戦略2、戦術1の法則

2009.07.02

(2009年7月2日メルマガより)

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■ランチェスター販売戦略は、第2次世界大戦におけるアメリカ海軍の戦略
を解析・分析した田岡信夫先生が、販売戦略として再編成し、体系化したも
のです。

もとは軍事戦略だったのです。

■そのアメリカ海軍の戦略を作ったのが、コロンビア大学の数学教授である
バーナード・クープマンという人物です。

数学教授が作った戦略です。当たり前ですが、数式で成り立っています。

田岡信夫先生と一緒にこの戦略を解析したのが、統計学に詳しい斧田太公望
先生です。

数学者だからこそ解析できたのでしょう。

斧田先生はご存命ですが、その解析した数式は複雑な微分積分で構成されて
います。

数学の得意な人が見ると何てことはないのかも知れませんが、凡夫の私には
すこぶる難解です。

■ランチェスター氏が出てこないじゃないかーーーと言われそうですね。

実は、このクープマンが軍事戦略を作る際に参考にしたのが、ランチェスタ
ーの法則でした。

そもそもランチェスター自身が、第1次世界大戦の時代の人です。

だから、今日、我々が見ることができるランチェスター販売戦略は、長い時
間と人の手を経て、成り立ってきたものだというわけです。

■ランチェスターの法則を参考にしたとはいえ、クープマンの作った戦略方
程式は、オリジナリティの高いものです。

クープマンの名前があまり出てこないのは、その功績からすると可哀相です
ね。もっともアメリカでは、ランチェスターの名前以上にクープマンの名前
が知られているようですから、功績は、正当に評価されているのでしょう。

(ちなみに田岡先生が再構築したランチェスター販売戦略自体は米英では
「TAOKA,ONODA THEORY」と紹介されています。販売戦略に再構成するにあた
り、市場シェア目標値を設定し、シェア向上するための方法論を設計するな
ど非常にオリジナリティの高いものとなっているので、田岡・斧田戦略と言
うのが正しいのでしょう)

■そのクープマンが作った戦略の中に「戦略2、戦術1の法則」があります。

例によって、微分積分をふんだんに使った方程式で導き出されているのです
が、その意味は単純です。

「戦略は戦術の2倍のコストをかけよう」というもの。

つまり、軍事予算の配分を「戦略2、戦術1」とする方針の根拠となる法則
です。

■ここで問題になるのが、戦略とは何か、戦術とは何かということです。

帝国海軍の連合艦隊司令長官であった山本五十六は「戦略は見えざるもの、
戦術は見えるもの」と言ったそうです。

つまり、頭で考えることは戦略、行動することは戦術と捉えることができま
す。

アメリカ海軍は、戦闘行為そのものは戦術とし、その前提となる全体的な方
向性、兵器の開発生産、兵隊の配置や補給などは戦略だと規定していたよう
です。

その考え方に従って戦いを設計していったのです。

■この時のアメリカ軍の考え方と日本軍の考え方の違いを端的に示すのが、
航空機の開発です。

第2次世界大戦時、航空機が戦力の中心であることは、共通の認識でした。

山本五十六なども、航空機の重要性を早くから認識し、戦力として整備する
ことを主張していた人物です。

ただし、基本的方向性に沿って、航空母艦中心の艦隊を整えていたアメリカ
海軍に対し、日本海軍は最後まで戦艦中心であり、航空母艦は補助的な役割
に過ぎなかったようです。

