「シン・ゴジラ」って途中まで面白いけど、後半グダグダじゃないですか?

2017.11.16

(2017年11月16日メルマガより)

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先週の金曜日、地上波テレビ映画「シン・ゴジラ」が放送されました。

ご覧になられました?

話題になった映画の地上波初放送です。

予想通り、今回も大いに話題になり、視聴率もよかったそうです。

ネットでは「これでシン・ゴジラも国民映画になった」という論調の記事も見られました。

シン・ゴジラ
長谷川博己
2017-03-22


もっとも私は「陸王」を必死で観ておりましたので、今回の「シン・ゴジラ」放送は観ておりません。

申し訳ございません。

が、気になりましたので、録画して観てみました。

ロードショー公開時に一度観ているので、二度目です。

なかなか悪くなかったですね^^


などと上から目線で言って、また申し訳ございません。

実を言うと、ロードショー公開時に観た時は正直言って、微妙な印象を持ちました。

当時、絶賛する人が多かったので、なんだか違和感を抱いたものです。

しかも、この映画のことを悪く言うと、怒りだす人もいましたからね。

実際、飲み屋で絡まれかけたこともありました^^;

いったいこの映画のどこにそんな磁力があるというのでしょうか。

(以降、ネタバレありますので、ご注意ください)


もともとゴジラシリーズは国民映画だった


そうなんですね。私の世代でゴジラのことを知らない人はいないでしょう。

日本だけではない。海外でもゴジラ人気は絶大です。

「ゴジラ」は、日本が誇る最大のコンテンツの一つであると言っても過言ではありません。

私事ですが少年時、初めて映画館で観た映画が「モスラ対ゴジラ」でした。




それはそれは面白かった。いや面白かったなんてものではありません。魂を奪われるほど夢中になりました。

初めて見た衝撃があるのかも知れませんが、いまでも私は「モスラ対ゴジラ」こそ、怪獣映画の最高傑作だと信じています。

(といっても怪獣映画を全部みたわけではありませんが...)

素晴らしかったなーー

その後しばらく、ゴジラ関連のグッズや書籍を買いあさる怪獣少年になってしまったほどでした。


ゴジラは現代の神話


初代「ゴジラ」を観たのはテレビ放送だったと思います。白黒の古い映画でしたが、それでも夢中になりました。


ゴジラ
宝田 明
2014-04-23


ゴジラは、水爆実験により生まれた怪物だとされています。

被爆国である日本の核への恐怖心や批判精神が、ゴジラという怪獣に込められているらしい。

しかし私が子供だったからなのか、あるいは観たのがリアルタイムでなかったからか、社会的な批判精神よりも、心を占めたのは、その圧倒的な存在感です。

その怪獣は、無慈悲に東京を破壊し尽したあげく、戦闘機によるミサイル攻撃も無表情にやり過ごし、東京湾へ去っていきます。

自衛隊の最新兵器でも倒せない存在が、ビルや鉄塔や鉄橋などを無軌道に壊していったのです。

なんとも圧倒的。まるで神のごとき存在です。

科学技術や人間の思惑のまったく届かない存在がいる、という気の遠くなるようなスケール感は、ちっぽけな自分を忘れさせてくれるほどのカタルシスをもたらすものでした。

ゴジラシリーズが日本だけでなく、世界の観客を魅了したのは、それが現代の神話として受け入れられたからだと考えます。


初代ゴジラのコンセプトを忠実に再現


いわば神話として確立したゴジラ映画に挑戦して、みごと大ヒット作を生み出した庵野秀明総監督、樋口真嗣監督の勇気と手腕は称賛して余りあるものでしょう。

新しいゴジラ映画を作るにおいて、庵野総監督が打ち出したコンセプトは、初代ゴジラへの忠実な回帰でした。

東京に突如現れた途方もない存在が、無軌道に破壊の限りを尽くす。その存在は、最新の軍事兵器をもってしても、倒すことができない。まるで神のごとき存在を目の当たりにした人間は、自らの無力を思い知ることになる。

