たまには「哲学」の話をしよう

2010.10.07

(2010年10月7日メルマガより)

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■マイケル・サンデルというハーバード大学の哲学教授が書いた「これから
の「正義」の話をしよう──いまを生き延びるための哲学
」という本が話題
となっています。

この人の授業を収録した「ハーバード白熱教室」なる番組がきっかけになっ
た著作なんですかね。こちらも人気です。

私は、東京大学での特別授業編を観ました。

「哲学」というと、浮世離れした老人が、抽象的な原則論を重箱の隅をつつ
くような偏執さで、延々と続ける答えのない思索の記録か、と思っていれば、
さにあらず。

サンデル教授の授業は、ユーモアに溢れた調子で、身近な事例(金融危機、
テロ、戦後補償、裏口入学など)をネタに分かりやすく討議してくれるので、
非常に分かりやすい。

このテレビ番組をきっかけに日本でもまた哲学ブームがきているというのも
頷けます。

この著作は、サンデル教授が、自分の授業で議題になっている問題をまとめ
て、自分なりの考え方を提示したものです。

■経営の話を聞きたい人に「哲学」のことを話したら、鼻白まれるかもしれ
ませんね。

気持ちは分かります。でも今回は我慢してください^^

■以前、社会起業家を名乗る人から依頼を受けたことがありました。

この話は前にもしたかも知れませんが...

詳しくは話せませんが、さる社会問題をビジネスで解決しようと計画してお
られる方でした。

私に声をかけてきたのは、起業する以上は営業力がいるので手伝ってほしい
ということでした。

無料で。です。

最初は、言外に、儲かれば利益を渡す、などと匂わせていましたが、結局は
タダで協力せよということでした。

もちろん私は断わって、営業戦略に関する考え方だけを伝えました。

すると、その方に怒られてしまいました^^;

具体的に売ってほしいと言っているのに、抽象的な戦略論などして何になる
んだ!ということでした。

しかも、これはそのままの言葉なのですが「私のビジネスは善意に支えられ
ているのだから、営業戦略などと言っていたら、協力してくれる皆さんに申
し訳ない」と言い出したのです。

つまり、営業などという汚れ仕事は、他人に任せたいということですな。

あまりにもバカバカしくて、その人の間違いを指摘する気にもなりませんで
したが...

■今でも呆れてしまいますね。

戦略は他人に作ってもらうものではありません。自分で顧客を選んで、それ
に適した商品作りをしなければなりません。

他人から営業ノウハウだけをいくら聞いたとしても、それが戦略に則してい
ない限り、持続的な売上を望むべくもない。

ましてや営業は他人に任せて、自分は安全地帯にいようという魂胆では、一
生販売することなど無理です。

そもそも営業はタダでできるものではありません。製造と同じぐらいコスト
がかかるものです。

言いたいことはいっぱいありますが、一番言わなければならないのは、経営
戦略は、人に言えないような怪しげなものではないということです。

何も社会問題の解決だけが社会貢献の道ではない。

あらゆる仕事は、社会貢献につながっており、経営戦略やマーケティング戦
略は、それを実現するための手法となります。

■マーケティングの目的は「社会貢献」です。

「社会に貢献しない企業は生き残れない」と、マーケティングを知っている
者は誰もが言うはずです。

ちなみに私が好きなのは、花王の副社長であった佐川幸三郎氏の「仕事とは、
よりよい社会を作るための我々に与えられた社会的分担である」という言葉
です。

私が今の仕事を選んだのも、マーケティングの基本理念に共感し「ビジネス
でよりよい社会を作る」その意味をもっと追求したいと思ったからです。

今では、あらゆる仕事を真面目に取り組むことが、社会貢献につながること
だと信じています。

■ただし「よりよい社会って何だ?」という問いには、それは哲学の範疇だ
から、とずっと逃げていました。

「よりよい社会」という概念があまりにも漠然としていることは、認めざる
を得ない。

だけど厳密に定義しようとすれば厄介です。良いor善いって何だ?