つまり、日本海軍は、航空機の発着基地である航空母艦よりも、戦闘能力を
持つ戦艦を重視していたのです。

■その航空機については、日本は「零式艦上戦闘機」(いわゆるゼロ戦)を
擁していました。

これは、当時としては世界最高の機能を持つ戦闘機であったと言われます。

乗りこなすのが難しく、熟練したベテラン操縦士が必要だったのですが、軽
量で小回りが利き、直接の戦闘行為においては、絶対の優位性を持っていま
した。

日本の多くの優秀な技術者が、この戦闘機の開発に携わりました。そのため、
このような優れた戦闘機が生まれたのです。

しかし、アメリカの第一線の技術者は、戦闘機の開発には配置されらなかっ
たと言われます。

なぜなら「戦略2、戦術1の法則」に従い、最も優秀な技術者は、戦略兵器
の開発に関わっていたからです。

■日本を苦しめたB29は、戦略爆撃機と言われます。

この航空機は、直接戦闘をすることはありません。

ゼロ戦のはるか上を飛び、爆弾を落とす機能を持っていました。

その目的は、戦闘に参加することではなく、敵の生産工場や拠点を機能不全
にすることでした。

アメリカ軍は、戦闘で勝つことよりも、相手のバックヤードを叩いて、戦闘
ができなくなるようにすることに重きを置いていたのです。

これが華々しく戦闘に勝つことを重視した日本軍との差です。

■結局、究極の戦略兵器が完成することにより、戦争終結が早まったのです
が、そのことは言いません。。。

戦争の話はもう止めましょう。

■戦後、田岡信夫先生は、アメリカ軍の戦い方を解析し、ランチェスター販
売戦略考案のヒントとしました。

その中にクープマンによる「戦略2、戦術1」の法則があったということで
す。

我々は、そこから何を学べばいいのでしょうか。

■話は少し飛びます。

戦後、日本は奇跡的な経済復興を遂げました。

ランチェスター戦略は、多くの企業に採り入れられることで、その一翼を担
ったと言われています。

しかし、客観的にみて、日本の官僚と政治と企業が作り上げたシステムが見
事に機能した結果、世界的にも驚異的な経済復興があったと考えるのが正当
な考え方でしょう。

そのシステムは意外に単純です。

資源のない日本は、海外から資源を仕入れ、それを加工し付加価値をつけて、
豊かな国に販売することでしか生きていけない国です。

販売先は、戦勝国であるアメリカが一手に引き受けてくれました。

だから、日本の基本戦略は、安いコストで、ひたすら他に負けないような加
工をし、付加価値をつけることでした。

仕入れて、加工し、アメリカに売る。

この単純なシステムは、1985年のプラザ合意まで機能し続けました。

■要するに、日本にとって、戦略とは加工(ものづくり)の高度化、差別化
に他なりません。

日本の製造業が世界一の生産性を誇るのは、それが生きる道だったからです。

日本の製造業の優秀さは今でも続いており、世界中から、日本はものづくり
の国だと評価されるようになっています。

日本はものづくりの代名詞ともなっているほどです。

■ところが、そのシステムは、1985年のプラザ合意で終わりを遂げました。

プラザ合意とはニューヨークのプラザホテルで行われたドル安政策を容認す
る先進5カ国の蔵相、中央銀行総裁による会議の俗称です。

輸入してばかりなので貿易赤字を抱えるアメリカが「おれも輸出できるよう
にドルを安くするのを手伝ってくれーーー」という声に世界が合意した会議
です。(合意させられた?)

