札としてもう一人の天才軍師司馬懿を立てますが、司馬懿をもって
しても、持久戦に持ち込むことで精一杯でした。
しかも5度に渡る戦争の中で、諸葛亮は様々な軍事課題を解決し、確実に優
位に戦いを進めるようになっていきました。
諸葛亮の敵は、自分自身の体力だけでした。
もともと身体が弱く仕官に耐えられないと言われていた男は、その使命感だ
けで過酷な遠征に耐え続けていたのです。
しかし西暦234年。秋風の吹く五丈原で、ついに稀代の人物は病に倒れま
す。享年54歳。
ひたすら大儀に燃え、現世的な欲望は一切求めない清廉な生涯でした。
■日本に三国志を紹介した第一人者である吉川英治は「三国志の前半の真の
主人公は曹操であり、後半の主人公は諸葛孔明である」と書いています。
吉川三国志における諸葛亮への思い入れは強いものがありますから、これを
最初に読んだ私としても、諸葛亮びいきになったのは否めませんね。
だから日本人で諸葛亮好きな人が多いのは、吉川英治の影響を受けていると
いうことなんでしょうか。
■諸葛亮なきあとの三国志は急速にテンションを下げてしまいます。
残念ながら、諸葛亮という一人の才能に拠りかかっていた国家は、急速にひ
ずみを露呈し、衰退の道をたどっていきます。
皮肉なことに劉備の息子、劉禅は王の器ではなかったようですね。
そして西暦263年には、魏の侵攻を受けて滅亡します。三国の中で最も早
く姿を消してしまったのです。
■しかし劉備や諸葛亮らの業績が消えることはありません。
彼らの姿は、経営者とその参謀に擬することもできるでしょう。
彼らが最も輝いていたのは、曹操との最終決戦に勝った漢中争奪戦の頃です。
その時、リアルに行動する君主と、冷静に戦略を立てる軍師という役割が的
確に機能していました。
それは組織にとって最も理想的な状態で、まさに「水魚の交わり」だったこ
とでしょう。
■諸葛亮は、実際には「それほど特別な人には見えなかった」と言います。
特段、オーラを発する人物ではなかったようです。
私がコンサルタントにはカリスマ性やはったりは不要だと思う所以でもあり
ます。
圧倒的な知識、冷静な判断力、そして公正で清廉な人格。
こういう人物と共に過ごしたいものですね。
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■たまに経営者の方と話ていると「なぜ、そんなに知識があるのに、自分で
事業を始めないんですか?」と聞かれます。
まあ本音は「どうせ机上の空論なんだろ?コンサルなんて役に立たないよ」
ということなんでしょうか。
■私の答えが、今日の話です。
経営には、泥臭い実行力と、冷徹な計画力が必要になります。
「計画はシンプルに、実行はクレイジーに」というわけです。
曹操のように、すべてを体現できる人ならいいのでしょうが、大抵の場合、
どちらかが得意で、どちらかが不得意です。
得意分野に特化して、不得意分野は補完し合う。
これがシンプルな組織の原則だということです。
今回の主な参考文献
コラム
- 2021.01.07:「鬼滅の刃」大ヒットで復活するソニー「全集中の戦略」
- 2020.12.24:生き残りをかけてもがく家電メーカーたち
- 2020.12.10:ヤマダ電機は、大塚家具の救済よりも、家電産業の復活に取り組め
- 2020.11.26:雑草のようにしたたかなワタミの生き残り戦略
- 2020.11.12:井上尚弥はボクシングの未来を拓くか
- 2020.10.29:出前館vsウーバーイーツ
- 2020.10.15:阪神タイガースはいつまでダメ虎なのか
- 2020.10.01:こんな創業は失敗する
- 2020.09.17:リアル「半沢直樹」 JAL再生は、ドラマよりも奇跡だった
- 2020.09.03:「存在意義」を深く考えない創業は頓挫する
- 2020.08.20:創業の成功確率を上げる5つの要件
- 2020.08.06:米国子会社の破綻は、無印良品の終わりの始まりか?
