坂の上に雲は見えない?

2010.08.12

(2010年8月12日メルマガより)

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■「好きなことをして生きていこう」

なんと魅惑的なフレーズでしょうか^^

やはり人間、生まれたからには楽しく幸せに一生を送りたい。

そのためには、好きなことをして生活できれば言うことはありません。

私も、起業経験者ですから、当初はこのフレーズを目標に掲げていました。

当初は、といいましたが、今でもですね。

ある意味、コンサルタントなどという形のないものを売る仕事で暮らしてい
る私は、多くの人から見れば、好きなことをしてメシを食う奴の1人なのか
も知れません。

■もちろんこの生活にもそれなりの苦労やプレッシャーがあります。

特に起業後は最低限の収入を確保することが必要ですから、結構、どころか、
相当苦労しました。

足の届かない暗い海で、方角も分からず立ち泳ぎを続けなければならないよ
うな状況です。

正直にいって、好き、だとか、ポリシーに合う、とか言っていられない。

怪しげな儲け話が、どれだけ光り輝く救いの船に見えたことか^^;

大げさに言うとあの極限状況を知っているから、企業経営者の「すぐに儲か
る話をしてくれ」という気持ちも分かります。

逆に、綺麗事を言うだけの人の幼稚さにも敏感になりました。

「好きなことをして生活していこう」というのは、生存欲求が満たされた後
に感じることができるある意味贅沢な思いなのかも知れませんね。

■前回(8月10日)のランチェスター戦略勉強会で、とりあげたテーマが
「月3万円の仕事を10個持つ生き方」です。日経ビジネスオンラインの記
事をネタにしています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20090930/205883/

この記事を書いた方も、ここでとりあげられている人も、共に20~30代
の若い世代です。

1つの仕事に固執せず、小さな月3万円の利益があるビジネスを掛け持つこ
とで収入を確保することを推奨しています。

例にあげられているのが、自宅のギャラリーとしての貸し出し、モンゴル旅
行ツアー企画、田舎暮らしの実践ワークショップ、一軒家ゲストハウス運営。

いわゆる超ニッチビジネスで、その根本には、仲間と無理なく楽しく働く生
活をしたいという気持ちがあります。

その気持ちの裏側には、先の世代の価値観である経済的成長至上主義や競争
主義に対する反感があると読みました。

■この記事を勉強会のテーマに選んだのは、私の違和感にあります。

1つは「そんなに小さな話で満足していいの?」「それって逃避じゃないの?
」という疑問です。

ただし、これは私が古い世代の価値観にどっぷり浸かっているからであって、
若い世代の切実な思いから来るぎりぎりの解決策であるかも知れない。だか
ら皆さんの意見を聞きたいと思ったのです。

もっとも、結論から言えば、今回の勉強会ではよく分かりませんでした。

「朝まで生テレビ」なら、怒鳴りあいになって、何人か途中で帰ってしまう
ようなテーマでしょうが、我々のアットホームな勉強会では、そんなことも
なく、いくつかの要素を提示しただけで終わった次第です^^