この合意により世界各国でドル安が進み、円などは3倍に値上がりました。

企業とすれば何もしていないのに、自社の商品が3倍も値上がりしてしまっ
たわけですから、今まで通りのビジネスはもう成り立たなくなってしまった
ということです。

えらいことです。

■結果として、内需拡大を進めざるを得なくなり、日本のバブル期を招いた
との指摘があります。

同時に日本の市場は成熟化してしまい簡単にものが売れるような状況ではな
くなりました。

もはや、日本の製造業は「いいものを作れば売れる」とは言ってられなくな
ったのです。

■日本の製造業は、完成品メーカーを頂点に、数多くの部品メーカーが系列
を組むという形で成り立っていることが殆どでした。

完成品メーカーが販売先を確保している限り、その系列体系は、十二分に機
能していたようです。

ところが、その最終完成品メーカーが、販売先の確保が不安定になった結果、
系列体系は崩れざるを得ません。

多くの部品メーカーは、自ら売り先を確保する必要性に迫られたわけです。

■私が何を言いたいかお察しでしょうか。

1985年までの日本企業は、加工(ものづくり)を戦略としていました。

ところが、それ以降、日本企業は自ら販売することを戦略としなければなり
ません。

成熟市場において、製品による差別化が難しい現在、販売戦略こそが企業の
業績を左右する要因となっています。

つまり「ものづくり戦略2、販売戦術1」という法則が崩れ、「販売戦略2、
ものづくり戦術1」という時代に入ってしまったということです。

■このことは強く意識する必要があります。

販売戦略や販売システムを意識しない企業は低迷しています。

昔なら「戦略2、戦術1」だった企業のあり方が、いつの間にか「戦術2、
戦略1」になってしまったのですから、低迷しない方が不思議です。

もちろん、ひたすらものづくりに邁進し、成功を収める例外もありますが、
それは単に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言
葉で表される現象に過ぎません。

残念ながら、中小企業の多くが「不思議の勝ち」を夢見て、戦術に力を入れ
ているのが現状です。

■企業の経営活動を「製造」と「販売」に分けるとすれば、製造の中でも戦
略要素である「研究開発」と戦術要素である「製造」に分けることができま
す。

また販売については、戦略要素である「集客」(私の言葉ではリストアップ)
と「販売」(アプローチ、ヒアリング、プレゼンテーション、クロージング)
に分けることができます。

今日の経営環境からいうと、「集客:販売:研究:製造」は、「4:2:2:
1」のバランスでなければなりません。(気持ちではなく、予算配分や人員
配置としての話です)

これが「2:1:4:2」になっているとすれば、著しくバランスを崩して
いると言わざるを得ません。

それが、最近、私が強く感じることです。

■長年の習慣や成功体験から抜け出るのは容易ではないでしょう。

しかし、もう25年近く前に、パラダイムシフトは起きているのです。

これを認識しなければなりません。

それなのに、未だに「うちは製造が得意だから、誰か代わりに売ってきてく
れないかな」とのん気に言う製造業のいかに多いことか。

残念ながら、戦略が間違っていると言わざるを得ません。

戦略を間違えた企業が生き残ることがあるとすれば、それは「不思議の勝ち」
だったと認識してください。


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■ランチェスター販売戦略は、第2次世界大戦におけるアメリカ海軍の戦略
を解析・分析した田岡信夫先生が、販売戦略として再編成し、体系化したも
のです。

もとは軍事戦略だったのです。

■そのアメリカ海軍の戦略を作ったのが、コロンビア大学の数学教授である
バーナード・クープマンという人物です。

数学教授が作った戦略です。当たり前ですが、数式で成り立っています。

田岡信夫先生と一緒にこの戦略を解析したのが、統計学に詳しい斧田太公望
先生です。

数学者だからこそ解析できたのでしょう。

斧田先生はご存命ですが、その解析した数式は複雑な微分積分で構成されて
います。

数学の得意な人が見ると何てことはないのかも知れませんが、凡夫の私には
すこぶる難解です。

■ランチェスター氏が出てこないじゃないかーーーと言われそうですね。

実は、このクープマンが軍事戦略を作る際に参考にしたのが、ランチェスタ
ーの法則でした。

そもそもランチェスター自身が、第1次世界大戦の時代の人です。

だから、今日、我々が見ることができるランチェスター販売戦略は、長い時
間と人の手を経て、成り立ってきたものだというわけです。

■ランチェスターの法則を参考にしたとはいえ、クープマンの作った戦略方
程式は、オリジナリティの高いものです。

クープマンの名前があまり出てこないのは、その功績からすると可哀相です
ね。もっともアメリカでは、ランチェスターの名前以上にクープマンの名前
が知られているようですから、功績は、正当に評価されているのでしょう。

(ちなみに田岡先生が再構築したランチェスター販売戦略自体は米英では
「TAOKA,ONODA THEORY」と紹介されています。販売戦略に再構成するにあた
り、市場シェア目標値を設定し、シェア向上するための方法論を設計するな
ど非常にオリジナリティの高いものとなっているので、田岡・斧田戦略と言
うのが正しいのでしょう)

