吉本が、これほどマネジメント能力がないとは驚いた

2019.07.25

(2019年7月25日メルマガより)


ここ数日間、テレビを独占しているのが、吉本興業に関する話題です。

参議院選挙もあったし、京都アニメにおける放火大量殺人事件もありました。本来なら、そちらの方が重要なはずですが、世間の関心は、吉本興業の内部事情に向けられています。

関西ローカルで話題になるのはわかります。関西人にとって、吉本というのは特別なブランドですから。

ただそんな私の考えは古いものだったようです。よきにつけ悪しきにつけ、吉本の存在感は、日本全国でこれほど大きなものだったということを認識しました。


関西人のソウル「吉本」


関西人の特徴とされる「話にオチがないと納得しない」「会話が自然にボケとツッコミになる」「笑いがとれないとダメなやつだと認定する」気質は、吉本の番組によって醸成されたものだと言っても過言ではありません。

小さい頃、土曜日のお昼から放送される吉本新喜劇がどれだけ楽しみだったことか。

花紀京、岡八郎、木村進、船場太郎、間寛平。。その頃の小学生たちのヒーローでした。特に花紀京が出演する回は、見逃すまいとして必死で帰ったものでした。

この感覚、当時を知る関西人にしかわからないでしょうなぁ。花紀京のボケやスカシ芸の強烈さは、鮮明に覚えています。今に至るまで、あれほどのボケを聞くことはありませんから。

そんな関西のソウルを体現する吉本に何があったというのでしょうか。


最大の問題は「反社勢力との接触」


発端は、今年5月末頃、吉本興業所属の人気芸人による反社会的グループが主催するイベントへの参加が明るみになったことです。

写真週刊誌フライデーの取材によって明らかになったものですが、これ、2014年12月の出来事です。

5年前のイベントをタレコミする人物の意図がどこにあったのかは想像の範囲外ですが、このこと一つをとっても、反社会的グループとの接触が百害あって一利なしだということはわかりますね。

かといって、芸人側を擁護することはできません。たまたま囲まれて写真をとられたということならまだしも、イベントで何らかの芸を披露して、少なからぬギャラをもらっているのだから、責任は重大です。

現在のコンプライアンス基準でいえば、知らなかったは言い訳にはなりません。知らずに接触してしまうことをも想定して、行動していかなければなりません。

仮に知らずに接触したとすれば、事後策としても、関係機関に相談するなりして、対応していかなければなりませんでした。

それなのに「ギャラはもらっていない」とウソの説明をしてごまかそうとしたというのだから、最悪の対応です。

一方で会社側も、所属芸人が反社会的グループと知らずに接触することを阻止する対策をとらなければなりません。

ことに吉本興業は、政府が推し進める事業にかかわり、多くの公的資金を管理運営する立場にある大企業です。

政府側から「ちゃんと説明しろ」という声が出るのは当然です。

ここが最大の問題点であることは忘れてはなりません。


会見によって逆転した世論


ともあれ起こってしまったことは仕方ありません。が、その後の対応がさらに混乱を引き起こします。

当事者の芸人である「雨上がり決死隊」の宮迫博之、「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮が、謝罪会見を開いたのが7月19日です。

ずいぶん遅い会見でしたが、その前日には、宮迫博之との契約解除が吉本興業側から発表されていました。

このころまで世論は「宮迫憎し」が大勢でした。「悪いことをしてもごまかそうとして逃げるやつ」「記者会見も開かずに引退逃げ切りを図っている」などと言われていたものです。

ところがこの謝罪会見で世論は一変します。

涙ながらに自らの行動を悔い、真摯に謝罪する二人の姿は、人々の胸を打ちました。

会見を見る限り、宮迫と田村が、またウソを言ってごまかそうとしているようには思えませんでした。

これだけ正直に告白し、反省しているならば、再チャンスがあってもいいんじゃないかと思える内容でした。さすが、力のある芸人です。


その代わり注目されたのが、吉本興業側のずさんな対応です。

なんと、当事者である芸人が正直に謝りたいと言っているのに「静観しよう」などといって、阻止したのが会社側だというではないですか。

しかもその中で、あろうことか代表取締役社長から「会見をするなら、連帯責任で全員クビにするぞ。おれにはそれだけの力がある」なんてとんでもない暴言を浴びせられたことが告発されました。

