進化する教育システムに乗り遅れるな

2013.06.13

(2013年6月13日メルマガより)


■先週、サッカー日本代表が、
ワールドカップ本戦への出場資格を獲得しました。

おめでとうございます。喜ばしい限りです。

その祝勝会的な選手への共同インタビューでの本田圭佑選手の発言が話題となっています。

念のためにいうと、本田圭佑選手は、自他ともに認める日本代表のエースです。

今回のオーストラリア戦でも、後半の終わり頃に失点、敗戦ムード漂う中、引き分けに持ち込む原動力となったのが、本田圭佑選手の個人的な突破力でした。

その本田選手が、お祝い気分を一喝するかのようにこう発言したのです。

「(日本が得意とする)チームワークなど生まれつき持っているものだから今さら言っても仕方ない。これからは個々の力を高めていかないと世界では勝てない」

これは、他の選手たちの「日本の持ち味であるチームワークで戦っていきたい」という発言を受けてのものでした。

本来、本田選手は「気のいい兄ちゃん」という感じの人だそうですが、このチームメイトに冷や水を浴びせるような発言は、ワールドカップで優勝を目指す彼からすれば、どうしても言わなければならなかったものなのでしょう。

■本田選手のことはともかく、私が職業柄、面白いと思ったのが、「チームワーク」と「個の力」という概念のことでした。

今回の選手たちの発言に見られるように、一般に日本人は「チームワーク」に優れていると思われています。

これは世界で戦う彼らの発言なので、その通りなのでしょうね。

昔から「和をもって尊しとなす」というのが、日本人のメンタリティだそうです。

これはやはり狭い島国に住む農耕民族だという地理的歴史的な事情から来ている根源的な心性なのかも知れませんね。

■ところが、明治維新の頃、世界に乗り出すにはそれだけでは足りないと、当時の指導者たちは考えたようです。

なんだか、今のサッカー日本代表と似ていますね。

ご存じの通り、当時はイギリスを中心に産業革命が起こっていましたから、それに乗り遅れて農業国のままでは、植民地にされて搾取される側に入ってしまうかも知れません。

だから国を急ピッチで工業化しようとしました。

ラッキーだったのは、お手本が既にあったことです。西洋の先進諸国のシステムを模倣して、彼らとそっくりな工業国家を作り上げることが喫緊の課題でした。

ということは教育機関の役割は、工業国というシステムの各パーツを担うことができる専門性の高い人材を作ることです。

かくして「個の力」を高める(専門性の高い人材を作る)ことが、明治以来の教育のコンセプトになりました。

■なぜ今さらこんなことを言い出すのかというと、教育に携わる人たちから「今までの教育の在り方では、ダメなんじゃないか」という問題提起が多く寄せられるように感じるからです。特に最近です。

そりゃそうでしょう。明治以来のコンセプトが今まで通用したということ自体が驚異です

確かに、日本の教育は高い水準で機能してきました。20世紀の奇跡的な成長の一翼を教育システムが担ってきたといっても間違いではないと思います。

簡単にいうと、それは、専門家になるためのマニュアル教育です。工業社会で機能するための人材になるために知識なりスキルなりを教え込むのです。

昭和になって、学校で教えるようなスキルでは社会で通用しないということになりましたが、そうなれば「基礎的な専門性は学校で、応用的な専門性は会社に入ってから」という役割分担をすることで機能してきました。

専門家と書きましたが、これは文系の総合職も同じです。社会人に必要な基礎能力は学校で学び、会社に入って仕事を覚えるというスタイルです。

そうやって変遷をしながら、徐々にマニュアル式教育はその存在意義を薄れさせていったようです。

私が学生の頃、ある一流企業の人事担当者が「学生の勉強内容になど何の期待もしていない。我々は、学生時代を通して身につけてきた従順さを買うんだ」と発言したとまことしやかに語られていました。