■もう1つは、戦略的な観点からの疑問。

ランチェスター戦略では、戦力の分散は避けなければならないと教えていま
す。

特に弱者は、戦力を集中させなければなりません。

確かに集中戦略はリスクを伴います。その集中したものがダメになればどう
するんだーーという話です。

しかし、リスクをとらなければ、大きくなれない。片手間でチマチマしてい
ては競争に勝てないからです。

十分に大きくなって、これ以上はもういいよ、という場面で初めて多角化戦
略が生きてきます。

なぜなら、多角化戦略とは、リスク分散することによって倒産することを避
ける強者の戦略だからです。

■先ほどの話ですが、私も起業当初は、収入になることには何でも手をだそ
うとしました。

もがいて藁をも掴もうという気持ちです。

もっとも儲け話の殆ど(というか全て)は、こちらの勘違いか、つりか煽り
か、あるいは完全な騙しの類でした。

その中で掴んだ藁を積み重ねて、今に至る、というのが私の本当の姿です。

だから偉そうに言えたものじゃない。

言えたものではないのですが、後追いだとしても、それぞれの仕事を根拠づ
けして体系とし、ベクトルを一方向に向けるようにしてきたつもりです。

ある時期からは、全体の体系の中で浮いている仕事は切捨てて、必要な仕事
は意識して作るようにしてきました。

その途上にあるのが今であると、私も思いたいわけです。

■ただし、ランチェスター戦略も、私の方法も、競争に勝って、今よりも成
長し大きくなるという前提があります。

際限なく拡大するというのではなく、ナンバーワンになって、容易に逆転さ
れない地位を手に入れようとする考えです。

果たして、月3万円の仕事を作って、それを維持することがどれだけ大変か
を理解しているのだろうか。

という違和感です。

■記事にあるような思いついたことをとりあえずやってみるような方法では、
相乗効果が働かず、力は分散したままになってしまいます。

月3万円儲かるということは、ニッチ需要を捉えているということですので、
副業組の参入を覚悟しなければなりません。

どんな小さな市場にも競争は存在します。

その時に、競争のないビジネスを仲間と一緒にやろう、と言っていられるの
か?

ライバルが出現した時、それは諦めて他のビジネスを作るのか?

そんなモグラ叩きのような仕事の仕方でやっていけるのか?

まるで安易で非論理的なご都合主義の楽観論であると私には思えてしまいま
す。

■記事に登場する伊藤さんが、最終的にどのような方向に行こうとしている
のかを知りたいものです。

それだけ多くの体験を積んだのだから、作家になりたい。というのなら分か
ります。

無軌道な経験が、生きてくる職業でしょうから。

あるいは、月3万円の仕事を10個作って暮らす、という講座体系のオーナ
ー講師となる。その上で、森永卓郎のように貧乏ネタで高額納税者となる。
というのも分かります。

これが一番近いですかね^^

しかし、こうした体系を作る、目標に向かって進む、という姿勢自体が、古
い世代の価値観によるものであって、伊藤さんには、それは忌むべきものな
のかもしれない。

計画もなしにただ目の前だけを感じて生きる。というスタイルが正しいとい
う価値観があるのでしょうか。

我々の世代なら沢木耕太郎の「深夜特急」のようなものですかな。

勉強会に参加されたある方は、これは「ルンペン思想」だ!と仰ってしまし
たが。

■話は変わります。

昔、「エーゲ海の天使」というイタリア映画がありました。

昔といっても1991年の作品です。アマゾンで調べましたが、VHSしか
ないようです。それぐらい地味な映画なんですね。

そんなイタリア映画を私がなぜ観たのか不思議なんですが、とにかく印象に
残っています。

時代は第二次世界大戦中。エーゲ海に浮かぶ小さな島に、8人ばかりの小隊
が上陸します。

島の守備を任務とするわけですが、あまり重要な拠点でもないので、選ばれ
た兵隊たちもあまりぱっとしません。はっきり言うと、落ちこぼればかり集
めた小隊です。

隊長は美術の先生。その他、女好きの双子がいたり、脱走を繰り返す男がい
たり、任務地に飼っている山羊を連れてくる変人がいたり、ありえないよう
なデコボコぶりです。

それでも人間くさい彼らは島民に受け入れられ、親切にされます。

教会の壁画を描いたり、娼婦と馴染みになったり、サッカーに興じたり、毎
晩のように宴を開いたり。戦時中とは思えないような楽しげで牧歌的なエピ
ソードが延々と描かれます。