こうなると世論は一気に「吉本憎し」に傾きました。

同じ芸人仲間からも宮迫、田村擁護の声が次々と上がり、会社側を告発非難する者が現れるようになりました。

弱い立場の芸人を安い報酬でこき使いながら、いざとなれば恫喝して切り捨てる横暴な組織としてイメージが流布されていったのです。


天才・松本人志の登場


ここで大物芸人である「ダウンタウン」松本人志が仲裁に乗り出します。

ダウンタウンといえば、私の世代にとって特別な存在です。(私は一つ年下にあたります)

1980年頃の漫才ブームによって登場した紳助竜介のテンポの速い爆発的な笑いも十分に衝撃的でしたが、それから7、8年後に登場したダウンタウンのスローテンポでウダウダ話のような笑いは、さらに衝撃でした。

漫才ブームの時の笑いは、基本的にギャグの笑いです。それぞれが決めギャグを持って、ここぞという時に連呼するので笑いどころが分かりやすい。このスタイルが、芸を味わうよりも、手っ取り早く笑いたいという人々の支持を受けて、大きなブームとなりました。

ところが、関西ローカルとして登場したダウンタウンは、一見、仲間内の打ち明け話のようなトーンで、ギャグを挟むことなく、シュールな笑いを展開しました。

決めギャグがないというのは、笑いどころが分かりにくいといえるかも知れません。当時も、ダウンタウンの何が面白いのか分からないという人たちはけっこういましたから。

しかし「笑いが分からない」というオヤジたちがいることは、むしろ分かる若者にとっての特別感を作ることになります。当時の私たちにとって、ダウンタウンの笑いが理解できることが、世代の連帯意識をさえ形成するものでした。

今でも、私たちにとって「ダウンタウン世代だ」というのは、誇らしい気持ちとともに語られるフレーズです。

もっとも、その後、東京進出して、当然のように日本の笑いの中心を担うようになったダウンタウンが、数十年後に時代のパラダイムシフト(価値観の逆転)まで起こしてしまうとは、さすがに思っていませんでした。

彼らの姿勢は常に「お笑いこそ至高」というものでした。笑いをとれる者が偉い、という関西人なら当たり前の価値観を全国に広めようとしました。

この点が、古いタイプの芸人がいう「芸人なんてどうせ半端者だ」という卑屈な立場だから許される笑いとは決定的に違う部分です。

楽屋内は見せないというのがかつてのプロの矜持だったかも知れませんが、むしろダウンタウンは、積極的にお笑いの技術論を語ります。今では、一般人も普通に「ボケ」「ツッコミ」「ノリツッコミ」「スカシ」「かぶせ」などという技術を語れるようになりましたが、いわば、われわれは教育されていったわけです。

だからダウンタウンの笑いは、どんなアホなことをやっていても「こんな笑いもある」「この視点から笑いを作る」といった技術、スタイルとして捉えられました。

ミュージシャンやスポーツ選手や政治家を前にして一歩も引かない彼らの姿勢も一貫していました。今では、彼らがダウンタウンに媚びる姿が当たり前となりました。

今やお笑い芸人の地位は、かつてとは比べられないほど高いものとなっています。お笑い芸人が、司会や俳優やコメンテーターにも進出しているのは「アホな奴がアホなことをする」のがお笑いではないことを世間が認識したからです。その地位向上に、ダウンタウンの功績は計り知れないものがあったと思います。