都市伝説の類なんでしょうけど、その頃でさえ、学校教育はその使命を終えかけていることを示すようなエピソードです。

■考えてみれば、社会が変われば、教育も変わらなければならないのは、当たり前のことです。

工業化の過程でリアルだった画一的な分業制度は、今や事務系だけではなく、工場内でも見直されつつあります。

変化の激しい時代に、決まりきったやり方を続けるだけでは、変化に適応できません。

学校での成績優秀者が必ずしも社会で成功者となるとは限らないことがそれを端的に示しています。

現代は、自ら動き、考え、協業することが求められています。

文部科学省もそれが分かっているので、何度か教育制度の改革を行ってきました。

大失敗に終わったとされている「ゆとり教育」などもその一つでした。

最近では、経済産業省が「社会人基礎力」なるものを提唱して、教育のあり方に一石を投じていることをご存じですかね。
参考→http://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/

なんでも社会人基礎力とは、「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」をあらわす概念だそうです。

ちなみに、その基礎力は、「前に踏み出す力(アクション)」、「考え抜く力(シンキング)」、「チームで働く力(チームワーク)」の3つで構成されており、

それはさらに

前に踏み出す力:主体性、働きかけ力、実行力

考え抜く力:課題発見力、計画力、創造力

チームで働く力:発信力、傾聴力、柔軟性、状況把握力、規律性、ストレスコントロール力

に要素分解されています。

お上のやることには、何でも反対したくなる気持ちはありますが、私はこの概念とその要素分解についてはなかなかイケテルと思っているのですが、いかがでしょうかね。

■ちなみに経済産業省は「社会人基礎力育成グランプリ」なるものを毎年開催しています。

これは大学のゼミ研究などのプレゼンテーションを通して、社会人基礎力の育成過程を評価するというものだそうで、2012年の大賞は、福岡女学院大学の「最大の消費者であるわたし達学生が行った、学内における最良な飲食施設の提案」です。

評価は、その研究成果よりも、いかに学生たちが「前に踏み出し」「考え抜き」「チームワーク」をとったかをみているようです。

要するに、これらは、従来の知識供与型の教育では得られない体験型の教育の試行です。

本来大学のゼミは、こうした体験教育がなされる場です。

このグランプリに出てくる大学は、そうした教育にしっかりと取り組んでいるということであり、立派なことだと思います。

だというのに、学生時代の私は、ゼミの研究内容に興味が持てず、教授の言うがまま、嫌々取り組んでいたことを今になって深く深く深く反省する次第です。

■私がこの概念をイケテルと思うのには、理由があります。

企業コンサルティングなどをしていて、単に戦略立案して供与するだけでは、何も成果に結びつきません。

戦略は作ったのだから、やるやらないはあんたらの責任だ、といってしまえば楽ちんですが、それでは、100件に1件も成果を出すことはできないでしょう。

最も大切なことは、戦略を実行すること。完遂することです。

そのためには、皆さんが自ら前に踏み出して、実行に移さなければなりません。

しかも実行しはじめると必ず計画通りにいかない場面が出てきます。その時に、壁をどのように突破すべきかを粘り強く考え抜かなければなりません。

当然ながら実行する上で、一人だけではなく、各部署横断のチームワークが必須です。

私が今までコンサルティングをしていて難しいなーーと思うのは、時々の壁やハードルを越えられずに、立ち止まったり引き返したりしてしまう人が多いことです。

つまり、前に踏み出す力、考え抜く力、チームで働く力の弱いと思う人が多いのです。

こうしたことは座学で教えられても身に付きません。自ら突破した経験を持たなければならないのです。

ある意味、コンサルティングの場は、これらの突破する力を学ぶ場でもあります。

その突破する力のことを社会人基礎力と規定しても、何ら違和感はありません。

戦略を回して成果を上げた経験をした人が、次の戦略プロジェクトにもリーダーとして招かれることが多いのは、そうした経験をした人材が貴重であることに他なりません。

ということは、私の仕事は、社会人基礎力を学ぶ場を提供する「ネオ教育機能」も担っているということです。

■こうした体験型で双方向型の学習形態の必要性は、大学だけではなく、高校や中学でも感じられていて、検討されているようです。

今は、小学校や中学校でも「問題解決型学習」への取り組みが始まっていると聞くようになりました。

社会人学習の分野では自由大学という機関があります。自由大学といっても、こちらは学校法人ではありません。学習のための企画会社のようなものですね。

参考:「自由に働く学部」「日本を楽しむ学部」「丁寧に暮らす学部」......、自由大学から始まる「水平な学び」http://diamond.jp/articles/-/37039