しかも、いろいろ考えた末に「ま、いろいろな考え方があるってことですな」
と最後に言ってそうな気がする^^;

でも、ここを逃げていたら、私の信じるものの正当性を証明することができ
なくなります。

今回のサンデル教授の著作は、それを考えるいい機会になったと思った次第
です。

■サンデル教授の授業が分かりやすいのは、生徒たちが提起する様々な意見
を一定のフレームワークに当てはめて、再提示してくれることです。

フレームワークに当てはめることの弊害があるかも知れませんが、とりあえ
ずは整理されていて分かりやすい。

だから、今回は、私なりに、教授のフレームワークをなぞってみたいと思い
ます。

■私たちがビジネスで正しいことをしようとする時、多くの人が理論的根拠
としているのが「功利主義」という考え方です。

これは、社会全体の幸福が最大化するように、個人の幸福を設計管理すると
いう考え方であり、「最大多数の最大幸福」などと呼ばれたりします。

例えば、複数の異なる要望があちこちにあり、あちらを立てればこちらが立
たず、というような状況にある時、全体としての満足度が上がるような決定
をしようという考え方です。

ありていに言えば、1人だけが要求する事柄よりも、100人が要望してい
る事柄を優先させようということ。

要するに、功利主義は個人の都合よりも万人の幸福を優先します。

現代社会の多くは、功利主義の立場に立脚しています。

菅直人総理は「最小不幸社会」というスローガンを掲げていますが、これは、
「最大幸福」の1バリエーションであり、功利主義に他なりません。

■功利主義の思想を体系化したのは、英国のジェレミ・ベンサムです。(1
8-19世紀)

ただし、功利主義は、少数者の利益をどのように扱うのかという問題を抱え
ています。

例えば、ある国に少数民族がいる場合、その要望は相対的に無視されなけれ
ばならないのか。

もっとシリアスに、1人を見殺しにすることで、その他大勢を助けるという
ことが許されるのか。

あるいは、努力して成功した一部の者よりも、努力しないで安穏としている
その他大勢の要望を受け入れなければならないのか。

ベンサムの思想を補完したのが、同じく英国のジョン・スチュアート・ミル
(19世紀)です。

彼は、少数者を見殺しにするような社会は、倫理が荒廃し、長期的には衰退
してしまうので、結果として社会の幸福度を下げてしまうと言っています。

ベンサムの思想に、長期的、という項目を付け加え、人間的な道徳感情に抵
触しないように配慮したわけです。

少数者を見殺しにしてはいけない。努力する者には報いなければならない。
なぜなら、長期的には、それが社会をよくすることにつながるからである。

あくまで、社会全体にとって損か得か、という観点から、幸福度を数値化し、
定量的に判断しています。

したがって、ビジネスの諸局面において、自分の活動がよりよい社会に資す
ることにつながるのかという判断は、あくまで、よりよい社会を構成する諸
要素を高めることにつながらなければならない。

といいながらその諸要素とは何か、それぞれのつながりとは何か、というこ
とに答えるのは難しいのですが、とにかくその難しいことに取り組んでいか
なければ、よりよい社会は実現できないと考えます。