松本らしくない大甘な仲裁案


吉本興業もここ30年で全国区の総合エンターテイメント企業へと変貌を遂げました。

かつての吉本興業は、大阪ローカルのお笑い専門芸能事務所で、典型的な「アホなやつがアホなことをする」ことを見せるお笑いを提供していました。

大阪らしいがめつい社風で、運営もそうとうラフだったようです。

儲かるならなんでもやるというのがネタ交じりに語られる吉本の姿でしたが、そういう理念のなさは、組織のタガを緩めてしまうものです。

案の定、暴力団との親密な交際を噂される芸人や社員もいたようで、きな臭い事件もたびたび起きていました。

そういう反社会的勢力との決別と現代的なエンターテイメント企業への脱皮を担ったのが、現在の大﨑会長だったということです。

大﨑氏は、決して吉本興業の本流にいた人ではなかったようです。だから異端児だったダウンタウンに着目したのでしょうか。

大阪時代からダウンタウンを育て、東京進出を後押ししたのが、大﨑氏でした。だから、お笑い芸人の地位向上の一翼を担った人であるともいえます。

ダウンタウンの成功とともに大﨑氏の社内での地位も向上し、社長になったのが2009年、会長になったのが2019年です。

その間、吉本興業は、映画製作、動画配信、アイドルプロデュースをはじめ、教育事業やクールジャパン構想など国の事業への参画なども進めています。

大﨑会長のビジョン通りの発展が進んでいるわけで、ここで改革の手を止めるわけにはいかないという気持ちがわからないでもありません。


さて、ダウンタウンの松本は、宮迫、田村の会見を受けてすぐに仲裁に乗り出すことを表明しました。

ちょっと驚いたのは、松本の吉本における地位の高さです。なにしろ、大﨑会長はかつて二人三脚で成長した仲ですし、岡本社長はかつてのマネージャーだとか。

いわばツーカーの仲で、吉本興業のトップとため口で会話できる立場なんですね。

お笑い純潔種のような松本が、いつの間にか、笑福亭仁鶴のような重鎮になっていたとは、この時、初めて知りました。

だからでしょうか。松本の仲裁は「みんな仲良くやっていこうよ」式のもので、応急処置もいいところの甘いものでした。

松本自身は「芸人ファーストでないと意味がない」と言っていますし、それは純粋な気持ちなんでしょう。

しかし「問題の隠蔽疑惑」「ひどいパワハラ」「反社との関わり疑惑」がぬぐえない時点で「乳首相撲すればすべて収まる」というのは、松本らしくない大甘なまとめ方です。

これでは、所属芸人の一人である「極楽トンボ」の加藤浩次から「会長、社長が辞めるのが当たり前だろ」という声が上がるのは仕方ないことでした。


マイナスでしかなかった社長会見


それでも問題収束の方向性をつけたのは、さすが松本というべきです。

しかし、それを受けて行われた岡本社長の会見はあまりにもお粗末なもので、松本の努力を水泡に帰すものでした。

もし、あの会見で、理路整然と、はっきりと自分の非を認め、潔く辞任することを表明していたならば、世間の非難も収まっていたかも知れません。

それなら大﨑会長が社長も兼任する緊急案が、通ったかもしれません。

しかし、会見では要領の得ない答弁に終始し、言い訳やごまかしが目立つものでした。

あの会見で浮かび上がったのは、人前で話すのが下手な内弁慶な経営者の姿です。しかも時代感覚の欠如した前時代的な経営者です。

衰退期を迎えた中小企業ならまだしも、これから世界に飛躍しようという企業の社長の器だとはとても思えません。

もしこの会見の絵図を描いたのが大﨑会長だとしたら、こちらも甘すぎると言わざるを得ません。目論見を大きく外しています。

その前から怒りの声を上げていた加藤浩次も、再び「会長と社長が辞めなければ、自分が吉本を出る」と表明しました。

所属芸人の中には、加藤に賛同する声も多く、図らずも松本が芸人の声を代弁するものではないことを露呈してしまいました。

つまり既に売れた人気芸人と、その下の食えない芸人の層には、相当のギャップがあるということです。

この状況を見る限り、ここ数十年で巨大化多様化した吉本のマネジメントがうまくいっているとはとても思えません。