実をいうと、先日(6月11日)の「ランチェスター戦略勉強会」の討議内容は、こちらの記事をめぐるものでした。

この記事の例は、まさに双方向の体験型学習への取り組みを示しています。

自由大学では、画一的な知識供与の授業をするのではなく、受講生が学びたいと思う内容を、柔軟な発想で新たに作ってしまおうという試みをしています。

その鍵となるのがキュレーター(まとめ役)といわれる役割の人です。

彼らが、講座内容の企画を立て、講師を選び、5回シリーズのプログラムを組み立てます。

例えば、「未来の仕事」、「脱藩学」、「アメーバワークスタイル」、「星空コンシェルジュ」、「アキバガイド学」、「キュレーション学」など個性的なプログラムが並んでいますね。

講師はプロだとは限りません。学びたいと思える知識や経験を持つ人を講師としているので、教えることが上手いわけではないでしょう。

だから講座を満足いくものにするためには、キュレーターの仕切りが重要になってくると記事には書かれています。

簡単に書いていますが、実際には相当に難しいことだと思います。

なぜなら、講師側は教えるプロではないので、この講座を充実したものにするのは、受講生側の積極的な働きかけです。

受講生側にこそ、「金さえ払えば教えてもらえる」という考えを払拭して、講師から学び取ろうとする姿勢にならなければなりません。

そういう前向きな受講生を集める、あるいは集まった人たちを積極的な学びの姿勢に変えていくのが、キュレーターの役割であるとすれば、これは相当難易度の高い仕事ですよ。

■私も講師のような仕事もする職業なので、こうした試みの意義は十分に分かります。

今の研修は、知識供与だけでは成立しません。したとしても、退屈で満足度の低いものになるはずです。

受講生側の価値観も情報量もモチベーションもばらばらで多様化している状況が多いので、講師が受講生に合せた講座運営をするということは非常に難しくなっています。

逆に受講生側が、自分の状況に応じて、学ぶ姿勢を選んでいかなければ、充実した時間を過ごすことができません。

ということは、講師は、知識供与する側であると同時に、受講生の前向きな姿勢を引き出すファシリテーター(調整役、活性化・促進役)でなければならないということです。

今の状況で、いい講師とは、いいファシリテーターであり、キュレーターのことなのですね。

■特徴的なのは、今の時代、こうした新しいことをやる人は、「ワクワク感」とか「オモロイこと」とか、抽象的・感覚的な言葉で、自分のやりたいことを表現していることです。

これはつまり、自分のやりたいことは、未だ具体的な言葉に置き換えられていない。逆にいうと型にはまっていないということです。

そういえば、東京杉並区立和田中学校で学校改革を為した藤原和博氏も「何でもいいから面白いことをしよう」といったラフな表現をする人でした。

参考:「答えのない問題に取り組めるのか」
http://www.createvalue.biz/column2/post-235.html

だから私も反省しまして、理屈ばかり並べずに、オモロイことをやらなあかんなーーと思った次第です。

■教育現場にいる人は口をそろえて「企業はずいぶん先に進んでいるのに、教育は遅れたままだ」と言っています。

そうかも知れませんが、教育も新しく変わろうとしていることは確かなようです。

これはうかうかしていると、旧態依然とした企業が、教育システムの変化に取り残されてしまうかも知れませんよ。

そうなれば新入社員の能力に、旧社員がついていけないという事態が起こることが予想されます。(今も一部の会社ではそういう状態があると聞きます)

そうならないためにも、企業は例年通りの教育研修を続けるのではなく、自らキュレーターとなって、講座をプログラムできるようにならなければなりません。

これは我々も同じです。

企業や受講生、仲介会社、そして講師側。それぞれが進化していかないと早晩、遺物のようになって取り残されてしまいます。

サッカーの本田圭佑選手などそのあたりのところを十二分に感じている人なのでしょう。

日本のサッカーは確かに進化しています。ものすごいスピードで。

しかし同時に、世界のサッカーも進化しています。

旧来型のシステムや指導法を一所懸命になぞっているだけでは、実は、進化しているようでいても、世界との差は開いているのかも知れません。

「これでいい」と思ったら終りです。

常にオモロイことに取り組み続けて、前に進む力を衰えさせないように気を付けたいと思います。

(2013年6月13日メルマガより)