- 2020.07.23:「論語」は最高の自己啓発書であり、最強の実用書だ
- 2020.07.09:孔子の教えは、なぜ簡単なのに伝えにくいのか?
- 2020.06.25:コロナでも生き残る小さな事業の秘訣
- 2020.06.11:経営者は「貞観政要」を読みなさい
- 2020.05.28:経営者は「君主論」を読みなさい
- 2020.05.14:クロージングがうまくいかない時にこそ、営業の真価が問われる
- 2020.04.30:営業として大成したければ、クロージングでは正攻法を貫け!
- 2020.04.16:営業は基本を学べ。正しい知識を持っていると、経験から正しく学べる。
- 2020.04.02:営業を知らない人ほど怪しげな営業をしてしまうのはなぜか?
- 2020.03.19:プレゼンテーションは、ワンパターンでいい。
- 2020.03.05:「深掘り質問」を制する者は営業を制す
- 2020.02.20:営業は顧客の課題を解決する仕事だ
- 2020.02.06:商談の第一声は営業から発する
- 2020.01.23:「テスト受注」は営業の醍醐味だ!
- 2020.01.09:営業成績が上がらないという人は、顧客訪問してませんね。
- 2019.12.26:とっても簡単な地域営業の始め方
- 2019.12.12:新人営業が自信を持つために最初にすること
- 2019.11.28:創業以来の危機に陥ったアシックスは復活できるのか?
- 2019.11.14:井上尚弥がはじめての苦戦から得たもの
- 2019.10.31:ユニクロ会長が怒る「失われた30年」から抜け出すことはできるのか?
- 2019.10.17:サマンサタバサはなぜ紳士服のコナカに買われたのか?
- 2019.10.03:中小零細企業の大半が不要だと言われてしまう理由
- 2019.09.19:ZOZO身売りに見た前澤氏の限界と可能性
- 2019.09.05:ビアードパパのすごい展開力
- 2019.08.22:マイクロソフトはなぜ比類なき復活を遂げたのか?
- 2019.08.08:空前絶後の幸運に見舞われながらも、それゆえに破滅した男の話。
- 2019.07.25:吉本が、これほどマネジメント能力がないとは驚いた
- 2019.07.11:ネットフリックスは、本気のディズニーに勝てるのか?
- 2019.06.27:ぺんてるとコクヨ またかよ!?と言いたくなるお家騒動がらみの揉め事
- 2019.06.13:驚異の高収益企業キーエンスの理由
- 2019.05.30:井上尚弥が導く異次元のボクシングビジネス
- 2019.05.16:WOWOWをV字回復させたサブスクビジネスの本質
- 2019.05.02:ランチェスター戦略で令和を生き抜く
- 2019.04.18:豊臣秀吉に学ぶ「人を動かす」秘訣
- 2019.04.04:令和のランチェスター戦略
- 2019.03.21:それでも生き残る!小さな会社の生き残り術
- 2019.03.07:少子高齢化と人口減少に直面する日本を破綻させなめに我々がすべきこと
- 2019.02.21:吉野家は過去の栄光を捨て去れるのか
- 2019.02.07:「サブスク」ビジネスの衝撃
- 2019.01.24:島田紳助や大前研一が提唱する成功理論・成功術
- 2019.01.10:平成が終わっても、人生は終わらない
- 2018.12.27:サーモス(THERMOS)V字回復の鍵は「接近戦」にあり
- 2018.12.13:カルロス・ゴーン事件が教える組織の腐り方
- 2018.11.29:RIZAPリバイバルプランは結果にコミットするか
- 2018.11.01:アマゾン・エフェクトに対抗する手段はあるのか
- 2018.10.04:ランチェスター戦略が示す3つのマジックナンバー
- 2018.09.20:ランチェスター戦略の中で、いちばん使えるところを教えます。
- 2018.09.06:ボクシング 井上尚弥にあって、山中慎介になかったもの
- 2018.08.23:川淵三郎はなぜ他のスポーツ団体関係者のようにダークサイドに堕ちないのか?