現代社会は、このミルによる功利主義の立場をとることが多いと言っていい
でしょう。

■ベンサムの功利主義に対立するのが「自由主義」です。

これは、人間は、誰かからあれこれ規制されることなく、自由に振舞う権利
がある。という考え方です。

だから、税金でとられるのはイヤだ。自分の稼ぎは自分で使う。貧しい人に
分配したかったら、自分でやるので、政府に強制されたくない。

結果として、政府に干渉されずに、自由に行動し、自由に競争することが、
社会の発展につながると考えます。

その分、自由主義者は、契約を重んじます。何かをする自由、しない自由を
認め、契約を守ることで秩序を保ちます。

もっともミルは、社会の発展と幸福度の増加という観点から、ある程度の自
由主義を容認する考えを示しています。

今の社会は、功利主義と自由主義が混在しており、厳密に線引きされている
わけではありません。

■いや、自由とはそんな利己的なものではない、と主張する人もいます。

それが、ドイツの哲学者イマヌエル・カント(18世紀)の思想を奉じる一
派です。

カントの自由に対する哲学は、厳格であり、難解でもあります。

カントによれば、欲望につき動かされる人間は自由なのではなく、欲望の奴
隷に過ぎない。

真の自由とは、様々な欲求に縛られない真に自律的な行動をとることである。

カントにとって、自律的な行動とは、何かを目的にするものではなく、純粋
にそれをしようという意図で行動することです。

成功するために努力する、というのは成功したいという欲求に囚われた他律
的な行動です。

誰かに誉められたいからお年寄りに親切にする、というのも他律的です。

何かのためにすることは自律ではないから、自由な行動ではない、とカント
は言っています。

人間は他律的に行動する時も多いが、純粋な理性の力によって、それが正し
いという判断から行動することができる存在である。その時こそ、彼は自由
な存在である、というのです。

分かりますかね...

■だからカントの思想によれば、功利主義などとても認められない。

なぜなら、功利主義は、多数の「幸福になりたい」という欲求を最大公約数
的に叶えようとする制度であり、これこそ他律行動の塊だからです。

功利主義は、何が幸福なのかという根本が流動的で、行動の規準が脆弱です。

また、仮に大勢の意見を集約して最大幸福を実現したとしても、それが必ず
しも「善」であるとは限らないじゃないか。

カントは、普遍的な道徳原則を個人が厳密に守ることが、全体の善を生み、
幸せにつながるのだと言っています。

ただし、普遍的な道徳原則とは何かということに対して明確な解答はしてい
ません。

全ての人類に普遍的で、人格そのものを目的とするもの。生命を守る、とか、
嘘をつかない、とか、貞節を守る、とかそういったことのようです。

それでも、そういういわば当たり前の道徳を守ることがよりよい社会の実現
につながるという考え方は、分かりやすく魅力的です。

自分が信じる生き方を貫くブレない人というのは、いいですよね。

■カントの思想を利用して自分の思想を形成したのが、アメリカのジョン・
ロールズ(20世紀)です。

ロールズは、人は他人の自由を侵さない限りは自由な存在であると考えます。

そして、自由であることは平等でなければならない。

ただし、社会的・経済的不平等は、機会が均等であること、および、格差が
あることによって最弱者が利すること(医者が高給であるために、貧しい人
にも医療を行き渡らせることができるなど)において認められる。

ロールズは、我々は、社会と暗黙の契約を交わしているのだと考えます。そ
れが守るべき社会のルールとなります。

だから、社会と交わした暗黙の契約を遵守することが、平等な社会を実現し、
正義を体現する道となります。

もっともやはり、その契約の具体的内容については抽象的な話でしか伝わっ
てきません。

原初の人間が、選択するルール。などという思考実験をして考えられていま
すが、その思考方法には批判も多いようです。

それでも、このロールズの「平等主義」思想はアメリカの社会制度や経済学
に大きな影響を及ぼしています。

他人に迷惑をかけない限り自由。ただし機会は均等である。これがアメリカ
人の正義感に与えた影響は少なくないでしょう。

もっともロールズは、生まれながらの貧富の差や、才能の有無は、不公平だ
から是正されなければならないと述べてもいます。

じゃあ、イチローがその野球の才能によって評価され、高額な報酬を受け取
るのは不公平だというのか?

ロールズは不公平だ、と言っています。

これは俄かには納得できない意見ですね。ロールズによると、真に公正な競
争は、生まれながらの貧富の差や才能の有無を是正してから始めなければな
らない。

ゴルフのようにハンディをつけるという考え方でしょうか。これはちょっと
分かりにくい考えですが、ロールズの理想の社会とはそうしたもののようで
す。

■普遍的な道徳原則。あるいは暗黙の契約。などというと、私はプラトンの
イデア論を思い出します。

現実世界とは別に、天上には完全な「イデア」が存在するという思想です。

正義とか道徳とか、曖昧なことでも、天上には完全なイデアが存在する。た
またま私たち下界の人間には、不完全な形しか見えていないだけで、本当は
純粋な完全体が存在しているのは間違いないという考えです。