■先週、サッカー日本代表が、
ワールドカップ本戦への出場資格を獲得しました。

おめでとうございます。喜ばしい限りです。

その祝勝会的な選手への共同インタビューでの本田圭佑選手の発言が話題となっています。

念のためにいうと、本田圭佑選手は、自他ともに認める日本代表のエースです。

今回のオーストラリア戦でも、後半の終わり頃に失点、敗戦ムード漂う中、引き分けに持ち込む原動力となったのが、本田圭佑選手の個人的な突破力でした。

その本田選手が、お祝い気分を一喝するかのようにこう発言したのです。

「(日本が得意とする)チームワークなど生まれつき持っているものだから今さら言っても仕方ない。これからは個々の力を高めていかないと世界では勝てない」

これは、他の選手たちの「日本の持ち味であるチームワークで戦っていきたい」という発言を受けてのものでした。

本来、本田選手は「気のいい兄ちゃん」という感じの人だそうですが、このチームメイトに冷や水を浴びせるような発言は、ワールドカップで優勝を目指す彼からすれば、どうしても言わなければならなかったものなのでしょう。

■本田選手のことはともかく、私が職業柄、面白いと思ったのが、「チームワーク」と「個の力」という概念のことでした。

今回の選手たちの発言に見られるように、一般に日本人は「チームワーク」に優れていると思われています。

これは世界で戦う彼らの発言なので、その通りなのでしょうね。

昔から「和をもって尊しとなす」というのが、日本人のメンタリティだそうです。

これはやはり狭い島国に住む農耕民族だという地理的歴史的な事情から来ている根源的な心性なのかも知れませんね。

■ところが、明治維新の頃、世界に乗り出すにはそれだけでは足りないと、当時の指導者たちは考えたようです。

なんだか、今のサッカー日本代表と似ていますね。

ご存じの通り、当時はイギリスを中心に産業革命が起こっていましたから、それに乗り遅れて農業国のままでは、植民地にされて搾取される側に入ってしまうかも知れません。

だから国を急ピッチで工業化しようとしました。

ラッキーだったのは、お手本が既にあったことです。西洋の先進諸国のシステムを模倣して、彼らとそっくりな工業国家を作り上げることが喫緊の課題でした。

ということは教育機関の役割は、工業国というシステムの各パーツを担うことができる専門性の高い人材を作ることです。

かくして「個の力」を高める(専門性の高い人材を作る)ことが、明治以来の教育のコンセプトになりました。

■なぜ今さらこんなことを言い出すのかというと、教育に携わる人たちから「今までの教育の在り方では、ダメなんじゃないか」という問題提起が多く寄せられるように感じるからです。特に最近です。

そりゃそうでしょう。明治以来のコンセプトが今まで通用したということ自体が驚異です

確かに、日本の教育は高い水準で機能してきました。20世紀の奇跡的な成長の一翼を教育システムが担ってきたといっても間違いではないと思います。

簡単にいうと、それは、専門家になるためのマニュアル教育です。工業社会で機能するための人材になるために知識なりスキルなりを教え込むのです。

昭和になって、学校で教えるようなスキルでは社会で通用しないということになりましたが、そうなれば「基礎的な専門性は学校で、応用的な専門性は会社に入ってから」という役割分担をすることで機能してきました。

専門家と書きましたが、これは文系の総合職も同じです。社会人に必要な基礎能力は学校で学び、会社に入って仕事を覚えるというスタイルです。

そうやって変遷をしながら、徐々にマニュアル式教育はその存在意義を薄れさせていったようです。

私が学生の頃、ある一流企業の人事担当者が「学生の勉強内容になど何の期待もしていない。我々は、学生時代を通して身につけてきた従順さを買うんだ」と発言したとまことしやかに語られていました。