この初代ゴジラが持つコンセプトが世間を席巻したのです。だからこれを再現することが成功への近道であることは間違いありません。

むしろ、変に色付けしたり、新機軸を打ち出そうとする方が難しい。

この原点回帰という思い切りが、この映画が成功した最大の理由だと考えます。

ただし、時代も変わっているので、昭和29年のままでは受け入れられない部分も出てきます。

そこで庵野総監督が出した答えは、現代のリアルを追求しようという姿勢です。

自衛隊の動き、最新兵器の使用方法、日本政府の対応。

こうしたリアルさへの徹底したこだわりがこの映画を抜群に面白くさせています。

政府首脳はゴジラが出たからと言って「ゴジラを撃滅せよ」なんて時代がかった台詞は一言も言いません。相変わらず無表情で四字熟語を話し、危機感があるのかないのかわからない雰囲気です。

対策委員会ができた時も、メンバーのしかめ面を見せるわけではなく、コピー機の並びで表現しています。


「シン・ゴジラ」が採り入れなかったもの


ただし初代のゴジラシリーズから「シン・ゴジラ」が省いたものがあります。

それは、観客と映画を橋渡しする人物の存在です。

初代「ゴジラ」にも「モスラ対ゴジラ」にも、分かりやすい正義感を持つ善良な人物が登場します。

ターゲット観客が子供だったからという面もありますが、そうした単純で平明な人物が、狂言回しとなることにより、観客が安心して映画の世界に入り込むことを可能としていました。

モスラ対ゴジラ」はより子供向けの映画なので分かりやすい。モスラの卵で一儲けしようというあくどい大人がいると思えば、それに憤る善良な新聞記者が登場します。

案の定、あくどい大人はゴジラの来襲で死んでしまい、善良な新聞記者は双子の妖精を助けて、暴走するゴジラを最終的に制止することに役立ちます。

ところが「シン・ゴジラ」ではそのようなわかりやすい人物は登場しません。観客に寄り添う要素を意識的に剥ぎ取り、ある種ドキュメンタリータッチにすることで、取っつきにくい醒めたタッチの映画にしています。

当時リアルな虚構として受け入れられたものが現代でも通用するとは限りません。それが時代の変遷というものであり、われわれ社会意識の変化というものでしょう。

こうした現実社会との距離感、拒絶感は、現代においてはリアルとして捉えられるはず。そこをくみ取った庵野秀明総監督のコンセプトはさすがです。

初代「ゴジラ」をそのままリメイクすれば、突っ込みどころ満載のコメディ映画になってしまうところを、2010年代の神話として成立させるためのアプローチであり、この映画が成功した大きな要因であると考えます。


どのあたりが「エヴァンゲリオン」なのか?


庵野秀明は名作アニメ「エヴァンゲリオン」の監督として知られ、まるでライフワークのようにずっとシリーズを作り続けており、コアなファンが続編を待ち続けていると聞きます。

そんな人にこの映画を任せた東宝もさすがですし、任せられてブレなかった庵野秀明も素晴らしい。

あえていうと、そんな庵野秀明を全面的に受け入れた樋口真嗣監督も大したものです。

もっとも私は、その「エヴァンゲリオン」を一話もみていません。

シン・ゴジラ」に少なからず「エヴァンゲリオン」の影響があるという批評もありますし、何より「エヴァ」ファンがこの映画に熱狂している、という話もありますので、気になっていますが、それについては何とも言えません。

いったいどの部分は「エヴァ」なのか、知っている人がいらしたら教えてくださいm(_ _)m


クライマックスは凄まじいカタストロフ


が、そんな私も「風の谷のナウシカ」は観ています。


風の谷のナウシカ [DVD]
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2014-07-16


だから、「シン・ゴジラ」の最大のクライマックスが、「ナウシカ」の巨神兵を想起させるものであることはわかります。

「ナウシカ」に登場する巨神兵は、強烈すぎて敵を倒すどころか地球全体を破壊してしまったといわれる生物兵器のようなものです。

いわば世界中に拡散している核爆弾を象徴するような存在です。

その巨神兵が口から火を噴く迫力満点のシーンを若き日の庵野秀明が担当したというのは、私も知識として知っております。

今回のゴジラも、米軍からの攻撃を受けて、怒りを爆発させるように口から、背びれから、尾から火というか光線を吐いて、米軍機だけではなく、はるか遠くにいる政府首脳が乗るヘリコプターや、東京の町の大部分を破壊してしまいます。