抽象的な思考をする時に、イデア論ほど便利で優れた思考方法はありません
ね。

そのプラトンの弟子のアリストテレス(紀元前4世紀)は、すべての人間や
社会は目的を持っていると説きます。

その目的とは、端的にいうと「美徳」を為すことです。

アリストテレスにとって、幸福とは、美徳を実現した状態です。悪しき欲求
は退け、善い欲求を選択すること。

美徳を為すことが人間や社会の目的となります。

ただし、やはりここでも、美徳の内容はよく分からない。なにしろ真の美徳
とは天上界にあるものですから、下界の我々には、曖昧で抽象的なものにし
か見えない。

だからこそ、我々は、天上にある美徳を求め続けなければならないとアリス
トテレスは言っています。

■こうして見ると、正義に対する考え方は実に多様です。それぞれが一長一
短を持っているので、一概にこれが正しいと決めるわけにはいきません。

私は戦略に関する仕事をしているので、「目的の重視」「相対的」「数値化」
などから、功利主義に馴染みやすいと考えています。

確かに幸福を数値化することは困難だし、不可能かも知れません。それでも、
するしかないと思っています。

ただし、長期的という概念は必須です。ミルのいうように、短期的な功利主
義は衆愚につながります。

長期的な幸福を目指す、それが我々の「美徳」と思えるような行動と結びつ
けることはできないだろうか。

困難でも、何が幸福か、何が美徳かということは考え続けなければならない
ことです。

また功利主義には「範囲」の問題もあります。

社会の範囲を日本全体とするのか、地域とするのか、家族とするのか。

家族のために他人を犠牲にすることは許されることなのか。あるいは、自国
のために、他国を犠牲にしてもいいのか。

家族に対する思いや国に対する愛着は、人間の感情に直結したものですから、
否定しがたい。だからこそ哲学として考えなければならない題材なのですが。

それならば、純粋に自分の信念に従う自由主義の方がいいのではないか、と
いう考えもあります。

カントが理想とするような、周りの変化に流されないブレない生き方を貫く
ことはかっこいいですからね^^

しかし、カントの道徳観は非常に厳格で、嘘も方便などということは認めて
いません。

アンネ・フランクを守るために、ナチスに嘘をつくことも許していませんの
で、あまりにも厳格すぎて現実離れしています。

このように、哲学は突き詰めれば突き詰めるほど、現実とは相容れない部分
が出てきてしまう。

そして、それを現実と折り合いをつけるために思想の進化を行うことが、哲
学の発展となっていきます。

■はっきり言いまして、これらの問題に解答を出すことはできません。

サンデル教授も「正義について考えることが、よりよい社会を作ることに近
づく」と述べるに止まっており、明確な解答を出すことが意図ではないと言
っているようです。

それはそうでしょうな。正義とは何か?という問題に明確な解答を示す方が、
胡散臭い。私はそのような者を信用しません。

哲学とは、「えいや!」と答えを出せるような安易なものではありません。
ギリシア時代から、ほんの少ししか進めることができていない実に厳格なも
のなのです。

それでも各時代の哲学者が刻苦精進して、牛歩のようにでも人類を賢くして
いっているのだとサンデル教授は語っています。

成功した実務家は嘲笑し、失敗した実務家は反感を持つでしょうが、それが
哲学的な態度というものです。

私は彼のその信念を支持します。

■今回、改めて思ったのですが、私のコンサルティングに対する姿勢は、哲
学に対する姿勢と似ているかも知れません。

自称社会起業家のように「儲かるノウハウだけを教えてくれ」と言われるこ
とは多い。

特に仲介業者などが入った時は露骨です^^;顧客はクッションがある分、
要求が生々しくなります。

顧客がランチェスター戦略に求めるものは、手っ取り早く売る方法なんだろ
うなと感じることもあります。

正直に言って、ランチェスター戦略を知れば誰でもすぐに儲かると大々的に
喧伝し、顧客の"劣情"を利用しているコンサルタントがいるかも知れませ
ん。

それは嘘だし、安易な逃げです。

私的な経験や思いつきを顧客に押し付け、3割でも当たればいいや、という
考えにはなれません。

インパクトがないと言われようが、デクノボーと言われようが、私はそうい
うものに加担したくない。

あくまで理論と現実の導入と検証を繰り返す中で、企業にとっての最適な解
を導き出して、社会正義を実現していきたい。

それがコンサルタントの誠実さであり、自分の良心に従う道であると考えま
す。



(2010年10月7日メルマガより)