- 2018.08.09:半周遅れのヤフーによる起死回生の逆転戦略
- 2018.07.26:営業は「準備」が9割!
- 2018.07.12:サッカーW杯日本代表はなぜ躍進したのか?
- 2018.06.28:メルカリが破格の期待を集める5つの理由
- 2018.06.14:楽天が携帯電話事業にいまさら参入する理由
- 2018.05.31:スタジオアリスがさらに成長するための方法
- 2018.05.17:私が出会った優秀なコンサルタント
- 2018.05.03:サーモス(THERMOS)の奇跡はなぜ起きたのか?
- 2018.04.19:ワークマンは第二のユニクロになれるのか?
- 2018.04.05:これから営業職につく若い人に言いたいこと
- 2018.03.22:シリアルアントレプレナー「ブックオフ」「俺の」創業者の成功パターン
- 2018.03.08:サンマルクカフェにわざわざ行く理由があるのか?
- 2018.02.22:小さな事業者が新規開拓で成功する方法
- 2018.02.08:「なんでも酒やカクヤス」にみる局地戦の極意
- 2018.01.25:私が生き残っているのは「弱者の5大戦略」を実践してきたからです。
- 2018.01.11:2018年 君たちはどう生きるか(吉野源三郎や宮崎駿とは関係ありません)
- 2017.12.28:AIの時代に、どのような営業が生き残れるのか?
- 2017.12.14:ナイキもアシックスも「SHOE DOG」だ!
- 2017.11.30:TSUTAYAやDMMはしたたかに生き残っていくだろうが限界もある
- 2017.11.16:「シン・ゴジラ」って途中まで面白いけど、後半グダグダじゃないですか?
- 2017.11.02:織田信長が22年かけてできなかった天下統一を、豊臣秀吉がたった8年でできた理由
- 2017.10.19:電気自動車(EV)の時代に日本企業は生き残れるのか
- 2017.10.05:顧客満足度3年連続1位!ドトールコーヒーが最強か
- 2017.09.21:ヤマダ電機が生き残りを賭けて反攻開始!
- 2017.09.07:ドラッグストアが、コンビニを食い物にしている
- 2017.08.24:国内で敵なしのカルビーの将来が必ずしも明るくない理由
- 2017.08.10:君は内山高志を見たか
- 2017.07.27:金本知憲監督はすべての中間管理職の象徴だ
- 2017.07.13:自然界のランチェスター戦略
- 2017.06.29:回転寿司は群雄割拠の戦国時代に入った
- 2017.06.15:小さな会社のM&Aが日本を救う?
- 2017.06.01:AbemaTVは年間200億円の赤字から脱却できるのか?
- 2017.05.18:大阪・堺の超優良企業シマノは、これからも盤石なのか?
- 2017.05.04:知られざる成長産業 コインランドリー業界はどうなっているのか?
- 2017.04.20:新社会人に贈る「1万時間の法則」
- 2017.04.06:野村克也を超一流のプロ野球人にした3つの力
- 2017.03.23:風林火山を旗印に掲げた武田信玄は、戦略家ではなかったのか?
- 2017.03.09:ラスト・ワンマイルの表と裏をおさえよ
- 2017.02.23:鳥貴族の成長はこのまま∞に続くのか
- 2017.02.09:キングコング西野の絵本「えんとつ町のプペル」はなぜ炎上するほど売れているのか?
- 2017.01.26:アマゾンはどこから来てどこへ行くのか
- 2017.01.12:「孫子」を5つのポイントで整理した
- 2016.12.29:真田幸村はなぜ「日本一の兵」になったのか?
- 2016.12.15:セイコーマート・北の最強コンビニはどのようにできたのか
- 2016.12.01:クリスピー・クリーム・ドーナツの大量閉店は、前向きだったのですね
- 2016.11.17:ジーユーがユニクロを超える時、ファーストリテイリングは世界トップになる
- 2016.11.03:ピコ太郎はなぜ世界を席巻したのか?
- 2016.10.20:地域密着営業って何だろう?