美しい島の中で、夢のような楽しい時間を過ごす彼らでしたが、ある時、い
つの間にか戦争が終わっていたことを知らされます。とうの昔に無線が壊れ
ていたんですな。

どんなのんきなんだーーという話ですね^^

■そのまま島に残ってほしいと島民に乞われる彼らですが、現実に引き戻さ
れた彼らは、本国に戻ることを選びます。

登場人物の1人は「国の復興に貢献したい」と言いました。

もし、私でも同じことを言うと思います。

人間は安楽なだけで生きていけるものではありません。何か、大きな「物語」
に関わっていないと生きていけない。

自分の生活をただ守るだけでなく、よりよい社会を作るための役割を担って
いるという意識です。

家族を守りたい。そのためには、共同体を守りたい。そのために社会全体を
守りたい。そのために、この国を守りたい。

この世に生まれた以上は、社会に貢献していたい。というのは、綺麗事では
なく本心です。

自分と仲間さえ楽が出来ればいいじゃないかという生き方は、私の価値観に
照らせば違和感となってしまいます。

■作家の司馬遼太郎は、1945年8月15日、後に作家という職業を選ぶ
に至るある決意をしたと語っています。

それは「日本は、本当にこんなに惨めで情けない国だったのだろうか」とい
う痛切な思いからでした。

「本当に自分の信じた国は、このような情けない国だったのか。それを確か
めたい」

彼の作家活動は、一生かけて、日本という国の姿を確認する作業でした。

戦国時代と、幕末、明治維新。その時代の人々が、どのような思いで生きて
きたのか。彼らがその時をどのような論理で生き、そして未来に何を託した
のか。

もちろん、そこに司馬遼太郎自身の願望が込められていることは否めません。

彼は、敗戦で失われた、日本人が持つべき大きな物語を書き続け、それが今
の我々にメッセージとして提示されています。

■司馬遼太郎の最高傑作である(と私が信じる)「坂の上の雲」には、明治
時代の人々が、あの苦しい時代を、どのような必死の思いで生きたのかが書
かれており、感動を迫ります。

苦しい時代。と書きました。

日露戦争が起きた1904年から1905年にかけての国家財政に占める軍
事支出の割合は、80%を超えています。
http://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index05.html

その前後も、40~50%を超える年が多い。

まさに国全体が、存亡の危機意識に囚われていたのが、明治という時代であ
ったと言っていいでしょう。

そのギリギリの中で、彼らは必死で諸外国と交渉し、外貨を調達し、そして
戦った。決して、やけばちの精神論で、一億総玉砕などと言って突っ込んで
いったのではない。

そしてロシアという超大国を相手に、極東の小さな国が、局地戦で勝利を得
て、有利な立場で戦争を終結させるという奇跡を起こすのです。

(もしあの戦争に負けていれば、我々は今頃ロシア人になっていたでしょう
と、司馬遼太郎は述べています)

もちろん、その後の戦争を正当化するつもりはありません。

しかし、その当時の彼らには、確かに「坂の上の雲」が見えていたのだと、
司馬遼太郎は言っています。

いつかは世界の一等国になりたい。外国の侵略に怯えなくてもいい国になり
たい。という。

■「坂の上の雲」の連載が産経新聞で始まった1968年(昭和43年)は、
太平洋戦争後の復興期を経て、高度成長期の真っ只中でした。

恐らくその時代の空気にも、この小説がマッチしていたために、これほどヒ
ットしたのでしょう。

高度成長期の人々の心にも「坂の上の雲」が見えていたはずです。

やはり、いつかは世界の一流国の仲間入りをして、生活に困らない豊かさを
手に入れたいという夢。

それは、世界第二位の経済大国としての地位として実現します。

■私は1964年生まれですから、高度成長期の気分をいくらか受け継いで
いるはずです。

就職活動に困ることもなく、会社に入ってすぐにバブル経済が来て、世の中
は楽観的な雰囲気にあふれていました。

バブル崩壊が来た後も、どこか楽観しているのかも知れません。また目標を
持って頑張れば、きっと良くなるんだ、という気持ちです。

(テレビで元Jリーガーの武田修宏が「今の40代の綺麗な女性は、バブル
を経験しているから、旦那の金がなくなるとみんな離婚してますよ」と言っ
ていましたが、ホンマかなーー^^;)

■ただし、今の若い世代は、私ほど恵まれた時代に生きているわけではない
ようです。

今、大学を出た人の就職率は約6割です。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4183

この数字を聞かされると、私の世代は楽だったんだな、と思わざるを得ませ
ん。

だからと言って、安易に起業を薦めるわけにはいきません。

既得権益を守るため(としか思えないような)規制にがんじがらめにされた
日本の社会で、新しいビジネスを立ち上げて、つぶされないまでに大きくす
ることは並大抵のことではありません。