この組織の問題は、対症療法で何とかなるような表層的なものではないでしょう。


普通の会社なら経営者は交代


問題を整理します。

1.反社会勢力との決別を進めてきたのに、所属の人気芸人がつながってしまったという問題。

2.吉本興業のイベントのスポンサーにも反社会勢力がいたという問題。

3.6000人もいる所属芸人に十分なマネジメントができていない問題。

4.何かあった時に恫喝するなど未熟極まりないマネジメントの問題。

これらは奥でつながっています。マネジメントが未熟で行き届かないから、反社とつながる隙を作ってしまうわけで、中小企業的なファミリー体制のまま巨大化複雑化して統治能力を失った企業の姿を浮かび上がらせています。


これだけ問題が噴出すれば、なあなあで済ますわけにはいきません。吉本興業ほどの社会的影響力のある会社なら猶更です。非上場だからといって、このままうやむやにするのは得策ではありません。

普通の会社なら、まずは問題点を洗い出します。第三者委員会を立ち上げ、徹底的に調査してもらうべきでしょう。

その上で対応策を考えなければなりません。コンプライアンスの問題は待ったなしですから、早急にすべきです。

経営陣も今のまま続けるのは問題です。調査が一段落ついた時点で、取締役は一層すべきです。

大﨑会長がカリスマだというのはわかりますが、客観的にみて、あの社長会見を容認した時点でこれからの時代の人ではないと判断されても仕方ありません。社長には実績のあるプロ経営者を連れてくるのがいいと思います。特に組織構築に実績のある人がいいでしょう。


ただ今の吉本興業の体制がすべて悪いかというとそうではありません。

日本で一番大きな芸能事務所であり、多くの有能なお笑い芸人を生み出してきた実績は、認めないわけにはいきません。

いわば吉本の緩いマネジメント体制、規則で締め付けず、個人の裁量で動くことを認め、問題が起こればそれから考えればいいやというスタイルが、いいように回る場面もあっただろうということです。

そうじゃなければダウンタウンのような異端の才能が花開くことはなかったかも知れませんし、これから出てくる大木の芽を摘み取ってしまうことになりかねません。

だからがちがちに締め付ければいいというわけではありません。柔軟に考えることができる人を経営者に迎えなければなりませんね。


マネジメント会社を複数化すればどうか


そういえば、「雨上がり決死隊」の宮迫は、明石家さんまの個人事務所への移籍を希望しているというではないですか。

いい考えですね。

どんどん分社化してマネジメント会社を作り、独立採算制にすれば、一人のマネージャーが面倒をみる芸人の数が適正化されていくでしょう。

マネジメント会社が多数できれば、そこは競争ですから工夫するようになります。漫才に強い会社、コントに強い会社、女性芸人ばかりの会社。あるいは薄利多売の会社、じっくり育てる会社など。

今後、吉本は芸人のマネジメントからは手を引き、イベント運営、劇場経営、番組制作、映画製作などアウトプットに特化していけばいいんです。タレントのマネジメントが別会社になれば、緊張関係も生まれて、公正さが増すはずです。

養成所を卒業した芸人の卵は、とりあえず分社化した複数のマネジメント会社に所属し、切磋琢磨させる。もちろん新陳代謝も激しくなりますから、厳しいですが、それは仕方ありません。もともとそういう世界ですからね。

一つの案ですが、落としどころとしてはいい筋かも知れませんな。


マネジメント会社を分社化すると、もう一ついいことがあります。

テレビ局への売り込みも各社切磋琢磨することになりますから、一つの会社への妙な忖度がなくなります。

5.大手芸能プロダクションによるテレビ局側への圧力問題。

が中和されることになります。

そうじゃないと、テレビごと日本のエンターテイメントはつぶれてしまいますよ。


ともあれ、吉本の問題は、まだまだ二転三転しそうな気配がありますね。

どうなることかわかりませんが、早く収束してほしいものです。


《参考》






(2019年7月25日メルマガより)