- 2016.10.06:繁盛する居酒屋には、現場営業に必要なヒントが満載だ
- 2016.09.22:天下分け目といわれた関ヶ原の戦いはなぜ半日で決着がついたのか?
- 2016.09.08:「世界の山ちゃん」は世界に届くのか
- 2016.08.25:リオ五輪 男子柔道はなぜ躍進したのか?
- 2016.08.11:ポケモンGOは、何をGOしたのか?
- 2016.07.28:営業は純粋な「技術」であり、誰でも身に着けられるものである
- 2016.07.14:金本を信じよ!
- 2016.06.30:せっかく展示会出展しても成果の出ないやり方をしている企業が多すぎる
- 2016.06.16:小さな会社が生き残る秘訣は「ニッチであること」その他には...
- 2016.06.02:びっくりドンキーは弱者のエネルギーに満ちていた
- 2016.05.19:「同率勝算の規則」に則った唯一の成功法則
- 2016.05.05:レスターに学ぶ「奇跡のチーム」を作る3つの秘訣
- 2016.04.21:世紀のちゃぶ台返し!セブンに何があったのか
- 2016.04.07:新社会人に贈る あなたの人生を豊かにする秘訣
- 2016.03.24:コメダ珈琲店に人気があるのは理由がある
- 2016.03.10:小さくても生き残る「局所的な強者」の作り方
- 2016.02.25:「営業の仕組み」を身に着ければ、目標達成に苦しまなくなる
- 2016.02.11:子供に自慢できる人生を送りたいなら
- 2016.01.28:マクドナルドもスターバックスも日本市場をなめるな!
- 2016.01.14:「孫子の兵法」を企業経営に活かす方法
- 2015.12.31:結果を出す人は、手段を目的化している
- 2015.12.17:廃業寸前の負け犬集団が、常勝軍団に生まれ変わったわけ
- 2015.12.03:なぜ「世界トップ企業」を目指すのか?
- 2015.11.19:初めての著作は、なぜ「小説」になったのか?
- 2015.11.05:戦略は実行させなければ意味がない
- 2015.10.22:世界トップ企業への道は「差別化」が開く
- 2015.10.08:世界トップ企業になるために最初にしなければならないこと
- 2015.09.24:サーモス(THERMOS)はなぜ「廃業寸前」から世界トップ企業になったのか?
- 2015.09.10:営業には3つの役割がある
- 2015.08.27:楽天球団は、新しい野球を見せてくれ!
- 2015.08.13:ユニクロは、無印良品と提携せよ
- 2015.07.23:ノキアと日本電産 東西M&A巧者のやり方
- 2015.07.09:ワクワクする仕事しかやりません。
- 2015.06.25:ライザップはなぜ叩かれるのか?
- 2015.06.11:「けっこういい」よりも「並外れてダメ」がいい
- 2015.05.28:戦略には「感動」が必要だ
- 2015.05.14:「孔子」を学ぶ意味
- 2015.04.30:スカイマークはなぜ優遇されながら破綻したのか?
- 2015.04.16:セブンvsミスド 初戦の判定は
- 2015.04.02:任天堂はもう一度天下をとれるのか
- 2015.03.19:ファミマはセブンに勝てるのか?
- 2015.03.05:大塚家具の父と娘はどちらが正しいのか?
- 2015.02.19:成長しないビジネスのロールモデル
- 2015.02.05:100回勝負に持ち込めば絶対に勝てる
- 2015.01.22:キリンビバレッジは逆転できるのか?
- 2015.01.08:「孫子」を活用するための最大のキーワード
- 2014.12.31:「孫子の兵法」を学ぶ
- 2014.12.25:ハウステンボスはどのようにして再建されたのか?
- 2014.12.11:テラモーターズは、なぜオートバイ市場のトップ企業となったのか?
- 2014.11.27:人を動かすシンプルなメソッド
- 2014.11.13:嫌いな顧客を嫌いだと思わなくなる方法
- 2014.10.30:縄文時代が何年続いたか知ってます?