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■マイケル・サンデルというハーバード大学の哲学教授が書いた「これから
の「正義」の話をしよう──いまを生き延びるための哲学
」という本が話題
となっています。

この人の授業を収録した「ハーバード白熱教室」なる番組がきっかけになっ
た著作なんですかね。こちらも人気です。

私は、東京大学での特別授業編を観ました。

「哲学」というと、浮世離れした老人が、抽象的な原則論を重箱の隅をつつ
くような偏執さで、延々と続ける答えのない思索の記録か、と思っていれば、
さにあらず。

サンデル教授の授業は、ユーモアに溢れた調子で、身近な事例(金融危機、
テロ、戦後補償、裏口入学など)をネタに分かりやすく討議してくれるので、
非常に分かりやすい。

このテレビ番組をきっかけに日本でもまた哲学ブームがきているというのも
頷けます。

この著作は、サンデル教授が、自分の授業で議題になっている問題をまとめ
て、自分なりの考え方を提示したものです。

■経営の話を聞きたい人に「哲学」のことを話したら、鼻白まれるかもしれ
ませんね。

気持ちは分かります。でも今回は我慢してください^^

■以前、社会起業家を名乗る人から依頼を受けたことがありました。

この話は前にもしたかも知れませんが...

詳しくは話せませんが、さる社会問題をビジネスで解決しようと計画してお
られる方でした。

私に声をかけてきたのは、起業する以上は営業力がいるので手伝ってほしい
ということでした。

無料で。です。

最初は、言外に、儲かれば利益を渡す、などと匂わせていましたが、結局は
タダで協力せよということでした。

もちろん私は断わって、営業戦略に関する考え方だけを伝えました。

すると、その方に怒られてしまいました^^;

具体的に売ってほしいと言っているのに、抽象的な戦略論などして何になる
んだ!ということでした。

しかも、これはそのままの言葉なのですが「私のビジネスは善意に支えられ
ているのだから、営業戦略などと言っていたら、協力してくれる皆さんに申
し訳ない」と言い出したのです。

つまり、営業などという汚れ仕事は、他人に任せたいということですな。

あまりにもバカバカしくて、その人の間違いを指摘する気にもなりませんで
したが...

■今でも呆れてしまいますね。

戦略は他人に作ってもらうものではありません。自分で顧客を選んで、それ
に適した商品作りをしなければなりません。

他人から営業ノウハウだけをいくら聞いたとしても、それが戦略に則してい
ない限り、持続的な売上を望むべくもない。

ましてや営業は他人に任せて、自分は安全地帯にいようという魂胆では、一
生販売することなど無理です。

そもそも営業はタダでできるものではありません。製造と同じぐらいコスト
がかかるものです。

言いたいことはいっぱいありますが、一番言わなければならないのは、経営
戦略は、人に言えないような怪しげなものではないということです。

何も社会問題の解決だけが社会貢献の道ではない。

あらゆる仕事は、社会貢献につながっており、経営戦略やマーケティング戦
略は、それを実現するための手法となります。

■マーケティングの目的は「社会貢献」です。

「社会に貢献しない企業は生き残れない」と、マーケティングを知っている
者は誰もが言うはずです。

ちなみに私が好きなのは、花王の副社長であった佐川幸三郎氏の「仕事とは、
よりよい社会を作るための我々に与えられた社会的分担である」という言葉
です。

私が今の仕事を選んだのも、マーケティングの基本理念に共感し「ビジネス
でよりよい社会を作る」その意味をもっと追求したいと思ったからです。

今では、あらゆる仕事を真面目に取り組むことが、社会貢献につながること
だと信じています。

■ただし「よりよい社会って何だ?」という問いには、それは哲学の範疇だ
から、とずっと逃げていました。

「よりよい社会」という概念があまりにも漠然としていることは、認めざる
を得ない。

だけど厳密に定義しようとすれば厄介です。良いor善いって何だ?

