川淵三郎はなぜ他のスポーツ団体関係者のようにダークサイドに堕ちないのか?

2018.08.23

(2018年8月23日メルマガより)

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この夏の好ましくないトピックといえば、「アマスポーツ界における様々な不祥事」が記憶に新しいですね。

日大アメフト部による悪質タックル事件に始まる監督とコーチの強圧的な支配構造の露見は、世間に衝撃を与え、また多くの耳目を集めました。

さらには、日大そのものが、理事長による強圧的な支配により健全なガバナンスが行われているとは言い難いのではないかという報道もあり、この事件は尾を引いています。

しかし、その後に勃発した日本ボクシング連盟における不祥事の告発騒ぎは、日大アメフト部の事件を吹き飛ばしてしまった感があります。

なにしろ、当事者である日本ボクシング連盟の山根会長のキャラクターが強烈です。明石家さんまが「オモロさで負けた」と発言したぐらいですから。

確かに、あのキャラクターは、4、5年に一度、現れるか現れないかというぐらい特異なものでした。


ジャイアンとスネ夫の構図


なにしろ「わたしは、歴史に生きた、歴史の男です」と堂々と発言する人物です。

常識的な規範や客観的な自己認識から逸脱した存在であることがわかるというものです。

仲間には厚いのでしょうが、仲間ではないと思える相手には、躊躇なく攻撃する。威嚇し、怒鳴りつけ、無理を通そうとする。

もともとそういう性質を持っていたのでしょうが、この場合、加齢による要素も加わっています。

自分の言動がどのように波紋を広げ、人々に受け取られるのかを想像できなくなっているので、わがまま放題になっているようです。

ドラえもんでいうとジャイアンですな。歳とったジャイアンです。


だとすると、取り巻きの幹部連中は、スネ夫ですな。

一人のジャイアンと、複数のスネ夫がグループを作っている状態です。

この場合、ジャイアンは腹黒くありません。わがままで厄介な存在ではありますが、自分が悪いなんて微塵も思っていないでしょう。

腹黒いのはスネ夫です。たまに理不尽なことを言うジャイアンですが、機嫌さえとっておけば、嫌われ役をやってくれるので便利な存在だと思っていることでしょう。

炊きつければ、敵を躊躇なく踏みつぶしてくれます。

「やれやれ。ジャイアンには逆らえませんね」とでも言っておけば、自分に火の粉がかかることを避けられます。


問題があるのはボクシングだけではない


私はプロボクシングのファンですから、プロとアマボクシングの関係がうまくいっていないことは何となくは聞いていましたが、まさかアマ組織がこれほどひどいガバナンス(統治プロセス)だったとは、呆れるばかりです。

何やってんだ。と言いたくなりますが、その後の報道をみていると、どうやらひどいのはボクシングだけではないらしい。



いや、アマチュアだけではありません。

プロボクシングにおいても、日本ボクシングコミッションが、預かった健保金を不正に使用していた問題があったばかりです。


いったい日本のスポーツ組織はどうなってしまったのでしょうか。


再建請負人


そんな折、思い出すのが、川淵三郎という人です。

サッカーのプロリーグであるJリーグをチェアマンとして成功させた立役者であり、その後、バスケットボール協会の立て直しをやり遂げ、今や日本トップリーグ連携機構代表理事会長を務める人物です。

ちなみに日本トップリーグ連携機構とは、日本の団体球技リーグの運営強化を図る団体です。

アイスホッケー、アメフト、サッカー、ソフトボール、バスケットボール、バレーボール、ハンドボール、フィールドホッケー、フットサル、ラグビーユニオンが参加している日本の主要球技団体を束ねる機構です。