その一瞬の惨劇と、その後、紅蓮の炎に包まれたこの世の終わりのごとき凄まじい東京の描写は、まさにカタストロフです。

この悲劇的なカタルシスこそが怪獣映画の醍醐味です。さすが庵野秀明。外しませんねー

この映画、ここで終わっていたら、とんでもない名作だったのになあと思います。


311的なラストシーンにどうつなげるのか


でもそうはいきませんわね。

怪獣映画の定石として、無限の力を持つ神話的存在も、何らかの形で去っていってもらわなければなりません。

モスラ対ゴジラ」では、圧倒的な強さでモスラを倒したゴジラが、生まれたばかりのモスラの幼虫に意外な方法で退治されてしまいます。

初代「ゴジラ」では、孤高の天才学者が作った特殊兵器によって倒されます。

ゴジラ映画ではないですが「大魔神」なんてのは、村娘の涙によって石像に戻ってしまいます。

圧倒的な存在が、弱いもの、普通より劣るものに倒されてしまうというのは、神話でお馴染みのフレームワークです。

あるいは平成版「ゴジラ」のように火山口に落ちてしまうという自然の脅威パターンの終わり方もあります。

いずれにせよ「シン・ゴジラ」は、何らかの形で決着をつけねばなりません。

しかもこの映画、311を露骨に想起させるような終わり方を準備しています。

東京のど真ん中でゴジラが凍結し、そのまま居座り続けるというのは、問題を先送りにしただけやないかという福島原発の状況そのまま。

確かに露骨ですが、メッセージ性の強さは初代「ゴジラ」を踏襲するものです。これぐらいあざとくメッセージ性を打ち出した終わり方も秀逸です。

つまり311的なラストシーンにどのようにつなげていくのか?が、脚本家庵野秀明の腕の見せ所だったわけですな。

後半の脚本は失敗しているのでは


ところが、カタストロフのシーンから、東京のど真ん中で凍結するまでの脚本が、うまくいっているとは私には思えません。

最初観た時に「なんじゃこりゃ??」と思った後半のグダグダ感は、再観した今回も変わりませんでした。

ヤシオリ作戦ってなに?

あんな現場対応だらけの作戦を実施して、しかもうまくいってドヤ顔するエリート官僚ってなに者?

将来のアメリカ大統領候補だってのたまう日系の女の子ってなに?

なんだかラストあたりは、松本人志の「大日本人」の着ぐるみファイトのシーンを思い出しましたが、庵野脚本でも笑いをとるシーンだったのでしょうか??

それともこういうところに突っ込む私が野暮だというものでしょうかね。


初代ゴジラの決着も突っ込みどころ満載だったが


確かに、初代「ゴジラ」でもラストは突っ込みどころ満載です。

孤高の科学者が作った化学兵器が唯一ゴジラを倒すことができる。しかも兵器の作り方は、彼しか知らないとか。

その孤高の科学者。世を拗ねたふだんの態度の割には、かつての婚約者が忘れられないロマンチストです。

その元婚約者に頼み込まれて、ゴジラを倒すものの、恐るべき兵器を封印するため自ら命を絶ってしまい、もう二度とその兵器は作れないことになってしまったという設定です。

観客としては「まあ、しゃあないな」と言って観ておくしかありません。

もっとも初代「ゴジラ」では当初から人間模様を描いているので、後半のメロドラマ調の展開にもついていけないわけではありません。

しかもゴジラを倒すのが、世を拗ねた隻眼の科学者だったという流れは、物語文法的には納得できないものではありません。


後半のグダグダを皆さんはどう観ているのでしょうか?


しかし「シン・ゴジラ」の後半はいかがなものか。

あれだけ突き放したドキュメンタリー調で見せておきながら、後半はいきなり空想科学物語調になってしまうわけですよ。

音楽も軽快で、人間の反撃を高らかにうたい上げています。

そして隙だらけの作戦がうまくいって凍結したゴジラをバックに、日米のエリート同士が「将来は首相と大統領になって国を動かして行こうぜ」みたいなことを語り合っているのです。

これは笑いをとる場面だと捉えていいのでしょうか。

あるいは「まあ、しゃあないな」とスルーして済ます場面なのでしょうか。

やはりこのあたりのモヤモヤ感がなんとも晴れない後半でした。


それにしてもこの映画、評判が高い、いまでも絶賛する人が多い。

ここまで評判が高いと、自分の観方がずれているのだろうか。と不安になってしまいます。

たぶん、そうなんでしょう。私のセンスも古いですからね。


(2017年11月16日メルマガより)

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先週の金曜日、地上波テレビ映画「シン・ゴジラ」が放送されました。

ご覧になられました?