ここ数日間、テレビを独占しているのが、吉本興業に関する話題です。

参議院選挙もあったし、京都アニメにおける放火大量殺人事件もありました。本来なら、そちらの方が重要なはずですが、世間の関心は、吉本興業の内部事情に向けられています。

関西ローカルで話題になるのはわかります。関西人にとって、吉本というのは特別なブランドですから。

ただそんな私の考えは古いものだったようです。よきにつけ悪しきにつけ、吉本の存在感は、日本全国でこれほど大きなものだったということを認識しました。


関西人のソウル「吉本」


関西人の特徴とされる「話にオチがないと納得しない」「会話が自然にボケとツッコミになる」「笑いがとれないとダメなやつだと認定する」気質は、吉本の番組によって醸成されたものだと言っても過言ではありません。

小さい頃、土曜日のお昼から放送される吉本新喜劇がどれだけ楽しみだったことか。

花紀京、岡八郎、木村進、船場太郎、間寛平。。その頃の小学生たちのヒーローでした。特に花紀京が出演する回は、見逃すまいとして必死で帰ったものでした。

この感覚、当時を知る関西人にしかわからないでしょうなぁ。花紀京のボケやスカシ芸の強烈さは、鮮明に覚えています。今に至るまで、あれほどのボケを聞くことはありませんから。

そんな関西のソウルを体現する吉本に何があったというのでしょうか。


最大の問題は「反社勢力との接触」


発端は、今年5月末頃、吉本興業所属の人気芸人による反社会的グループが主催するイベントへの参加が明るみになったことです。

写真週刊誌フライデーの取材によって明らかになったものですが、これ、2014年12月の出来事です。

5年前のイベントをタレコミする人物の意図がどこにあったのかは想像の範囲外ですが、このこと一つをとっても、反社会的グループとの接触が百害あって一利なしだということはわかりますね。

かといって、芸人側を擁護することはできません。たまたま囲まれて写真をとられたということならまだしも、イベントで何らかの芸を披露して、少なからぬギャラをもらっているのだから、責任は重大です。

現在のコンプライアンス基準でいえば、知らなかったは言い訳にはなりません。知らずに接触してしまうことをも想定して、行動していかなければなりません。

仮に知らずに接触したとすれば、事後策としても、関係機関に相談するなりして、対応していかなければなりませんでした。

それなのに「ギャラはもらっていない」とウソの説明をしてごまかそうとしたというのだから、最悪の対応です。

一方で会社側も、所属芸人が反社会的グループと知らずに接触することを阻止する対策をとらなければなりません。

ことに吉本興業は、政府が推し進める事業にかかわり、多くの公的資金を管理運営する立場にある大企業です。

政府側から「ちゃんと説明しろ」という声が出るのは当然です。

ここが最大の問題点であることは忘れてはなりません。


会見によって逆転した世論


ともあれ起こってしまったことは仕方ありません。が、その後の対応がさらに混乱を引き起こします。

当事者の芸人である「雨上がり決死隊」の宮迫博之、「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮が、謝罪会見を開いたのが7月19日です。

ずいぶん遅い会見でしたが、その前日には、宮迫博之との契約解除が吉本興業側から発表されていました。

このころまで世論は「宮迫憎し」が大勢でした。「悪いことをしてもごまかそうとして逃げるやつ」「記者会見も開かずに引退逃げ切りを図っている」などと言われていたものです。

ところがこの謝罪会見で世論は一変します。

涙ながらに自らの行動を悔い、真摯に謝罪する二人の姿は、人々の胸を打ちました。

会見を見る限り、宮迫と田村が、またウソを言ってごまかそうとしているようには思えませんでした。

これだけ正直に告白し、反省しているならば、再チャンスがあってもいいんじゃないかと思える内容でした。さすが、力のある芸人です。


その代わり注目されたのが、吉本興業側のずさんな対応です。

なんと、当事者である芸人が正直に謝りたいと言っているのに「静観しよう」などといって、阻止したのが会社側だというではないですか。

しかもその中で、あろうことか代表取締役社長から「会見をするなら、連帯責任で全員クビにするぞ。おれにはそれだけの力がある」なんてとんでもない暴言を浴びせられたことが告発されました。

