ランチェスター戦略で令和を生き抜く

2019.05.02

(2019年5月2日メルマガより)


令和の時代が始まりました。

年号が変わって何が変わるというものではないでしょうが、それでも気分的には節目を迎えた気がします。

私も今年に入ったあたりから平成とは何だったのか。ポスト平成はどういう時代になるのかを自分なりに考えてきました。

このメルマガでも何度か書きましたね。




私だけではありません。令和に入ってから、この時代をどうしていくかについては、多くの方が意見を述べています。

たとえば、『「新しい日本」を創ろう』 

これは、日経新聞の編集局長の記事です。(有料記事)


こちらは日経ビジネスの編集長の記事です。

いずれも、平成を「停滞の時代」ととらえて、令和の再浮上を期待する内容になっています。

僭越ながら私も同意見です。


経済停滞と先送りの時代


日本にとって昭和は成長の時代でした。

第二次世界大戦後の奇跡的な復興を高度成長と呼ぶことが多いですが、実際には、明治以来の殖産興業の取り組みの成果として、昭和の成長があったとみるべきでしょう。

(同じ意味で、20世紀(明治34年~平成12年)に最も成長した国は日本だと報道されることもあります)

ところがいい時ばかり続くわけではありませんでした。昭和の終わり、世界経済に構造的な変化が起きました。一強だったアメリカ経済が相対的に退潮の時期を迎えたのです。たまりかねたアメリカが、ドルの切り下げを世界中に強要したために、各国の通貨は急激な高値をつけることになってしまいました。

特に影響が大きかったのが日本です。それまで1ドル240円程度だったものが、最大80円にもなってしまいました。3倍です。アメリカに100万円で売っていたものを、300万円で売らなければならなくなったのです。

資源のない日本は、原材料を仕入れて、それを日本で加工し、海外に輸出することで経済を成り立たせてきました。それが明治以来の日本の産業構造です。

その最大の得意先がアメリカでした。それがいきなり3倍の値段で売らなければならなくなったのです。いくらなんでも難しい。日本の輸出産業は、生産工場を消費地に移設するなどして対応することになるのですが、それは後の話です。当初はパニックに陥りました。

逆に活気づいたのが輸入産業です。アメリカからの商品が3分の1で買えるのだからお得感があります。海外で稼げないなら国内で稼げ、と多くの企業の矛先は内需拡大に向かいました。その末に、過剰な資金が土地に流入するようになり、実態の価値以上の価格付けがなされたことで、バブル経済とその崩壊につながっていったのです。

バブル経済の崩壊が平成の初めでした。その処理に手間取る間に、日本の本当の問題である人口減少と少子高齢化への対応が後手に回ることになってしまいました。経済停滞と問題の先送りが平成という時代だったということができます。

その間、アメリカはちゃっかりと経済の構造変革を成し遂げ、さらなる経済成長を続けています。あるいは桁外れの内需を持つ中国が急激に台頭しました。

足踏みを続けた日本は、すっかり置いていかれたかっこうです。

このまま日本は「かつての先進国」として美しく衰退していくのか。あるいは、アメリカのように構造変革を成し遂げ、再び成長軌道に乗るのか。令和の時代にその分岐点があることでしょう。


ランチェスター戦略で生き残る


私は自分のコンサルティングのテーマを「生き残る」ことに設定しています。

華々しく成長拡大したい企業さんからすれば物足りないことかも知れませんが、小さな会社でも生き残る方法を考え、ともに戦うことこそが、いま自分のすべきことだと考えています。

それもある意味当然です。平成の日本は停滞を続けていたわけですから、よくて現状維持、何もしなければ衰退していきます。

上場企業はそれでも成長しようとしますから他社のパイを奪いにきます。そんな中、小さな会社が安穏としていたらふるい落とされてしまいます。

経済が成長しないなら、成長しないなりの戦略を立てなければ生き残れません。

大企業が見捨てた小さな需要でも拾わなければなりませんし、面倒なことにも取り組まなければなりません。あるいは、大企業のフォロワーになって生き残ることも立派な戦略です。

ランチェスター戦略や孫子の兵法には、小さな会社がいかに生き残るのか、その方法論やヒントが書かれています。

私はその方法を研究し、実践で使うことに取り組んできました。それが私の役割だと思っています。


令和を「生き抜く」ことこそが責任


かつて田岡信夫先生がランチェスター戦略を作って一世を風靡した頃は、オイルショック後の不況時だとはいえ人口増加が続いている状況であり、各所に成長余地が多くありました。

ですが今は人口減少時代であり、かつての産業は殆ど衰退局面に入っています。

その中で生き残るのは難儀なことですが、どんな経営環境下でも生きていかねばならないのが経営者です。

できないわけではありません。むしろ需要が細分化し、不確実な時代には、小回りの利く小さな会社の方が、生きていく方法が多様にあります。

私はそう実感しています。


令和になって日本が再び成長軌道に乗るかも知れません。それは素晴らしいことです。

もちろんその方がいいに決まっています。

成長期には成長期の戦略があります。ランチェスター戦略にはそれが組み込まれています。

しかしたとえ日本がこのまま衰退していったとしても、我々は生き残っていかなければなりません。

その時にも、やはり生き残るための戦略を駆使していかなければなりません。

どちらに転んでも生き残っていきましょう。

私はいま55歳ですから、あと30年経つと、85歳です。それまで生きているでしょうかね。。わかりませんが、ギリギリ令和を見届けることができるかも知れません。

令和という時代を生き抜くことが、戦略を学んできた私の責任です。


(2019年5月2日メルマガより)