■そのクープマンが作った戦略の中に「戦略2、戦術1の法則」があります。

例によって、微分積分をふんだんに使った方程式で導き出されているのです
が、その意味は単純です。

「戦略は戦術の2倍のコストをかけよう」というもの。

つまり、軍事予算の配分を「戦略2、戦術1」とする方針の根拠となる法則
です。

■ここで問題になるのが、戦略とは何か、戦術とは何かということです。

帝国海軍の連合艦隊司令長官であった山本五十六は「戦略は見えざるもの、
戦術は見えるもの」と言ったそうです。

つまり、頭で考えることは戦略、行動することは戦術と捉えることができま
す。

アメリカ海軍は、戦闘行為そのものは戦術とし、その前提となる全体的な方
向性、兵器の開発生産、兵隊の配置や補給などは戦略だと規定していたよう
です。

その考え方に従って戦いを設計していったのです。

■この時のアメリカ軍の考え方と日本軍の考え方の違いを端的に示すのが、
航空機の開発です。

第2次世界大戦時、航空機が戦力の中心であることは、共通の認識でした。

山本五十六なども、航空機の重要性を早くから認識し、戦力として整備する
ことを主張していた人物です。

ただし、基本的方向性に沿って、航空母艦中心の艦隊を整えていたアメリカ
海軍に対し、日本海軍は最後まで戦艦中心であり、航空母艦は補助的な役割
に過ぎなかったようです。