- 2014.10.02:阪神タイガースはなぜ優勝できないのか?
- 2014.09.18:創業塾でのQ&A
- 2014.08.21:コンビニのアイスクリームはどうなっているのか
- 2014.08.07:創業して10年続く人が持っている3つの資質
- 2014.07.24:私が「孫子」を使う理由
- 2014.07.10:「三国志」の戦いで勝敗が決する要因とは?
- 2014.06.26:「孫子の兵法」でみる2014年ワールドカップ日本代表の戦い
- 2014.06.12:マラドーナはなぜ三流監督で終わったのか?
- 2014.05.29:相性のいい顧客を探す方法
- 2014.05.15:営業が不得意な人は、営業なんてしない方が成果が上がる
- 2014.05.01:GoProは、強者になれるのか
- 2014.04.17:マクドナルドは、マイルドヤンキーを狙え!
- 2014.04.03:売れる仕組みが必要な理由
- 2014.03.20:営業プロセスがなければ組織は動かない
- 2014.03.06:ビジネスの設計図を作ろう
- 2014.02.20:彼を知り己を知れば...
- 2014.02.06:ビジョンは営業チームを一丸にする
- 2014.01.23:楽しくなければ営業じゃない!
- 2014.01.09:私がメルマガを書く「立ち位置」
- 2013.12.26:レゴは、なぜ世界第2位の玩具メーカーに復活したのか?
- 2013.12.12:コトラーに教えらえた初心に戻る
- 2013.11.28:日本のモノづくりを復活させるには
- 2013.11.14:レッドブルが世界で52億本も売れた「何か」
- 2013.10.31:ヤフーはどこに行こうとしているのか?
- 2013.10.17:飛び火マーケティングの時代-GoPro
- 2013.10.03:アップルは普通の企業になってしまった
- 2013.09.19:7年後、日本は巨大な展示会場になる
- 2013.09.05:店舗系ビジネスの弱者の戦略
- 2013.08.22:私がイチローから学ぶ3つのこと
- 2013.08.08:脱・人脈の営業
- 2013.07.25:ソーシャル時代の「真実の瞬間」
- 2013.07.11:統計は最強の営業マネジメントツールである
- 2013.06.27:新興宗教のビジネスモデル
- 2013.06.13:進化する教育システムに乗り遅れるな
- 2013.05.30:お医者さんや弁護士さんの営業戦略
- 2013.05.16:できる営業は、負け方が違う
- 2013.05.02:宮崎駿とスタジオジブリについて
- 2013.04.18:差別化は、マイナスせよ
- 2013.04.04:JAL再生にみる企業変革の王道
- 2013.03.21:第3回WBC終戦記念 がんばれプロ野球
- 2013.03.07:マイケル・ポーターの戦略はもう通用しないのか?
- 2013.02.21:王将の餃子は大阪を跳び出すか?
- 2013.02.07:営業チームマネジメントの第一歩
- 2013.01.24:失速したマクドナルドの次の一手は?
- 2013.01.10:阪神タイガースは暗黒時代に戻っていくのか
- 2012.12.27:衰退市場でトップを張る宝島社の戦略
- 2012.12.13:目標は、顧客総取り!
- 2012.11.29:答えのない問題に取り組めるのか
- 2012.11.15:手っ取り早く実績を上げるには
- 2012.11.01:プロ野球は、名選手しか監督になれないのか?
- 2012.10.18:世界王者が世界に挑戦!
- 2012.10.04:新・携帯電話版三国志
- 2012.09.20:安売りせずに売る方法
- 2012.09.06:脳内のリミットを外せ
- 2012.08.23:儲ける方法をタネ明かしする
- 2012.08.09:もうかるビジネスにはタネがある
- 2012.07.26:ステーキを売るな、○○を売れ!