令和の時代が始まりました。

年号が変わって何が変わるというものではないでしょうが、それでも気分的には節目を迎えた気がします。

私も今年に入ったあたりから平成とは何だったのか。ポスト平成はどういう時代になるのかを自分なりに考えてきました。

このメルマガでも何度か書きましたね。




私だけではありません。令和に入ってから、この時代をどうしていくかについては、多くの方が意見を述べています。

たとえば、『「新しい日本」を創ろう』 

これは、日経新聞の編集局長の記事です。(有料記事)


こちらは日経ビジネスの編集長の記事です。

いずれも、平成を「停滞の時代」ととらえて、令和の再浮上を期待する内容になっています。

僭越ながら私も同意見です。


経済停滞と先送りの時代


日本にとって昭和は成長の時代でした。

第二次世界大戦後の奇跡的な復興を高度成長と呼ぶことが多いですが、実際には、明治以来の殖産興業の取り組みの成果として、昭和の成長があったとみるべきでしょう。

(同じ意味で、20世紀(明治34年~平成12年)に最も成長した国は日本だと報道されることもあります)

ところがいい時ばかり続くわけではありませんでした。昭和の終わり、世界経済に構造的な変化が起きました。一強だったアメリカ経済が相対的に退潮の時期を迎えたのです。たまりかねたアメリカが、ドルの切り下げを世界中に強要したために、各国の通貨は急激な高値をつけることになってしまいました。

特に影響が大きかったのが日本です。それまで1ドル240円程度だったものが、最大80円にもなってしまいました。3倍です。アメリカに100万円で売っていたものを、300万円で売らなければならなくなったのです。

資源のない日本は、原材料を仕入れて、それを日本で加工し、海外に輸出することで経済を成り立たせてきました。それが明治以来の日本の産業構造です。

その最大の得意先がアメリカでした。それがいきなり3倍の値段で売らなければならなくなったのです。いくらなんでも難しい。日本の輸出産業は、生産工場を消費地に移設するなどして対応することになるのですが、それは後の話です。当初はパニックに陥りました。

逆に活気づいたのが輸入産業です。アメリカからの商品が3分の1で買えるのだからお得感があります。海外で稼げないなら国内で稼げ、と多くの企業の矛先は内需拡大に向かいました。その末に、過剰な資金が土地に流入するようになり、実態の価値以上の価格付けがなされたことで、バブル経済とその崩壊につながっていったのです。

バブル経済の崩壊が平成の初めでした。その処理に手間取る間に、日本の本当の問題である人口減少と少子高齢化への対応が後手に回ることになってしまいました。経済停滞と問題の先送りが平成という時代だったということができます。

その間、アメリカはちゃっかりと経済の構造変革を成し遂げ、さらなる経済成長を続けています。あるいは桁外れの内需を持つ中国が急激に台頭しました。

足踏みを続けた日本は、すっかり置いていかれたかっこうです。

このまま日本は「かつての先進国」として美しく衰退していくのか。あるいは、アメリカのように構造変革を成し遂げ、再び成長軌道に乗るのか。令和の時代にその分岐点があることでしょう。


ランチェスター戦略で生き残る


私は自分のコンサルティングのテーマを「生き残る」ことに設定しています。

華々しく成長拡大したい企業さんからすれば物足りないことかも知れませんが、小さな会社でも生き残る方法を考え、ともに戦うことこそが、いま自分のすべきことだと考えています。

それもある意味当然です。平成の日本は停滞を続けていたわけですから、よくて現状維持、何もしなければ衰退していきます。

上場企業はそれでも成長しようとしますから他社のパイを奪いにきます。そんな中、小さな会社が安穏としていたらふるい落とされてしまいます。

経済が成長しないなら、成長しないなりの戦略を立てなければ生き残れません。

大企業が見捨てた小さな需要でも拾わなければなりませんし、面倒なことにも取り組まなければなりません。あるいは、大企業のフォロワーになって生き残ることも立派な戦略です。

ランチェスター戦略や孫子の兵法には、小さな会社がいかに生き残るのか、その方法論やヒントが書かれています。

私はその方法を研究し、実践で使うことに取り組んできました。それが私の役割だと思っています。


令和を「生き抜く」ことこそが責任


かつて田岡信夫先生がランチェスター戦略を作って一世を風靡した頃は、オイルショック後の不況時だとはいえ人口増加が続いている状況であり、各所に成長余地が多くありました。

ですが今は人口減少時代であり、かつての産業は殆ど衰退局面に入っています。

その中で生き残るのは難儀なことですが、どんな経営環境下でも生きていかねばならないのが経営者です。

できないわけではありません。むしろ需要が細分化し、不確実な時代には、小回りの利く小さな会社の方が、生きていく方法が多様にあります。

私はそう実感しています。


令和になって日本が再び成長軌道に乗るかも知れません。それは素晴らしいことです。

もちろんその方がいいに決まっています。

成長期には成長期の戦略があります。ランチェスター戦略にはそれが組み込まれています。

しかしたとえ日本がこのまま衰退していったとしても、我々は生き残っていかなければなりません。

その時にも、やはり生き残るための戦略を駆使していかなければなりません。

どちらに転んでも生き残っていきましょう。

私はいま55歳ですから、あと30年経つと、85歳です。それまで生きているでしょうかね。。わかりませんが、ギリギリ令和を見届けることができるかも知れません。

令和という時代を生き抜くことが、戦略を学んできた私の責任です。


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