つまり、日本海軍は、航空機の発着基地である航空母艦よりも、戦闘能力を
持つ戦艦を重視していたのです。

■その航空機については、日本は「零式艦上戦闘機」(いわゆるゼロ戦)を
擁していました。

これは、当時としては世界最高の機能を持つ戦闘機であったと言われます。

乗りこなすのが難しく、熟練したベテラン操縦士が必要だったのですが、軽
量で小回りが利き、直接の戦闘行為においては、絶対の優位性を持っていま
した。

日本の多くの優秀な技術者が、この戦闘機の開発に携わりました。そのため、
このような優れた戦闘機が生まれたのです。

しかし、アメリカの第一線の技術者は、戦闘機の開発には配置されらなかっ
たと言われます。

なぜなら「戦略2、戦術1の法則」に従い、最も優秀な技術者は、戦略兵器
の開発に関わっていたからです。

■日本を苦しめたB29は、戦略爆撃機と言われます。

この航空機は、直接戦闘をすることはありません。

ゼロ戦のはるか上を飛び、爆弾を落とす機能を持っていました。

その目的は、戦闘に参加することではなく、敵の生産工場や拠点を機能不全
にすることでした。

アメリカ軍は、戦闘で勝つことよりも、相手のバックヤードを叩いて、戦闘
ができなくなるようにすることに重きを置いていたのです。

これが華々しく戦闘に勝つことを重視した日本軍との差です。

■結局、究極の戦略兵器が完成することにより、戦争終結が早まったのです
が、そのことは言いません。。。

戦争の話はもう止めましょう。

■戦後、田岡信夫先生は、アメリカ軍の戦い方を解析し、ランチェスター販
売戦略考案のヒントとしました。

その中にクープマンによる「戦略2、戦術1」の法則があったということで
す。

我々は、そこから何を学べばいいのでしょうか。

■話は少し飛びます。

戦後、日本は奇跡的な経済復興を遂げました。

ランチェスター戦略は、多くの企業に採り入れられることで、その一翼を担
ったと言われています。

しかし、客観的にみて、日本の官僚と政治と企業が作り上げたシステムが見
事に機能した結果、世界的にも驚異的な経済復興があったと考えるのが正当
な考え方でしょう。

そのシステムは意外に単純です。

資源のない日本は、海外から資源を仕入れ、それを加工し付加価値をつけて、
豊かな国に販売することでしか生きていけない国です。

販売先は、戦勝国であるアメリカが一手に引き受けてくれました。

だから、日本の基本戦略は、安いコストで、ひたすら他に負けないような加
工をし、付加価値をつけることでした。

仕入れて、加工し、アメリカに売る。

この単純なシステムは、1985年のプラザ合意まで機能し続けました。

■要するに、日本にとって、戦略とは加工(ものづくり)の高度化、差別化
に他なりません。

日本の製造業が世界一の生産性を誇るのは、それが生きる道だったからです。

日本の製造業の優秀さは今でも続いており、世界中から、日本はものづくり
の国だと評価されるようになっています。

日本はものづくりの代名詞ともなっているほどです。

■ところが、そのシステムは、1985年のプラザ合意で終わりを遂げました。

プラザ合意とはニューヨークのプラザホテルで行われたドル安政策を容認す
る先進5カ国の蔵相、中央銀行総裁による会議の俗称です。

輸入してばかりなので貿易赤字を抱えるアメリカが「おれも輸出できるよう
にドルを安くするのを手伝ってくれーーー」という声に世界が合意した会議
です。(合意させられた?)

この合意により世界各国でドル安が進み、円などは3倍に値上がりました。

企業とすれば何もしていないのに、自社の商品が3倍も値上がりしてしまっ
たわけですから、今まで通りのビジネスはもう成り立たなくなってしまった
ということです。

えらいことです。

■結果として、内需拡大を進めざるを得なくなり、日本のバブル期を招いた
との指摘があります。

同時に日本の市場は成熟化してしまい簡単にものが売れるような状況ではな
くなりました。

もはや、日本の製造業は「いいものを作れば売れる」とは言ってられなくな
ったのです。

■日本の製造業は、完成品メーカーを頂点に、数多くの部品メーカーが系列
を組むという形で成り立っていることが殆どでした。

完成品メーカーが販売先を確保している限り、その系列体系は、十二分に機
能していたようです。

ところが、その最終完成品メーカーが、販売先の確保が不安定になった結果、
系列体系は崩れざるを得ません。

多くの部品メーカーは、自ら売り先を確保する必要性に迫られたわけです。

■私が何を言いたいかお察しでしょうか。

1985年までの日本企業は、加工(ものづくり)を戦略としていました。

ところが、それ以降、日本企業は自ら販売することを戦略としなければなり
ません。

成熟市場において、製品による差別化が難しい現在、販売戦略こそが企業の
業績を左右する要因となっています。

つまり「ものづくり戦略2、販売戦術1」という法則が崩れ、「販売戦略2、
ものづくり戦術1」という時代に入ってしまったということです。

■このことは強く意識する必要があります。

販売戦略や販売システムを意識しない企業は低迷しています。

昔なら「戦略2、戦術1」だった企業のあり方が、いつの間にか「戦術2、
戦略1」になってしまったのですから、低迷しない方が不思議です。

もちろん、ひたすらものづくりに邁進し、成功を収める例外もありますが、
それは単に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言
葉で表される現象に過ぎません。

残念ながら、中小企業の多くが「不思議の勝ち」を夢見て、戦術に力を入れ
ているのが現状です。

■企業の経営活動を「製造」と「販売」に分けるとすれば、製造の中でも戦
略要素である「研究開発」と戦術要素である「製造」に分けることができま
す。

また販売については、戦略要素である「集客」(私の言葉ではリストアップ)
と「販売」(アプローチ、ヒアリング、プレゼンテーション、クロージング)
に分けることができます。

今日の経営環境からいうと、「集客:販売:研究:製造」は、「4:2:2:
1」のバランスでなければなりません。(気持ちではなく、予算配分や人員
配置としての話です)

これが「2:1:4:2」になっているとすれば、著しくバランスを崩して
いると言わざるを得ません。

それが、最近、私が強く感じることです。

■長年の習慣や成功体験から抜け出るのは容易ではないでしょう。

しかし、もう25年近く前に、パラダイムシフトは起きているのです。

これを認識しなければなりません。

それなのに、未だに「うちは製造が得意だから、誰か代わりに売ってきてく
れないかな」とのん気に言う製造業のいかに多いことか。

残念ながら、戦略が間違っていると言わざるを得ません。

戦略を間違えた企業が生き残ることがあるとすれば、それは「不思議の勝ち」
だったと認識してください。


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