しかも、いろいろ考えた末に「ま、いろいろな考え方があるってことですな」
と最後に言ってそうな気がする^^;

でも、ここを逃げていたら、私の信じるものの正当性を証明することができ
なくなります。

今回のサンデル教授の著作は、それを考えるいい機会になったと思った次第
です。

■サンデル教授の授業が分かりやすいのは、生徒たちが提起する様々な意見
を一定のフレームワークに当てはめて、再提示してくれることです。

フレームワークに当てはめることの弊害があるかも知れませんが、とりあえ
ずは整理されていて分かりやすい。

だから、今回は、私なりに、教授のフレームワークをなぞってみたいと思い
ます。

■私たちがビジネスで正しいことをしようとする時、多くの人が理論的根拠
としているのが「功利主義」という考え方です。

これは、社会全体の幸福が最大化するように、個人の幸福を設計管理すると
いう考え方であり、「最大多数の最大幸福」などと呼ばれたりします。

例えば、複数の異なる要望があちこちにあり、あちらを立てればこちらが立
たず、というような状況にある時、全体としての満足度が上がるような決定
をしようという考え方です。

ありていに言えば、1人だけが要求する事柄よりも、100人が要望してい
る事柄を優先させようということ。

要するに、功利主義は個人の都合よりも万人の幸福を優先します。

現代社会の多くは、功利主義の立場に立脚しています。

菅直人総理は「最小不幸社会」というスローガンを掲げていますが、これは、
「最大幸福」の1バリエーションであり、功利主義に他なりません。

■功利主義の思想を体系化したのは、英国のジェレミ・ベンサムです。(1
8-19世紀)

ただし、功利主義は、少数者の利益をどのように扱うのかという問題を抱え
ています。

例えば、ある国に少数民族がいる場合、その要望は相対的に無視されなけれ
ばならないのか。

もっとシリアスに、1人を見殺しにすることで、その他大勢を助けるという
ことが許されるのか。

あるいは、努力して成功した一部の者よりも、努力しないで安穏としている
その他大勢の要望を受け入れなければならないのか。

ベンサムの思想を補完したのが、同じく英国のジョン・スチュアート・ミル
(19世紀)です。

彼は、少数者を見殺しにするような社会は、倫理が荒廃し、長期的には衰退
してしまうので、結果として社会の幸福度を下げてしまうと言っています。

ベンサムの思想に、長期的、という項目を付け加え、人間的な道徳感情に抵
触しないように配慮したわけです。

少数者を見殺しにしてはいけない。努力する者には報いなければならない。
なぜなら、長期的には、それが社会をよくすることにつながるからである。

あくまで、社会全体にとって損か得か、という観点から、幸福度を数値化し、
定量的に判断しています。

したがって、ビジネスの諸局面において、自分の活動がよりよい社会に資す
ることにつながるのかという判断は、あくまで、よりよい社会を構成する諸
要素を高めることにつながらなければならない。

といいながらその諸要素とは何か、それぞれのつながりとは何か、というこ
とに答えるのは難しいのですが、とにかくその難しいことに取り組んでいか
なければ、よりよい社会は実現できないと考えます。

現代社会は、このミルによる功利主義の立場をとることが多いと言っていい
でしょう。

■ベンサムの功利主義に対立するのが「自由主義」です。

これは、人間は、誰かからあれこれ規制されることなく、自由に振舞う権利
がある。という考え方です。

だから、税金でとられるのはイヤだ。自分の稼ぎは自分で使う。貧しい人に
分配したかったら、自分でやるので、政府に強制されたくない。

結果として、政府に干渉されずに、自由に行動し、自由に競争することが、
社会の発展につながると考えます。

その分、自由主義者は、契約を重んじます。何かをする自由、しない自由を
認め、契約を守ることで秩序を保ちます。

もっともミルは、社会の発展と幸福度の増加という観点から、ある程度の自
由主義を容認する考えを示しています。

今の社会は、功利主義と自由主義が混在しており、厳密に線引きされている
わけではありません。

■いや、自由とはそんな利己的なものではない、と主張する人もいます。

それが、ドイツの哲学者イマヌエル・カント(18世紀)の思想を奉じる一
派です。

カントの自由に対する哲学は、厳格であり、難解でもあります。

カントによれば、欲望につき動かされる人間は自由なのではなく、欲望の奴
隷に過ぎない。

真の自由とは、様々な欲求に縛られない真に自律的な行動をとることである。

カントにとって、自律的な行動とは、何かを目的にするものではなく、純粋
にそれをしようという意図で行動することです。

成功するために努力する、というのは成功したいという欲求に囚われた他律
的な行動です。

誰かに誉められたいからお年寄りに親切にする、というのも他律的です。

何かのためにすることは自律ではないから、自由な行動ではない、とカント
は言っています。

人間は他律的に行動する時も多いが、純粋な理性の力によって、それが正し
いという判断から行動することができる存在である。その時こそ、彼は自由
な存在である、というのです。