話題になった映画の地上波初放送です。

予想通り、今回も大いに話題になり、視聴率もよかったそうです。

ネットでは「これでシン・ゴジラも国民映画になった」という論調の記事も見られました。

シン・ゴジラ
長谷川博己
2017-03-22


もっとも私は「陸王」を必死で観ておりましたので、今回の「シン・ゴジラ」放送は観ておりません。

申し訳ございません。

が、気になりましたので、録画して観てみました。

ロードショー公開時に一度観ているので、二度目です。

なかなか悪くなかったですね^^


などと上から目線で言って、また申し訳ございません。

実を言うと、ロードショー公開時に観た時は正直言って、微妙な印象を持ちました。

当時、絶賛する人が多かったので、なんだか違和感を抱いたものです。

しかも、この映画のことを悪く言うと、怒りだす人もいましたからね。

実際、飲み屋で絡まれかけたこともありました^^;

いったいこの映画のどこにそんな磁力があるというのでしょうか。

(以降、ネタバレありますので、ご注意ください)


もともとゴジラシリーズは国民映画だった


そうなんですね。私の世代でゴジラのことを知らない人はいないでしょう。

日本だけではない。海外でもゴジラ人気は絶大です。

「ゴジラ」は、日本が誇る最大のコンテンツの一つであると言っても過言ではありません。

私事ですが少年時、初めて映画館で観た映画が「モスラ対ゴジラ」でした。




それはそれは面白かった。いや面白かったなんてものではありません。魂を奪われるほど夢中になりました。

初めて見た衝撃があるのかも知れませんが、いまでも私は「モスラ対ゴジラ」こそ、怪獣映画の最高傑作だと信じています。

(といっても怪獣映画を全部みたわけではありませんが...)

素晴らしかったなーー

その後しばらく、ゴジラ関連のグッズや書籍を買いあさる怪獣少年になってしまったほどでした。


ゴジラは現代の神話


初代「ゴジラ」を観たのはテレビ放送だったと思います。白黒の古い映画でしたが、それでも夢中になりました。


ゴジラ
宝田 明
2014-04-23


ゴジラは、水爆実験により生まれた怪物だとされています。

被爆国である日本の核への恐怖心や批判精神が、ゴジラという怪獣に込められているらしい。

しかし私が子供だったからなのか、あるいは観たのがリアルタイムでなかったからか、社会的な批判精神よりも、心を占めたのは、その圧倒的な存在感です。

その怪獣は、無慈悲に東京を破壊し尽したあげく、戦闘機によるミサイル攻撃も無表情にやり過ごし、東京湾へ去っていきます。

自衛隊の最新兵器でも倒せない存在が、ビルや鉄塔や鉄橋などを無軌道に壊していったのです。

なんとも圧倒的。まるで神のごとき存在です。

科学技術や人間の思惑のまったく届かない存在がいる、という気の遠くなるようなスケール感は、ちっぽけな自分を忘れさせてくれるほどのカタルシスをもたらすものでした。

ゴジラシリーズが日本だけでなく、世界の観客を魅了したのは、それが現代の神話として受け入れられたからだと考えます。


初代ゴジラのコンセプトを忠実に再現


いわば神話として確立したゴジラ映画に挑戦して、みごと大ヒット作を生み出した庵野秀明総監督、樋口真嗣監督の勇気と手腕は称賛して余りあるものでしょう。

新しいゴジラ映画を作るにおいて、庵野総監督が打ち出したコンセプトは、初代ゴジラへの忠実な回帰でした。

東京に突如現れた途方もない存在が、無軌道に破壊の限りを尽くす。その存在は、最新の軍事兵器をもってしても、倒すことができない。まるで神のごとき存在を目の当たりにした人間は、自らの無力を思い知ることになる。