こうなると世論は一気に「吉本憎し」に傾きました。

同じ芸人仲間からも宮迫、田村擁護の声が次々と上がり、会社側を告発非難する者が現れるようになりました。

弱い立場の芸人を安い報酬でこき使いながら、いざとなれば恫喝して切り捨てる横暴な組織としてイメージが流布されていったのです。


天才・松本人志の登場


ここで大物芸人である「ダウンタウン」松本人志が仲裁に乗り出します。

ダウンタウンといえば、私の世代にとって特別な存在です。(私は一つ年下にあたります)

1980年頃の漫才ブームによって登場した紳助竜介のテンポの速い爆発的な笑いも十分に衝撃的でしたが、それから7、8年後に登場したダウンタウンのスローテンポでウダウダ話のような笑いは、さらに衝撃でした。

漫才ブームの時の笑いは、基本的にギャグの笑いです。それぞれが決めギャグを持って、ここぞという時に連呼するので笑いどころが分かりやすい。このスタイルが、芸を味わうよりも、手っ取り早く笑いたいという人々の支持を受けて、大きなブームとなりました。

ところが、関西ローカルとして登場したダウンタウンは、一見、仲間内の打ち明け話のようなトーンで、ギャグを挟むことなく、シュールな笑いを展開しました。

決めギャグがないというのは、笑いどころが分かりにくいといえるかも知れません。当時も、ダウンタウンの何が面白いのか分からないという人たちはけっこういましたから。

しかし「笑いが分からない」というオヤジたちがいることは、むしろ分かる若者にとっての特別感を作ることになります。当時の私たちにとって、ダウンタウンの笑いが理解できることが、世代の連帯意識をさえ形成するものでした。

今でも、私たちにとって「ダウンタウン世代だ」というのは、誇らしい気持ちとともに語られるフレーズです。

もっとも、その後、東京進出して、当然のように日本の笑いの中心を担うようになったダウンタウンが、数十年後に時代のパラダイムシフト(価値観の逆転)まで起こしてしまうとは、さすがに思っていませんでした。

彼らの姿勢は常に「お笑いこそ至高」というものでした。笑いをとれる者が偉い、という関西人なら当たり前の価値観を全国に広めようとしました。

この点が、古いタイプの芸人がいう「芸人なんてどうせ半端者だ」という卑屈な立場だから許される笑いとは決定的に違う部分です。

楽屋内は見せないというのがかつてのプロの矜持だったかも知れませんが、むしろダウンタウンは、積極的にお笑いの技術論を語ります。今では、一般人も普通に「ボケ」「ツッコミ」「ノリツッコミ」「スカシ」「かぶせ」などという技術を語れるようになりましたが、いわば、われわれは教育されていったわけです。

だからダウンタウンの笑いは、どんなアホなことをやっていても「こんな笑いもある」「この視点から笑いを作る」といった技術、スタイルとして捉えられました。

ミュージシャンやスポーツ選手や政治家を前にして一歩も引かない彼らの姿勢も一貫していました。今では、彼らがダウンタウンに媚びる姿が当たり前となりました。

今やお笑い芸人の地位は、かつてとは比べられないほど高いものとなっています。お笑い芸人が、司会や俳優やコメンテーターにも進出しているのは「アホな奴がアホなことをする」のがお笑いではないことを世間が認識したからです。その地位向上に、ダウンタウンの功績は計り知れないものがあったと思います。