- 2012.07.12:一流の営業になるために絶対に避けられない道
- 2012.06.28:顧客を創造するということ
- 2012.06.14:ビジネスが成立するための3つの要素
- 2012.05.31:理屈で捉えきれない会社もある
- 2012.05.17:戦術は現状を効率的にする。戦略は現状を破壊する
- 2012.05.03:物語風ビジネス書を読んでみよう
- 2012.04.19:市場価値より企業内価値を高めよう
- 2012.04.05:3つの起業家タイプが注意すること
- 2012.03.22:ソニーはどこへ行った?
- 2012.03.08:利益を上げるための最もシンプルな方法
- 2012.02.23:ランチェスター戦略を営業に活かすたった3つのプロセス
- 2012.02.09:日本の電機メーカーはどうすれば生き残れるのか
- 2012.01.26:心理学はビジネスに生かせるのか
- 2012.01.12:水戸黄門の終焉と大阪都構想
- 2011.12.29:「坂の上の雲」を越えていこう
- 2011.12.15:強い現場を作る方法
- 2011.12.01:なぜ落合博満はブレないのか?
- 2011.11.17:小さなお菓子屋さんが描く大きなストーリー
- 2011.11.03:理屈でメシは食えん!でいいの?
- 2011.10.20:iPhone vs iPhone
- 2011.10.06:本質からはじめよ!
- 2011.09.22:アマゾンにチャレンジ!
- 2011.09.08:さらば、スティーブ・ジョブズ
- 2011.08.25:マフィアにビジネスの極意を聞く
- 2011.08.11:たまにはビジネス小説でも読みましょうか
- 2011.07.28:なぜ我々にはマーケティングが必要なのか?
- 2011.07.14:「いい商品」って何ですか?
- 2011.06.30:カリスマ営業を有難がっても意味ないでしょう
- 2011.06.16:ネスプレッソが売れている理由
- 2011.06.02:孫子、ポーター、ランチェスター
- 2011.05.19:足腰の弱い欧米企業、頭の弱い日本企業
- 2011.05.05:斎藤佑樹はプロ野球で通用するか?
- 2011.04.21:ランチェスター戦略って役に立つの?
- 2011.04.07:温泉旅館を蘇らせるには
- 2011.03.24:弱い人をより弱くするのが戦略なのか
- 2011.03.10:タスク管理と時間管理のツール紹介
- 2011.02.24:プレーヤーからマネージャーへ
- 2011.02.10:110兆円の市場に遅れた日本
- 2011.01.27:物語と希望の深い関係
- 2011.01.13:グーグルVSアップル
- 2010.12.30:面白い戦略ストーリーの作り方
- 2010.12.16:残念な人には戦略がない
- 2010.12.02:理屈のない実行はギャンブルですよ
- 2010.11.18:メイド・カフェの営業プロセス
- 2010.11.04:プロ野球球団運営を成功させるには
- 2010.10.21:勝ちパターンの作り方
- 2010.10.07:たまには「哲学」の話をしよう
- 2010.09.23:世紀末都市・アキバ
- 2010.09.09:コンビニ・オーナーというビジネス
- 2010.08.26:もし現場のオッチャンがポーターを学んだら
- 2010.08.12:坂の上に雲は見えない?
- 2010.07.29:システム思考って何だろう
- 2010.07.15:営業は「点取り屋」ではない!
- 2010.07.01:戦略はストーリーで語れ2
- 2010.06.17:戦略はストーリーで語れ
- 2010.06.03:アップルは本当に最強なのか?
- 2010.05.20:営業生産性を上げる構造とは
- 2010.05.06:女子高生と一緒にドラッカーを学ぼう
- 2010.04.22:勝海舟が坂本龍馬に伝えたもの
- 2010.04.08:人をやる気にさせるにはどうすればいいのか
- 2010.03.25:アップルとユニ・チャーム~変革企業の共通点
- 2010.03.11:無料のビジネスって何だ?
- 2010.02.25:営業に必要な戦略的思考
- 2010.02.11:狩猟民族の構想力に学ぼう
- 2010.01.28:農耕営業のススメ
- 2010.01.14:2010年は日本企業のアジア進出元年になる
- 2009.12.31:2009年の携帯とジーンズと餃子
- 2009.12.17:20歳の頃の自分に読ませたい本
- 2009.12.03:日本茶も海外進出している
- 2009.11.19:ダイソンはなぜ売れたのか?