分かりますかね...

■だからカントの思想によれば、功利主義などとても認められない。

なぜなら、功利主義は、多数の「幸福になりたい」という欲求を最大公約数
的に叶えようとする制度であり、これこそ他律行動の塊だからです。

功利主義は、何が幸福なのかという根本が流動的で、行動の規準が脆弱です。

また、仮に大勢の意見を集約して最大幸福を実現したとしても、それが必ず
しも「善」であるとは限らないじゃないか。

カントは、普遍的な道徳原則を個人が厳密に守ることが、全体の善を生み、
幸せにつながるのだと言っています。

ただし、普遍的な道徳原則とは何かということに対して明確な解答はしてい
ません。

全ての人類に普遍的で、人格そのものを目的とするもの。生命を守る、とか、
嘘をつかない、とか、貞節を守る、とかそういったことのようです。

それでも、そういういわば当たり前の道徳を守ることがよりよい社会の実現
につながるという考え方は、分かりやすく魅力的です。

自分が信じる生き方を貫くブレない人というのは、いいですよね。

■カントの思想を利用して自分の思想を形成したのが、アメリカのジョン・
ロールズ(20世紀)です。

ロールズは、人は他人の自由を侵さない限りは自由な存在であると考えます。

そして、自由であることは平等でなければならない。

ただし、社会的・経済的不平等は、機会が均等であること、および、格差が
あることによって最弱者が利すること(医者が高給であるために、貧しい人
にも医療を行き渡らせることができるなど)において認められる。

ロールズは、我々は、社会と暗黙の契約を交わしているのだと考えます。そ
れが守るべき社会のルールとなります。

だから、社会と交わした暗黙の契約を遵守することが、平等な社会を実現し、
正義を体現する道となります。

もっともやはり、その契約の具体的内容については抽象的な話でしか伝わっ
てきません。

原初の人間が、選択するルール。などという思考実験をして考えられていま
すが、その思考方法には批判も多いようです。

それでも、このロールズの「平等主義」思想はアメリカの社会制度や経済学
に大きな影響を及ぼしています。

他人に迷惑をかけない限り自由。ただし機会は均等である。これがアメリカ
人の正義感に与えた影響は少なくないでしょう。

もっともロールズは、生まれながらの貧富の差や、才能の有無は、不公平だ
から是正されなければならないと述べてもいます。

じゃあ、イチローがその野球の才能によって評価され、高額な報酬を受け取
るのは不公平だというのか?

ロールズは不公平だ、と言っています。

これは俄かには納得できない意見ですね。ロールズによると、真に公正な競
争は、生まれながらの貧富の差や才能の有無を是正してから始めなければな
らない。

ゴルフのようにハンディをつけるという考え方でしょうか。これはちょっと
分かりにくい考えですが、ロールズの理想の社会とはそうしたもののようで
す。

■普遍的な道徳原則。あるいは暗黙の契約。などというと、私はプラトンの
イデア論を思い出します。

現実世界とは別に、天上には完全な「イデア」が存在するという思想です。

正義とか道徳とか、曖昧なことでも、天上には完全なイデアが存在する。た
またま私たち下界の人間には、不完全な形しか見えていないだけで、本当は
純粋な完全体が存在しているのは間違いないという考えです。