都市伝説の類なんでしょうけど、その頃でさえ、学校教育はその使命を終えかけていることを示すようなエピソードです。

■考えてみれば、社会が変われば、教育も変わらなければならないのは、当たり前のことです。

工業化の過程でリアルだった画一的な分業制度は、今や事務系だけではなく、工場内でも見直されつつあります。

変化の激しい時代に、決まりきったやり方を続けるだけでは、変化に適応できません。

学校での成績優秀者が必ずしも社会で成功者となるとは限らないことがそれを端的に示しています。

現代は、自ら動き、考え、協業することが求められています。

文部科学省もそれが分かっているので、何度か教育制度の改革を行ってきました。

大失敗に終わったとされている「ゆとり教育」などもその一つでした。

最近では、経済産業省が「社会人基礎力」なるものを提唱して、教育のあり方に一石を投じていることをご存じですかね。
参考→http://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/

なんでも社会人基礎力とは、「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」をあらわす概念だそうです。

ちなみに、その基礎力は、「前に踏み出す力(アクション)」、「考え抜く力(シンキング)」、「チームで働く力(チームワーク)」の3つで構成されており、

それはさらに

前に踏み出す力:主体性、働きかけ力、実行力

考え抜く力:課題発見力、計画力、創造力

チームで働く力:発信力、傾聴力、柔軟性、状況把握力、規律性、ストレスコントロール力

に要素分解されています。

お上のやることには、何でも反対したくなる気持ちはありますが、私はこの概念とその要素分解についてはなかなかイケテルと思っているのですが、いかがでしょうかね。

■ちなみに経済産業省は「社会人基礎力育成グランプリ」なるものを毎年開催しています。

これは大学のゼミ研究などのプレゼンテーションを通して、社会人基礎力の育成過程を評価するというものだそうで、2012年の大賞は、福岡女学院大学の「最大の消費者であるわたし達学生が行った、学内における最良な飲食施設の提案」です。

評価は、その研究成果よりも、いかに学生たちが「前に踏み出し」「考え抜き」「チームワーク」をとったかをみているようです。

要するに、これらは、従来の知識供与型の教育では得られない体験型の教育の試行です。

本来大学のゼミは、こうした体験教育がなされる場です。

このグランプリに出てくる大学は、そうした教育にしっかりと取り組んでいるということであり、立派なことだと思います。

だというのに、学生時代の私は、ゼミの研究内容に興味が持てず、教授の言うがまま、嫌々取り組んでいたことを今になって深く深く深く反省する次第です。

■私がこの概念をイケテルと思うのには、理由があります。

企業コンサルティングなどをしていて、単に戦略立案して供与するだけでは、何も成果に結びつきません。

戦略は作ったのだから、やるやらないはあんたらの責任だ、といってしまえば楽ちんですが、それでは、100件に1件も成果を出すことはできないでしょう。

最も大切なことは、戦略を実行すること。完遂することです。

そのためには、皆さんが自ら前に踏み出して、実行に移さなければなりません。

しかも実行しはじめると必ず計画通りにいかない場面が出てきます。その時に、壁をどのように突破すべきかを粘り強く考え抜かなければなりません。

当然ながら実行する上で、一人だけではなく、各部署横断のチームワークが必須です。

私が今までコンサルティングをしていて難しいなーーと思うのは、時々の壁やハードルを越えられずに、立ち止まったり引き返したりしてしまう人が多いことです。

つまり、前に踏み出す力、考え抜く力、チームで働く力の弱いと思う人が多いのです。

こうしたことは座学で教えられても身に付きません。自ら突破した経験を持たなければならないのです。

ある意味、コンサルティングの場は、これらの突破する力を学ぶ場でもあります。

その突破する力のことを社会人基礎力と規定しても、何ら違和感はありません。

戦略を回して成果を上げた経験をした人が、次の戦略プロジェクトにもリーダーとして招かれることが多いのは、そうした経験をした人材が貴重であることに他なりません。

ということは、私の仕事は、社会人基礎力を学ぶ場を提供する「ネオ教育機能」も担っているということです。

■こうした体験型で双方向型の学習形態の必要性は、大学だけではなく、高校や中学でも感じられていて、検討されているようです。

今は、小学校や中学校でも「問題解決型学習」への取り組みが始まっていると聞くようになりました。

社会人学習の分野では自由大学という機関があります。自由大学といっても、こちらは学校法人ではありません。学習のための企画会社のようなものですね。

参考:「自由に働く学部」「日本を楽しむ学部」「丁寧に暮らす学部」......、自由大学から始まる「水平な学び」http://diamond.jp/articles/-/37039