■我々の前の世代が夢見た「坂の上の雲」。

坂に上ってみれば、もう何も見えないじゃないか。

そんなジョークがありますね。

野垂れ死にすることもない。大きく成長することもできない。危機意識も挑
戦心も持てないこの状況こそ、閉塞感というものです。

この閉塞感の中で、育ってきた彼らが、我々と同じメンタリティを持てと言
うこと自体、無理なことなのかも知れません。

そんな中、ギリギリの選択として、身近なことをビジネスにして月3万円稼
ぐという道をとらざるを得ないというならば、頭ごなしに否定することはで
きないでしょう。

言えるのは、その生き方は、戦略的には脆弱で、維持するのが非常に困難だ
ということです。

副業としてするなら全く文句はありませんので、どうぞやってください。と
しか言えませんね。

■現在は、幕末の頃に似ているのではないかと聞くことがあります。

確かに、幕末の頃、封建制度という既得権益を守るための制度でがんじがら
めにされて、日本全体に閉塞感があったはずです。

しかも、日本はその時、鎖国していました。

外国を見る機会もなかったのです。

私は最近、アジアに進出する企業の営業戦略のお手伝いをしていますが、ア
ジアでの戦略展開の自由度が高いことを知って驚きました。

逆にいうと、日本国内でビジネスすることがいかに困難かを実感しました。

以前私は、半ば冗談で、一攫千金ばかり言うなら、中国かロシアに行ったら
どーだ!と言ったことがありましたが、もはや冗談ではなく言わなければな
りません。

自由にビジネスしたければ、日本にいてはダメですよ。

■先ほどの「エーゲ海の天使」という映画には続きがあります。

戦後数十年が経ち、かつての隊長である美術教師が、久しぶりに島を訪ねる
と、年老いた隊員たちが、そこで肩寄せあって暮らしている姿を目にします。

彼らは、戦後のイタリア社会の競争に敗れ、逃げるように島に戻るしかなか
ったわけです。

つまりエーゲ海の美しい小島は、逃避する場所という暗喩です。

もはや郷愁の中にしか生きられない人々。

映画としては、なんとも切ない感傷に浸れるいい作品ですが、それは映画の
中だけに留めておきましょうか。



(2010年8月12日メルマガより)

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■「好きなことをして生きていこう」

なんと魅惑的なフレーズでしょうか^^

やはり人間、生まれたからには楽しく幸せに一生を送りたい。

そのためには、好きなことをして生活できれば言うことはありません。

私も、起業経験者ですから、当初はこのフレーズを目標に掲げていました。

当初は、といいましたが、今でもですね。

ある意味、コンサルタントなどという形のないものを売る仕事で暮らしてい
る私は、多くの人から見れば、好きなことをしてメシを食う奴の1人なのか
も知れません。

■もちろんこの生活にもそれなりの苦労やプレッシャーがあります。

特に起業後は最低限の収入を確保することが必要ですから、結構、どころか、
相当苦労しました。

足の届かない暗い海で、方角も分からず立ち泳ぎを続けなければならないよ
うな状況です。

正直にいって、好き、だとか、ポリシーに合う、とか言っていられない。

怪しげな儲け話が、どれだけ光り輝く救いの船に見えたことか^^;

大げさに言うとあの極限状況を知っているから、企業経営者の「すぐに儲か
る話をしてくれ」という気持ちも分かります。

逆に、綺麗事を言うだけの人の幼稚さにも敏感になりました。

「好きなことをして生活していこう」というのは、生存欲求が満たされた後
に感じることができるある意味贅沢な思いなのかも知れませんね。

■前回(8月10日)のランチェスター戦略勉強会で、とりあげたテーマが
「月3万円の仕事を10個持つ生き方」です。日経ビジネスオンラインの記
事をネタにしています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20090930/205883/