抽象的な思考をする時に、イデア論ほど便利で優れた思考方法はありません
ね。

そのプラトンの弟子のアリストテレス(紀元前4世紀)は、すべての人間や
社会は目的を持っていると説きます。

その目的とは、端的にいうと「美徳」を為すことです。

アリストテレスにとって、幸福とは、美徳を実現した状態です。悪しき欲求
は退け、善い欲求を選択すること。

美徳を為すことが人間や社会の目的となります。

ただし、やはりここでも、美徳の内容はよく分からない。なにしろ真の美徳
とは天上界にあるものですから、下界の我々には、曖昧で抽象的なものにし
か見えない。

だからこそ、我々は、天上にある美徳を求め続けなければならないとアリス
トテレスは言っています。

■こうして見ると、正義に対する考え方は実に多様です。それぞれが一長一
短を持っているので、一概にこれが正しいと決めるわけにはいきません。

私は戦略に関する仕事をしているので、「目的の重視」「相対的」「数値化」
などから、功利主義に馴染みやすいと考えています。

確かに幸福を数値化することは困難だし、不可能かも知れません。それでも、
するしかないと思っています。

ただし、長期的という概念は必須です。ミルのいうように、短期的な功利主
義は衆愚につながります。

長期的な幸福を目指す、それが我々の「美徳」と思えるような行動と結びつ
けることはできないだろうか。

困難でも、何が幸福か、何が美徳かということは考え続けなければならない
ことです。

また功利主義には「範囲」の問題もあります。

社会の範囲を日本全体とするのか、地域とするのか、家族とするのか。

家族のために他人を犠牲にすることは許されることなのか。あるいは、自国
のために、他国を犠牲にしてもいいのか。

家族に対する思いや国に対する愛着は、人間の感情に直結したものですから、
否定しがたい。だからこそ哲学として考えなければならない題材なのですが。

それならば、純粋に自分の信念に従う自由主義の方がいいのではないか、と
いう考えもあります。

カントが理想とするような、周りの変化に流されないブレない生き方を貫く
ことはかっこいいですからね^^

しかし、カントの道徳観は非常に厳格で、嘘も方便などということは認めて
いません。

アンネ・フランクを守るために、ナチスに嘘をつくことも許していませんの
で、あまりにも厳格すぎて現実離れしています。

このように、哲学は突き詰めれば突き詰めるほど、現実とは相容れない部分
が出てきてしまう。

そして、それを現実と折り合いをつけるために思想の進化を行うことが、哲
学の発展となっていきます。

■はっきり言いまして、これらの問題に解答を出すことはできません。

サンデル教授も「正義について考えることが、よりよい社会を作ることに近
づく」と述べるに止まっており、明確な解答を出すことが意図ではないと言
っているようです。

それはそうでしょうな。正義とは何か?という問題に明確な解答を示す方が、
胡散臭い。私はそのような者を信用しません。

哲学とは、「えいや!」と答えを出せるような安易なものではありません。
ギリシア時代から、ほんの少ししか進めることができていない実に厳格なも
のなのです。

それでも各時代の哲学者が刻苦精進して、牛歩のようにでも人類を賢くして
いっているのだとサンデル教授は語っています。

成功した実務家は嘲笑し、失敗した実務家は反感を持つでしょうが、それが
哲学的な態度というものです。

私は彼のその信念を支持します。

■今回、改めて思ったのですが、私のコンサルティングに対する姿勢は、哲
学に対する姿勢と似ているかも知れません。

自称社会起業家のように「儲かるノウハウだけを教えてくれ」と言われるこ
とは多い。

特に仲介業者などが入った時は露骨です^^;顧客はクッションがある分、
要求が生々しくなります。

顧客がランチェスター戦略に求めるものは、手っ取り早く売る方法なんだろ
うなと感じることもあります。

正直に言って、ランチェスター戦略を知れば誰でもすぐに儲かると大々的に
喧伝し、顧客の"劣情"を利用しているコンサルタントがいるかも知れませ
ん。

それは嘘だし、安易な逃げです。

私的な経験や思いつきを顧客に押し付け、3割でも当たればいいや、という
考えにはなれません。

インパクトがないと言われようが、デクノボーと言われようが、私はそうい
うものに加担したくない。

あくまで理論と現実の導入と検証を繰り返す中で、企業にとっての最適な解
を導き出して、社会正義を実現していきたい。

それがコンサルタントの誠実さであり、自分の良心に従う道であると考えま
す。



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