そこでも、川淵会長は、各団体のガバナンスの監視および立て直しに精力的に取り組んでいます。

なんだか物凄い偉い人になっていますよ。


御年81歳 川淵三郎という人


川淵三郎という人を見ていると、昭和の頑固おやじを思い起こさせます。

人となりとして、聞こえてくるのは、強引、剛腕、強権的、高圧的、独裁的。といったイメージです。

だから決していい評判ばかりではありません。

テレビで話しているのを聞いたことがありますが、その際も、キャスターからの意にそわない質問にいら立って、眉間に皺を寄せ、声を荒げておりました。

川淵氏自身は「自分が嫌われることで注目が集まる。だからわざとマスコミと対立する」なんて意味のことを仰っていますが、嘘だと思います。

あれは、本気で癇癪を爆発させているように見えました。

思った通りに事を進めようとし、うまくいかないと苛立って声を荒げる。。

という姿勢は、ボクシング連盟の山根会長と一緒じゃないか。と思ってしまいます。


ただ川淵三郎氏には、ゆるぎない実績がありますし、今も、スポーツ団体のガバナンス整備に力を発揮しておられると聞きます。

川淵三郎と山根会長。。この昭和のおやじ二人の間にはどのような違いがあるというのでしょうか?


川淵氏の華麗なる経歴


興味を持ったので、少し調べてみました。

川淵三郎氏は、1936年(昭和11年)生まれ。大阪府高石市出身です。(当時は泉北郡高石町)

高校でサッカーを始めて、早稲田大学に進学。大学リーグで活躍します。

卒業後は古河電機工業に入社。同社のサッカー部に所属します。

1964年の東京オリンピックに選手として出場。銅メダル獲得メンバーとなります。

その後、引退。

古川電気工業では、名古屋支店金属営業部長まで務めたということですから、会社員としての役割もきちんとやられていたようです。

1991年に退社すると、1993年のJリーグ開幕に向けて初代チェアマンとして尽力します。

その後の活躍はよく知られるところです。

日本サッカー協会会長(キャプテン)を務めた後、東京都教育委員、首都大学東京理事長を歴任。

2015年には、バスケットボール協会改革に立ち上がり、見事、プロリーグの一本化を成し遂げ、その後の興隆の礎を築きます。

そして今や、日本トップリーグ連携機構会長として、各スポーツ団体のガバナンス健全化に睨みを効かせています。

こうした実績をみれば、ボクシング協会も、川淵氏に立て直しを依頼すればいいやんと思えてきます。


大企業で営業部長を経験


川淵氏の経歴で着目すべきは、古河電気工業で営業部長まで務めたことです。

この経歴こそが、まずは、スポーツ団体にありがちな「そのスポーツしかやってこなかった人が経営陣」という事態から一線を画すものです。

営業マネージャーは、営業テクニックを持っているだけで務まる仕事ではありません。

営業メンバーの掌握と、営業プロセス全体をマネジメントすることが不可欠です。

そのためにはマネジメントに関する深い知見と統率力、メンバーを引っ張るリーダーシップが必要です。

私は「営業を究めた者は何でもできる」と考えていますが、川淵氏の活躍はその好例であると考えます。


理念を確立する


川淵氏の著作やインタビューをみてみると、団体を再建するためにまず最初にやることは「理念を確立すること」だと明言しています。

これは、経営層に近いところでビジネスに取り組んだ者特有の発言です。

ここでいう理念を別の言葉で言い換えると「社会における存在価値」すなわち、なぜその団体がこの世の中に必要なのか?を言い表したものです。

この意味での理念なくしては、組織や団体は健全な形で維持できません。

個人でも同じです。ビジネスする者が「儲けたらええやん」と思っているとダークサイドに堕ちるしかなくなってしまいます。

例えば、この20年から30年、名だたる大企業が、派閥争いのあげくに、企業価値を著しく棄損させてきた事例をいくつもみてきました。

シャープしかり、東芝しかり、パナソニックやソニーでさえそうです。日本の家電企業が世界で通用しなくなった裏には、顧客価値を創ることを忘れて、自分たちの権益を守ろうとした経営陣の原始人のような争いがあったということですから、なんとも情けない。

理念を軽視し、忘れてしまった企業の末路は実にみじめなものです。


理念がなければ組織は維持できない


スケールは小さくなりますが、各スポーツ団体における不祥事の根本は、トップ層が自身の保身や権益を守ることを優先させて、団体の存在意義を忘れていたことにあると言えます。