この記事を書いた方も、ここでとりあげられている人も、共に20~30代
の若い世代です。

1つの仕事に固執せず、小さな月3万円の利益があるビジネスを掛け持つこ
とで収入を確保することを推奨しています。

例にあげられているのが、自宅のギャラリーとしての貸し出し、モンゴル旅
行ツアー企画、田舎暮らしの実践ワークショップ、一軒家ゲストハウス運営。

いわゆる超ニッチビジネスで、その根本には、仲間と無理なく楽しく働く生
活をしたいという気持ちがあります。

その気持ちの裏側には、先の世代の価値観である経済的成長至上主義や競争
主義に対する反感があると読みました。

■この記事を勉強会のテーマに選んだのは、私の違和感にあります。

1つは「そんなに小さな話で満足していいの?」「それって逃避じゃないの?
」という疑問です。

ただし、これは私が古い世代の価値観にどっぷり浸かっているからであって、
若い世代の切実な思いから来るぎりぎりの解決策であるかも知れない。だか
ら皆さんの意見を聞きたいと思ったのです。

もっとも、結論から言えば、今回の勉強会ではよく分かりませんでした。

「朝まで生テレビ」なら、怒鳴りあいになって、何人か途中で帰ってしまう
ようなテーマでしょうが、我々のアットホームな勉強会では、そんなことも
なく、いくつかの要素を提示しただけで終わった次第です^^

■もう1つは、戦略的な観点からの疑問。

ランチェスター戦略では、戦力の分散は避けなければならないと教えていま
す。

特に弱者は、戦力を集中させなければなりません。

確かに集中戦略はリスクを伴います。その集中したものがダメになればどう
するんだーーという話です。

しかし、リスクをとらなければ、大きくなれない。片手間でチマチマしてい
ては競争に勝てないからです。

十分に大きくなって、これ以上はもういいよ、という場面で初めて多角化戦
略が生きてきます。

なぜなら、多角化戦略とは、リスク分散することによって倒産することを避
ける強者の戦略だからです。

■先ほどの話ですが、私も起業当初は、収入になることには何でも手をだそ
うとしました。

もがいて藁をも掴もうという気持ちです。

もっとも儲け話の殆ど(というか全て)は、こちらの勘違いか、つりか煽り
か、あるいは完全な騙しの類でした。

その中で掴んだ藁を積み重ねて、今に至る、というのが私の本当の姿です。

だから偉そうに言えたものじゃない。

言えたものではないのですが、後追いだとしても、それぞれの仕事を根拠づ
けして体系とし、ベクトルを一方向に向けるようにしてきたつもりです。

ある時期からは、全体の体系の中で浮いている仕事は切捨てて、必要な仕事
は意識して作るようにしてきました。

その途上にあるのが今であると、私も思いたいわけです。

■ただし、ランチェスター戦略も、私の方法も、競争に勝って、今よりも成
長し大きくなるという前提があります。

際限なく拡大するというのではなく、ナンバーワンになって、容易に逆転さ
れない地位を手に入れようとする考えです。

果たして、月3万円の仕事を作って、それを維持することがどれだけ大変か
を理解しているのだろうか。

という違和感です。

■記事にあるような思いついたことをとりあえずやってみるような方法では、
相乗効果が働かず、力は分散したままになってしまいます。

月3万円儲かるということは、ニッチ需要を捉えているということですので、
副業組の参入を覚悟しなければなりません。

どんな小さな市場にも競争は存在します。

その時に、競争のないビジネスを仲間と一緒にやろう、と言っていられるの
か?

ライバルが出現した時、それは諦めて他のビジネスを作るのか?

そんなモグラ叩きのような仕事の仕方でやっていけるのか?

まるで安易で非論理的なご都合主義の楽観論であると私には思えてしまいま
す。

■記事に登場する伊藤さんが、最終的にどのような方向に行こうとしている
のかを知りたいものです。

それだけ多くの体験を積んだのだから、作家になりたい。というのなら分か
ります。

無軌道な経験が、生きてくる職業でしょうから。

あるいは、月3万円の仕事を10個作って暮らす、という講座体系のオーナ
ー講師となる。その上で、森永卓郎のように貧乏ネタで高額納税者となる。
というのも分かります。