- 2009.11.05:私の考える効率的な営業とは
- 2009.10.22:島田紳助の研究2
- 2009.10.08:フォロワー企業のゲーム
- 2009.09.24:地域密着企業の営業戦術
- 2009.09.10:地域密着企業の経営方法
- 2009.08.27:マクドナルド 一人勝ちの理由
- 2009.08.13:死せる孔明、生ける仲達を走らす
- 2009.07.30:農業は儲かるのか?
- 2009.07.16:キリン、サントリー、アサヒ、オリオン
- 2009.07.02:戦略2、戦術1の法則
- 2009.06.18:いい顧客、悪い顧客
- 2009.06.04:日本で一番大切にしたい会社の戦略
- 2009.05.21:それぞれの「1万時間」を過ごそう
- 2009.05.07:社会起業は一般の起業と何が違うのか?
- 2009.04.23:もし諸葛孔明が経営顧問だったら
- 2009.04.09:物語の力を知ろう
- 2009.03.26:祝!WBC日本代表優勝
- 2009.03.12:小さな池の大きな魚
- 2009.02.26:農業にチャンスあり
- 2009.02.12:機能と情緒--2つの差別化の方法
- 2009.01.29:営業は結果を追ってはいけない
- 2009.01.15:真似したくてもできない事情がある
- 2009.01.01:欲しいものを作ってくれるビジネス
- 2008.12.18:オール・ザット・競争戦略
- 2008.12.04:ゼロ距離を目指す
- 2008.11.20:10/13の市場でビジネスする
- 2008.11.06:ローカルヒーロー花盛り
- 2008.10.23:いい商品を、いい人から、安い値段で買いたい
- 2008.10.09:経営で必要な知恵はすべて三国志で学んだ
- 2008.09.25:HONDAが空を飛ぶ!
- 2008.09.11:緊急性にフォーカスせよ!
- 2008.08.28:楽天グループ迷走す
- 2008.08.14:エコカー開発競争
- 2008.07.31:儲けるための仕組みを作ろう
- 2008.07.17:「黒船」iPhoneの衝撃
- 2008.07.03:野球は言葉でするもんや
- 2008.06.19:大阪の小さなものづくり企業
- 2008.06.05:事業コンセプトにこだわる
- 2008.04.24:黒澤明はなぜ世界進出に失敗したのか?
- 2008.04.10:スタジオアリスに見る市場特化の行方
- 2008.03.13:山形の洋菓子店がフォーカスしたもの
- 2008.02.28:阪神タイガースは獣王無敵か?
- 2008.02.14:薄型テレビ市場2.0 競争の鍵はブランド力か
- 2008.01.31:アシックスの戦略、ナイキの戦略
- 2008.01.17:「日本一の村」改革に挑戦
- 2008.01.03:マネることは差別化の第一歩
- 2007.12.20:駄菓子屋さんの成功要因
- 2007.12.06:P&Gの戦略-強者はこれだけ有利だ
- 2007.11.22:浪速のグローバル企業
- 2007.11.08:良いモノを作りさえすれば売れるのか
- 2007.10.25:巨人軍の凋落は止められるか?