実をいうと、先日(6月11日)の「ランチェスター戦略勉強会」の討議内容は、こちらの記事をめぐるものでした。

この記事の例は、まさに双方向の体験型学習への取り組みを示しています。

自由大学では、画一的な知識供与の授業をするのではなく、受講生が学びたいと思う内容を、柔軟な発想で新たに作ってしまおうという試みをしています。

その鍵となるのがキュレーター(まとめ役)といわれる役割の人です。

彼らが、講座内容の企画を立て、講師を選び、5回シリーズのプログラムを組み立てます。

例えば、「未来の仕事」、「脱藩学」、「アメーバワークスタイル」、「星空コンシェルジュ」、「アキバガイド学」、「キュレーション学」など個性的なプログラムが並んでいますね。

講師はプロだとは限りません。学びたいと思える知識や経験を持つ人を講師としているので、教えることが上手いわけではないでしょう。

だから講座を満足いくものにするためには、キュレーターの仕切りが重要になってくると記事には書かれています。

簡単に書いていますが、実際には相当に難しいことだと思います。

なぜなら、講師側は教えるプロではないので、この講座を充実したものにするのは、受講生側の積極的な働きかけです。

受講生側にこそ、「金さえ払えば教えてもらえる」という考えを払拭して、講師から学び取ろうとする姿勢にならなければなりません。

そういう前向きな受講生を集める、あるいは集まった人たちを積極的な学びの姿勢に変えていくのが、キュレーターの役割であるとすれば、これは相当難易度の高い仕事ですよ。

■私も講師のような仕事もする職業なので、こうした試みの意義は十分に分かります。

今の研修は、知識供与だけでは成立しません。したとしても、退屈で満足度の低いものになるはずです。

受講生側の価値観も情報量もモチベーションもばらばらで多様化している状況が多いので、講師が受講生に合せた講座運営をするということは非常に難しくなっています。

逆に受講生側が、自分の状況に応じて、学ぶ姿勢を選んでいかなければ、充実した時間を過ごすことができません。

ということは、講師は、知識供与する側であると同時に、受講生の前向きな姿勢を引き出すファシリテーター(調整役、活性化・促進役)でなければならないということです。

今の状況で、いい講師とは、いいファシリテーターであり、キュレーターのことなのですね。

■特徴的なのは、今の時代、こうした新しいことをやる人は、「ワクワク感」とか「オモロイこと」とか、抽象的・感覚的な言葉で、自分のやりたいことを表現していることです。

これはつまり、自分のやりたいことは、未だ具体的な言葉に置き換えられていない。逆にいうと型にはまっていないということです。

そういえば、東京杉並区立和田中学校で学校改革を為した藤原和博氏も「何でもいいから面白いことをしよう」といったラフな表現をする人でした。

参考:「答えのない問題に取り組めるのか」
http://www.createvalue.biz/column2/post-235.html

だから私も反省しまして、理屈ばかり並べずに、オモロイことをやらなあかんなーーと思った次第です。

■教育現場にいる人は口をそろえて「企業はずいぶん先に進んでいるのに、教育は遅れたままだ」と言っています。

そうかも知れませんが、教育も新しく変わろうとしていることは確かなようです。

これはうかうかしていると、旧態依然とした企業が、教育システムの変化に取り残されてしまうかも知れませんよ。

そうなれば新入社員の能力に、旧社員がついていけないという事態が起こることが予想されます。(今も一部の会社ではそういう状態があると聞きます)

そうならないためにも、企業は例年通りの教育研修を続けるのではなく、自らキュレーターとなって、講座をプログラムできるようにならなければなりません。

これは我々も同じです。

企業や受講生、仲介会社、そして講師側。それぞれが進化していかないと早晩、遺物のようになって取り残されてしまいます。

サッカーの本田圭佑選手などそのあたりのところを十二分に感じている人なのでしょう。

日本のサッカーは確かに進化しています。ものすごいスピードで。

しかし同時に、世界のサッカーも進化しています。

旧来型のシステムや指導法を一所懸命になぞっているだけでは、実は、進化しているようでいても、世界との差は開いているのかも知れません。

「これでいい」と思ったら終りです。

常にオモロイことに取り組み続けて、前に進む力を衰えさせないように気を付けたいと思います。

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