これが一番近いですかね^^

しかし、こうした体系を作る、目標に向かって進む、という姿勢自体が、古
い世代の価値観によるものであって、伊藤さんには、それは忌むべきものな
のかもしれない。

計画もなしにただ目の前だけを感じて生きる。というスタイルが正しいとい
う価値観があるのでしょうか。

我々の世代なら沢木耕太郎の「深夜特急」のようなものですかな。

勉強会に参加されたある方は、これは「ルンペン思想」だ!と仰ってしまし
たが。

■話は変わります。

昔、「エーゲ海の天使」というイタリア映画がありました。

昔といっても1991年の作品です。アマゾンで調べましたが、VHSしか
ないようです。それぐらい地味な映画なんですね。

そんなイタリア映画を私がなぜ観たのか不思議なんですが、とにかく印象に
残っています。

時代は第二次世界大戦中。エーゲ海に浮かぶ小さな島に、8人ばかりの小隊
が上陸します。

島の守備を任務とするわけですが、あまり重要な拠点でもないので、選ばれ
た兵隊たちもあまりぱっとしません。はっきり言うと、落ちこぼればかり集
めた小隊です。

隊長は美術の先生。その他、女好きの双子がいたり、脱走を繰り返す男がい
たり、任務地に飼っている山羊を連れてくる変人がいたり、ありえないよう
なデコボコぶりです。

それでも人間くさい彼らは島民に受け入れられ、親切にされます。

教会の壁画を描いたり、娼婦と馴染みになったり、サッカーに興じたり、毎
晩のように宴を開いたり。戦時中とは思えないような楽しげで牧歌的なエピ
ソードが延々と描かれます。

美しい島の中で、夢のような楽しい時間を過ごす彼らでしたが、ある時、い
つの間にか戦争が終わっていたことを知らされます。とうの昔に無線が壊れ
ていたんですな。

どんなのんきなんだーーという話ですね^^

■そのまま島に残ってほしいと島民に乞われる彼らですが、現実に引き戻さ
れた彼らは、本国に戻ることを選びます。

登場人物の1人は「国の復興に貢献したい」と言いました。

もし、私でも同じことを言うと思います。

人間は安楽なだけで生きていけるものではありません。何か、大きな「物語」
に関わっていないと生きていけない。

自分の生活をただ守るだけでなく、よりよい社会を作るための役割を担って
いるという意識です。

家族を守りたい。そのためには、共同体を守りたい。そのために社会全体を
守りたい。そのために、この国を守りたい。

この世に生まれた以上は、社会に貢献していたい。というのは、綺麗事では
なく本心です。

自分と仲間さえ楽が出来ればいいじゃないかという生き方は、私の価値観に
照らせば違和感となってしまいます。

■作家の司馬遼太郎は、1945年8月15日、後に作家という職業を選ぶ
に至るある決意をしたと語っています。

それは「日本は、本当にこんなに惨めで情けない国だったのだろうか」とい
う痛切な思いからでした。

「本当に自分の信じた国は、このような情けない国だったのか。それを確か
めたい」

彼の作家活動は、一生かけて、日本という国の姿を確認する作業でした。

戦国時代と、幕末、明治維新。その時代の人々が、どのような思いで生きて
きたのか。彼らがその時をどのような論理で生き、そして未来に何を託した
のか。

もちろん、そこに司馬遼太郎自身の願望が込められていることは否めません。

彼は、敗戦で失われた、日本人が持つべき大きな物語を書き続け、それが今
の我々にメッセージとして提示されています。

■司馬遼太郎の最高傑作である(と私が信じる)「坂の上の雲」には、明治
時代の人々が、あの苦しい時代を、どのような必死の思いで生きたのかが書
かれており、感動を迫ります。

苦しい時代。と書きました。

日露戦争が起きた1904年から1905年にかけての国家財政に占める軍
事支出の割合は、80%を超えています。
http://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index05.html

その前後も、40~50%を超える年が多い。

まさに国全体が、存亡の危機意識に囚われていたのが、明治という時代であ
ったと言っていいでしょう。

そのギリギリの中で、彼らは必死で諸外国と交渉し、外貨を調達し、そして
戦った。決して、やけばちの精神論で、一億総玉砕などと言って突っ込んで
いったのではない。

そしてロシアという超大国を相手に、極東の小さな国が、局地戦で勝利を得
て、有利な立場で戦争を終結させるという奇跡を起こすのです。

(もしあの戦争に負けていれば、我々は今頃ロシア人になっていたでしょう
と、司馬遼太郎は述べています)