- 2007.10.11:"志"が歴史を変えた--三国志に寄せて
- 2007.09.27:縮小するアパレル市場で生き残るには
- 2007.09.13:ハンバーガー帝国興亡の行方は
- 2007.08.30:日本製航空機は羽ばたくか
- 2007.08.16:織田信長はなぜ徳川家康に正室と嫡男の処分を命じたのか
- 2007.08.02:中小企業にとって仕組みとは
- 2007.07.19:島田紳助の研究
- 2007.07.05:最強のビジネスモデルとは何か
- 2007.06.21:迷った時は最終ユーザーに聞け
- 2007.06.07:弱者には弱者の販売促進がある
- 2007.05.24:一発逆転を狙ってはいけない
- 2007.05.10:豆腐一丁からビジネスを考える
- 2007.04.26:戦略がなければ生き残れない
- 2007.04.12:飲料業界は激変の予感
- 2007.03.29:経営理念こそ究極の差別化
- 2007.03.27:ホッピーはなぜ復活したのか
- 2007.03.15:引越し業の差別化競争時代
- 2007.03.01:コンビニ 本格競争時代に突入
- 2007.02.15:一人勝ちのワナにはまった松下電器
- 2007.02.01:ワインブームのその後
- 2007.01.18:本業がなくなってしまったら
- 2007.01.04:すべてはデジタル化する
- 2006.12.21:携帯電話版三国志
- 2006.12.07:小さな旅行会社の成功法則
- 2006.11.23:織田信長の戦略
- 2006.11.09:小さな市場に焦点を絞る会社は強い
- 2006.10.26:弱者を貫いて強者となった企業
- 2006.10.12:市場シェアの獲り過ぎに注意
- 2006.09.28:小さな市場でヒットを飛ばす
- 2006.09.14:日本酒市場あれこれ
- 2006.08.31:小さな市場で戦え
- 2006.08.17:もう1つの成長産業
- 2006.08.03:ランチェスター戦略が示すこと
- 2006.07.20:チャンスがあることを皆が知っている市場
- 2006.07.06:商品の意味が変わる時
- 2006.06.22:サッカーW杯にみる「戦略とは」
- 2006.05.25:SMPを意識する
- 2006.05.11:"営業嫌い"は会社の責任だ
- 2006.04.27:営業の分かりやすいコトバとは
- 2006.04.13:残りの80%に富を再配分する
- 2006.03.30:とるに足りない80%
- 2006.03.16:狭く、深く掘り進めれば、視界は開ける
- 2006.03.02:日本の消費者は世界レベルに近づいている
- 2006.02.16:ノウハウを捨てよう!
- 2006.02.02:一番、損になることをしよう
- 2006.01.19:技術系小企業が生き残るには
- 2006.01.05:すでに起こった未来
- 2005.12.22:顧客接点がビジネスの命綱
- 2005.12.08:一点集中戦略の落とし穴
- 2005.11.24:松下電器の一点集中戦略
- 2005.10.27:2005年日本シリーズを斬る
- 2005.10.13:例外に注目せよ
- 2005.10.10:成長の壁を乗り越える
- 2005.09.29:常識を少しずらすとチャンスが生まれる
- 2005.09.15:見えない敵と戦うには
- 2005.09.01:最も怖いのは見えない敵だ
- 2005.08.18:不滅の営業手法
- 2005.07.22:いつまで川原で石を売るのですか?(3)
- 2005.07.07:いつまで川原で石を売るのですか?(2)
- 2005.06.23:いつまで川原で石を売るのですか?(1)
- 2005.06.09:年功序列の市場はもう無い
- 2005.05.26:バーガーキング復活
- 2005.03.03:オニツカ錐もみ商法とは(後編)
- 2005.02.17:オニツカ錐もみ商法とは(前編)
- 2005.02.03:売れないのではなく、売っていないんですよ
- 2005.01.20:中小企業が狙う中国市場とは
- 2005.01.05:常識にとらわれない戦略を戦う
- 2004.12.24:小さな企業は逆転の発想で戦え!
- 2004.12.09:ゲーム型競争時代は終わらない
- 2004.11.11:北欧企業にみるランチェスター戦略
- 2004.11.02:UTADA全米進出失敗を斬る
- 2004.08.22:韓国ドラマ、なぜ人気?
- 2002.09.07:戦略とは見えざるもの
- 2002.09.07:営業をシステムとして把握する
- 2002.09.07:組織営業を導入しよう
- 2002.09.07:SMPメソッドとは
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2019.07.16 2019年7月16日「はじめてのマネジメント入門」セミナー受講後アンケートの声です。※アンケート回収47名のうち、当セミナーの内容がビジネスに ①大いに役立つ15名、②役立つ31名、③あまり役に立たな...
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