松本らしくない大甘な仲裁案


吉本興業もここ30年で全国区の総合エンターテイメント企業へと変貌を遂げました。

かつての吉本興業は、大阪ローカルのお笑い専門芸能事務所で、典型的な「アホなやつがアホなことをする」ことを見せるお笑いを提供していました。

大阪らしいがめつい社風で、運営もそうとうラフだったようです。

儲かるならなんでもやるというのがネタ交じりに語られる吉本の姿でしたが、そういう理念のなさは、組織のタガを緩めてしまうものです。

案の定、暴力団との親密な交際を噂される芸人や社員もいたようで、きな臭い事件もたびたび起きていました。

そういう反社会的勢力との決別と現代的なエンターテイメント企業への脱皮を担ったのが、現在の大﨑会長だったということです。

大﨑氏は、決して吉本興業の本流にいた人ではなかったようです。だから異端児だったダウンタウンに着目したのでしょうか。

大阪時代からダウンタウンを育て、東京進出を後押ししたのが、大﨑氏でした。だから、お笑い芸人の地位向上の一翼を担った人であるともいえます。

ダウンタウンの成功とともに大﨑氏の社内での地位も向上し、社長になったのが2009年、会長になったのが2019年です。

その間、吉本興業は、映画製作、動画配信、アイドルプロデュースをはじめ、教育事業やクールジャパン構想など国の事業への参画なども進めています。

大﨑会長のビジョン通りの発展が進んでいるわけで、ここで改革の手を止めるわけにはいかないという気持ちがわからないでもありません。


さて、ダウンタウンの松本は、宮迫、田村の会見を受けてすぐに仲裁に乗り出すことを表明しました。

ちょっと驚いたのは、松本の吉本における地位の高さです。なにしろ、大﨑会長はかつて二人三脚で成長した仲ですし、岡本社長はかつてのマネージャーだとか。

いわばツーカーの仲で、吉本興業のトップとため口で会話できる立場なんですね。

お笑い純潔種のような松本が、いつの間にか、笑福亭仁鶴のような重鎮になっていたとは、この時、初めて知りました。

だからでしょうか。松本の仲裁は「みんな仲良くやっていこうよ」式のもので、応急処置もいいところの甘いものでした。

松本自身は「芸人ファーストでないと意味がない」と言っていますし、それは純粋な気持ちなんでしょう。

しかし「問題の隠蔽疑惑」「ひどいパワハラ」「反社との関わり疑惑」がぬぐえない時点で「乳首相撲すればすべて収まる」というのは、松本らしくない大甘なまとめ方です。

これでは、所属芸人の一人である「極楽トンボ」の加藤浩次から「会長、社長が辞めるのが当たり前だろ」という声が上がるのは仕方ないことでした。


マイナスでしかなかった社長会見


それでも問題収束の方向性をつけたのは、さすが松本というべきです。

しかし、それを受けて行われた岡本社長の会見はあまりにもお粗末なもので、松本の努力を水泡に帰すものでした。

もし、あの会見で、理路整然と、はっきりと自分の非を認め、潔く辞任することを表明していたならば、世間の非難も収まっていたかも知れません。

それなら大﨑会長が社長も兼任する緊急案が、通ったかもしれません。

しかし、会見では要領の得ない答弁に終始し、言い訳やごまかしが目立つものでした。

あの会見で浮かび上がったのは、人前で話すのが下手な内弁慶な経営者の姿です。しかも時代感覚の欠如した前時代的な経営者です。

衰退期を迎えた中小企業ならまだしも、これから世界に飛躍しようという企業の社長の器だとはとても思えません。

もしこの会見の絵図を描いたのが大﨑会長だとしたら、こちらも甘すぎると言わざるを得ません。目論見を大きく外しています。

その前から怒りの声を上げていた加藤浩次も、再び「会長と社長が辞めなければ、自分が吉本を出る」と表明しました。

所属芸人の中には、加藤に賛同する声も多く、図らずも松本が芸人の声を代弁するものではないことを露呈してしまいました。

つまり既に売れた人気芸人と、その下の食えない芸人の層には、相当のギャップがあるということです。

この状況を見る限り、ここ数十年で巨大化多様化した吉本のマネジメントがうまくいっているとはとても思えません。