この初代ゴジラが持つコンセプトが世間を席巻したのです。だからこれを再現することが成功への近道であることは間違いありません。

むしろ、変に色付けしたり、新機軸を打ち出そうとする方が難しい。

この原点回帰という思い切りが、この映画が成功した最大の理由だと考えます。

ただし、時代も変わっているので、昭和29年のままでは受け入れられない部分も出てきます。

そこで庵野総監督が出した答えは、現代のリアルを追求しようという姿勢です。

自衛隊の動き、最新兵器の使用方法、日本政府の対応。

こうしたリアルさへの徹底したこだわりがこの映画を抜群に面白くさせています。

政府首脳はゴジラが出たからと言って「ゴジラを撃滅せよ」なんて時代がかった台詞は一言も言いません。相変わらず無表情で四字熟語を話し、危機感があるのかないのかわからない雰囲気です。

対策委員会ができた時も、メンバーのしかめ面を見せるわけではなく、コピー機の並びで表現しています。


「シン・ゴジラ」が採り入れなかったもの


ただし初代のゴジラシリーズから「シン・ゴジラ」が省いたものがあります。

それは、観客と映画を橋渡しする人物の存在です。

初代「ゴジラ」にも「モスラ対ゴジラ」にも、分かりやすい正義感を持つ善良な人物が登場します。

ターゲット観客が子供だったからという面もありますが、そうした単純で平明な人物が、狂言回しとなることにより、観客が安心して映画の世界に入り込むことを可能としていました。

モスラ対ゴジラ」はより子供向けの映画なので分かりやすい。モスラの卵で一儲けしようというあくどい大人がいると思えば、それに憤る善良な新聞記者が登場します。

案の定、あくどい大人はゴジラの来襲で死んでしまい、善良な新聞記者は双子の妖精を助けて、暴走するゴジラを最終的に制止することに役立ちます。

ところが「シン・ゴジラ」ではそのようなわかりやすい人物は登場しません。観客に寄り添う要素を意識的に剥ぎ取り、ある種ドキュメンタリータッチにすることで、取っつきにくい醒めたタッチの映画にしています。

当時リアルな虚構として受け入れられたものが現代でも通用するとは限りません。それが時代の変遷というものであり、われわれ社会意識の変化というものでしょう。

こうした現実社会との距離感、拒絶感は、現代においてはリアルとして捉えられるはず。そこをくみ取った庵野秀明総監督のコンセプトはさすがです。

初代「ゴジラ」をそのままリメイクすれば、突っ込みどころ満載のコメディ映画になってしまうところを、2010年代の神話として成立させるためのアプローチであり、この映画が成功した大きな要因であると考えます。


どのあたりが「エヴァンゲリオン」なのか?


庵野秀明は名作アニメ「エヴァンゲリオン」の監督として知られ、まるでライフワークのようにずっとシリーズを作り続けており、コアなファンが続編を待ち続けていると聞きます。

そんな人にこの映画を任せた東宝もさすがですし、任せられてブレなかった庵野秀明も素晴らしい。

あえていうと、そんな庵野秀明を全面的に受け入れた樋口真嗣監督も大したものです。

もっとも私は、その「エヴァンゲリオン」を一話もみていません。

シン・ゴジラ」に少なからず「エヴァンゲリオン」の影響があるという批評もありますし、何より「エヴァ」ファンがこの映画に熱狂している、という話もありますので、気になっていますが、それについては何とも言えません。

いったいどの部分は「エヴァ」なのか、知っている人がいらしたら教えてくださいm(_ _)m


クライマックスは凄まじいカタストロフ


が、そんな私も「風の谷のナウシカ」は観ています。


風の谷のナウシカ [DVD]
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2014-07-16


だから、「シン・ゴジラ」の最大のクライマックスが、「ナウシカ」の巨神兵を想起させるものであることはわかります。

「ナウシカ」に登場する巨神兵は、強烈すぎて敵を倒すどころか地球全体を破壊してしまったといわれる生物兵器のようなものです。

いわば世界中に拡散している核爆弾を象徴するような存在です。

その巨神兵が口から火を噴く迫力満点のシーンを若き日の庵野秀明が担当したというのは、私も知識として知っております。

今回のゴジラも、米軍からの攻撃を受けて、怒りを爆発させるように口から、背びれから、尾から火というか光線を吐いて、米軍機だけではなく、はるか遠くにいる政府首脳が乗るヘリコプターや、東京の町の大部分を破壊してしまいます。