もちろん、その後の戦争を正当化するつもりはありません。

しかし、その当時の彼らには、確かに「坂の上の雲」が見えていたのだと、
司馬遼太郎は言っています。

いつかは世界の一等国になりたい。外国の侵略に怯えなくてもいい国になり
たい。という。

■「坂の上の雲」の連載が産経新聞で始まった1968年(昭和43年)は、
太平洋戦争後の復興期を経て、高度成長期の真っ只中でした。

恐らくその時代の空気にも、この小説がマッチしていたために、これほどヒ
ットしたのでしょう。

高度成長期の人々の心にも「坂の上の雲」が見えていたはずです。

やはり、いつかは世界の一流国の仲間入りをして、生活に困らない豊かさを
手に入れたいという夢。

それは、世界第二位の経済大国としての地位として実現します。

■私は1964年生まれですから、高度成長期の気分をいくらか受け継いで
いるはずです。

就職活動に困ることもなく、会社に入ってすぐにバブル経済が来て、世の中
は楽観的な雰囲気にあふれていました。

バブル崩壊が来た後も、どこか楽観しているのかも知れません。また目標を
持って頑張れば、きっと良くなるんだ、という気持ちです。

(テレビで元Jリーガーの武田修宏が「今の40代の綺麗な女性は、バブル
を経験しているから、旦那の金がなくなるとみんな離婚してますよ」と言っ
ていましたが、ホンマかなーー^^;)

■ただし、今の若い世代は、私ほど恵まれた時代に生きているわけではない
ようです。

今、大学を出た人の就職率は約6割です。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4183

この数字を聞かされると、私の世代は楽だったんだな、と思わざるを得ませ
ん。

だからと言って、安易に起業を薦めるわけにはいきません。

既得権益を守るため(としか思えないような)規制にがんじがらめにされた
日本の社会で、新しいビジネスを立ち上げて、つぶされないまでに大きくす
ることは並大抵のことではありません。

■我々の前の世代が夢見た「坂の上の雲」。

坂に上ってみれば、もう何も見えないじゃないか。

そんなジョークがありますね。

野垂れ死にすることもない。大きく成長することもできない。危機意識も挑
戦心も持てないこの状況こそ、閉塞感というものです。

この閉塞感の中で、育ってきた彼らが、我々と同じメンタリティを持てと言
うこと自体、無理なことなのかも知れません。

そんな中、ギリギリの選択として、身近なことをビジネスにして月3万円稼
ぐという道をとらざるを得ないというならば、頭ごなしに否定することはで
きないでしょう。

言えるのは、その生き方は、戦略的には脆弱で、維持するのが非常に困難だ
ということです。

副業としてするなら全く文句はありませんので、どうぞやってください。と
しか言えませんね。

■現在は、幕末の頃に似ているのではないかと聞くことがあります。

確かに、幕末の頃、封建制度という既得権益を守るための制度でがんじがら
めにされて、日本全体に閉塞感があったはずです。

しかも、日本はその時、鎖国していました。

外国を見る機会もなかったのです。

私は最近、アジアに進出する企業の営業戦略のお手伝いをしていますが、ア
ジアでの戦略展開の自由度が高いことを知って驚きました。

逆にいうと、日本国内でビジネスすることがいかに困難かを実感しました。

以前私は、半ば冗談で、一攫千金ばかり言うなら、中国かロシアに行ったら
どーだ!と言ったことがありましたが、もはや冗談ではなく言わなければな
りません。

自由にビジネスしたければ、日本にいてはダメですよ。

■先ほどの「エーゲ海の天使」という映画には続きがあります。

戦後数十年が経ち、かつての隊長である美術教師が、久しぶりに島を訪ねる
と、年老いた隊員たちが、そこで肩寄せあって暮らしている姿を目にします。

彼らは、戦後のイタリア社会の競争に敗れ、逃げるように島に戻るしかなか
ったわけです。

つまりエーゲ海の美しい小島は、逃避する場所という暗喩です。

もはや郷愁の中にしか生きられない人々。

映画としては、なんとも切ない感傷に浸れるいい作品ですが、それは映画の
中だけに留めておきましょうか。



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