この組織の問題は、対症療法で何とかなるような表層的なものではないでしょう。


普通の会社なら経営者は交代


問題を整理します。

1.反社会勢力との決別を進めてきたのに、所属の人気芸人がつながってしまったという問題。

2.吉本興業のイベントのスポンサーにも反社会勢力がいたという問題。

3.6000人もいる所属芸人に十分なマネジメントができていない問題。

4.何かあった時に恫喝するなど未熟極まりないマネジメントの問題。

これらは奥でつながっています。マネジメントが未熟で行き届かないから、反社とつながる隙を作ってしまうわけで、中小企業的なファミリー体制のまま巨大化複雑化して統治能力を失った企業の姿を浮かび上がらせています。


これだけ問題が噴出すれば、なあなあで済ますわけにはいきません。吉本興業ほどの社会的影響力のある会社なら猶更です。非上場だからといって、このままうやむやにするのは得策ではありません。

普通の会社なら、まずは問題点を洗い出します。第三者委員会を立ち上げ、徹底的に調査してもらうべきでしょう。

その上で対応策を考えなければなりません。コンプライアンスの問題は待ったなしですから、早急にすべきです。

経営陣も今のまま続けるのは問題です。調査が一段落ついた時点で、取締役は一層すべきです。

大﨑会長がカリスマだというのはわかりますが、客観的にみて、あの社長会見を容認した時点でこれからの時代の人ではないと判断されても仕方ありません。社長には実績のあるプロ経営者を連れてくるのがいいと思います。特に組織構築に実績のある人がいいでしょう。


ただ今の吉本興業の体制がすべて悪いかというとそうではありません。

日本で一番大きな芸能事務所であり、多くの有能なお笑い芸人を生み出してきた実績は、認めないわけにはいきません。

いわば吉本の緩いマネジメント体制、規則で締め付けず、個人の裁量で動くことを認め、問題が起こればそれから考えればいいやというスタイルが、いいように回る場面もあっただろうということです。

そうじゃなければダウンタウンのような異端の才能が花開くことはなかったかも知れませんし、これから出てくる大木の芽を摘み取ってしまうことになりかねません。

だからがちがちに締め付ければいいというわけではありません。柔軟に考えることができる人を経営者に迎えなければなりませんね。


マネジメント会社を複数化すればどうか


そういえば、「雨上がり決死隊」の宮迫は、明石家さんまの個人事務所への移籍を希望しているというではないですか。

いい考えですね。

どんどん分社化してマネジメント会社を作り、独立採算制にすれば、一人のマネージャーが面倒をみる芸人の数が適正化されていくでしょう。

マネジメント会社が多数できれば、そこは競争ですから工夫するようになります。漫才に強い会社、コントに強い会社、女性芸人ばかりの会社。あるいは薄利多売の会社、じっくり育てる会社など。

今後、吉本は芸人のマネジメントからは手を引き、イベント運営、劇場経営、番組制作、映画製作などアウトプットに特化していけばいいんです。タレントのマネジメントが別会社になれば、緊張関係も生まれて、公正さが増すはずです。

養成所を卒業した芸人の卵は、とりあえず分社化した複数のマネジメント会社に所属し、切磋琢磨させる。もちろん新陳代謝も激しくなりますから、厳しいですが、それは仕方ありません。もともとそういう世界ですからね。

一つの案ですが、落としどころとしてはいい筋かも知れませんな。


マネジメント会社を分社化すると、もう一ついいことがあります。

テレビ局への売り込みも各社切磋琢磨することになりますから、一つの会社への妙な忖度がなくなります。

5.大手芸能プロダクションによるテレビ局側への圧力問題。

が中和されることになります。

そうじゃないと、テレビごと日本のエンターテイメントはつぶれてしまいますよ。


ともあれ、吉本の問題は、まだまだ二転三転しそうな気配がありますね。

どうなることかわかりませんが、早く収束してほしいものです。


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