その一瞬の惨劇と、その後、紅蓮の炎に包まれたこの世の終わりのごとき凄まじい東京の描写は、まさにカタストロフです。

この悲劇的なカタルシスこそが怪獣映画の醍醐味です。さすが庵野秀明。外しませんねー

この映画、ここで終わっていたら、とんでもない名作だったのになあと思います。


311的なラストシーンにどうつなげるのか


でもそうはいきませんわね。

怪獣映画の定石として、無限の力を持つ神話的存在も、何らかの形で去っていってもらわなければなりません。

モスラ対ゴジラ」では、圧倒的な強さでモスラを倒したゴジラが、生まれたばかりのモスラの幼虫に意外な方法で退治されてしまいます。

初代「ゴジラ」では、孤高の天才学者が作った特殊兵器によって倒されます。

ゴジラ映画ではないですが「大魔神」なんてのは、村娘の涙によって石像に戻ってしまいます。

圧倒的な存在が、弱いもの、普通より劣るものに倒されてしまうというのは、神話でお馴染みのフレームワークです。

あるいは平成版「ゴジラ」のように火山口に落ちてしまうという自然の脅威パターンの終わり方もあります。

いずれにせよ「シン・ゴジラ」は、何らかの形で決着をつけねばなりません。

しかもこの映画、311を露骨に想起させるような終わり方を準備しています。

東京のど真ん中でゴジラが凍結し、そのまま居座り続けるというのは、問題を先送りにしただけやないかという福島原発の状況そのまま。

確かに露骨ですが、メッセージ性の強さは初代「ゴジラ」を踏襲するものです。これぐらいあざとくメッセージ性を打ち出した終わり方も秀逸です。

つまり311的なラストシーンにどのようにつなげていくのか?が、脚本家庵野秀明の腕の見せ所だったわけですな。

後半の脚本は失敗しているのでは


ところが、カタストロフのシーンから、東京のど真ん中で凍結するまでの脚本が、うまくいっているとは私には思えません。

最初観た時に「なんじゃこりゃ??」と思った後半のグダグダ感は、再観した今回も変わりませんでした。

ヤシオリ作戦ってなに?

あんな現場対応だらけの作戦を実施して、しかもうまくいってドヤ顔するエリート官僚ってなに者?

将来のアメリカ大統領候補だってのたまう日系の女の子ってなに?

なんだかラストあたりは、松本人志の「大日本人」の着ぐるみファイトのシーンを思い出しましたが、庵野脚本でも笑いをとるシーンだったのでしょうか??

それともこういうところに突っ込む私が野暮だというものでしょうかね。


初代ゴジラの決着も突っ込みどころ満載だったが


確かに、初代「ゴジラ」でもラストは突っ込みどころ満載です。

孤高の科学者が作った化学兵器が唯一ゴジラを倒すことができる。しかも兵器の作り方は、彼しか知らないとか。

その孤高の科学者。世を拗ねたふだんの態度の割には、かつての婚約者が忘れられないロマンチストです。

その元婚約者に頼み込まれて、ゴジラを倒すものの、恐るべき兵器を封印するため自ら命を絶ってしまい、もう二度とその兵器は作れないことになってしまったという設定です。

観客としては「まあ、しゃあないな」と言って観ておくしかありません。

もっとも初代「ゴジラ」では当初から人間模様を描いているので、後半のメロドラマ調の展開にもついていけないわけではありません。

しかもゴジラを倒すのが、世を拗ねた隻眼の科学者だったという流れは、物語文法的には納得できないものではありません。


後半のグダグダを皆さんはどう観ているのでしょうか?


しかし「シン・ゴジラ」の後半はいかがなものか。

あれだけ突き放したドキュメンタリー調で見せておきながら、後半はいきなり空想科学物語調になってしまうわけですよ。

音楽も軽快で、人間の反撃を高らかにうたい上げています。

そして隙だらけの作戦がうまくいって凍結したゴジラをバックに、日米のエリート同士が「将来は首相と大統領になって国を動かして行こうぜ」みたいなことを語り合っているのです。

これは笑いをとる場面だと捉えていいのでしょうか。

あるいは「まあ、しゃあないな」とスルーして済ます場面なのでしょうか。

やはりこのあたりのモヤモヤ感がなんとも晴れない後半でした。


それにしてもこの映画、評判が高い、いまでも絶賛する人が多い。

ここまで評判が高いと、自分の観方がずれているのだろうか。と不安になってしまいます。

たぶん、そうなんでしょう。私のセンスも古いですからね。


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