そうならないために、川淵氏が理念の確立を最優先させることは、げに合理的なやり方であると思います。

例えば、日本バスケットボール協会(JBA)の場合

理念は「バスケットボールの普及・振興と強化を図り、もって人々の心身の健全なる発展に寄与する」

ビジョンは「バスケットボールを愛する誰もが、バスケットボールを楽しめる環境を作る
全ての人々に感動と希望を与え、皆が誇れる日本代表チームを作る」

となっています。

このシンプルな言葉をお題目と捉える団体に未来はありません。これがあるから、取り組むべきことの優先順位を決めることができますし、発生する諸問題に対して、どのように接すればいいのかが分かります。少なくとも、優先順位を決める際の議論の前提とすることができます。

もしこの理念がなければ、優先順位を決めるのは、トップの腹一つとなってしまって、議論の余地がなくなります。

いくら理不尽な決定といえども、判断基準がないのですから仕方ない。トップの顔色をうかがうのみです。

それが、ガバナンス不全に陥った団体の姿です。


トップダウンの改革


理念が決まった後、どうするのか。

川淵氏のやり方は、トップダウンで強引に改革を進めるというものです。

判断基準があるのだから間違うことはないという理屈ですが、実際には、あまりの強引さに不平不満が頻発します。

バスケットボール改革においても、不満を持つグループからのリークらしき川淵批判記事が週刊誌に掲載されたりしました。

それでも改革に多少の不平不満はつきものです。

ここを民主的にやろうとすれば「総論賛成、各論反対」状態になってしまって、全く進まないでしょう。

多くのアマチュアスポーツ団体の問題点がここにあります。

実はアマチュアスポーツ団体の理事の多くは、報酬を得ていない善意の人が多いようです。

無報酬でやっている善意の人なのだから、改革が必要だと感じていても、自分が矢面に立って嫌われ役をやろうと思う人は極めて少ないでしょう。

それよりは、なるべく喧嘩にならないように、穏便に、合議制で進めていく方が、ストレスが少ない。

民主的ではあるものの、課題解決されないままに時間を過ごすことになってしまいます。

それに比べて、川淵氏のやりようは性急で、不満を抱く者を顧みることがありません。目的にむかって一直線です。

バスケットボールの場合、内紛のあげく意見の違うプロリーグが二つ存在する事態になっていました。世界のバスケット連盟から、これを統合させなければ、オリンピック出場を認めないと宣言されるに至りました。

内紛の末に生み出された利害団体双方の言い分を全部くみ取ることなど不可能です。

そこで、川淵氏は自分で落とし所を決めて、それを推し進めました。

双方不満はあったでしょうが、結果としてリーグ統一を果たし、オリンピック出場資格を得たのだから、バスケットボール界全体では利益を得ることができました。

川淵氏自身は「私欲のない独裁だ」と言っていますが、まさに川淵氏の強制力がなければ、達成できなかった課題であったと言えます。


理論武装する


もう一つ、川淵氏は、強引に物事を進めるからには、正当性がなければならない。だから根拠となる理論を完璧にしておく。と発言しています。

これもビジネスマンの感覚です。

特に川淵氏は、「最後の独裁者」を公言する読売グループの総帥・渡辺恒雄氏と論争を繰り広げました。

これはJリーグ発足当時、地域密着球団の理念を推し進めようとした川淵氏のことを渡辺氏が「空疎な理念」と批判したことに端を発しています。

プロ野球球団を持つ渡辺氏からすれば、企業の支援を重視していないように映るJリーグの在り方に憤懣やるかたない思いがあったようです。

さすがの川淵氏にとっても、相手は超大物です。しかも渡辺氏、ああ見えて、幅広い教養の持ち主ですから、論争にも強い。

それでも川淵氏は怯みませんでした。ヨーロッパにあるような地域コミュニティを中心としたサッカーチームを作り、ひいては地域にサッカー文化を根付かせたいという理念に自信を持っていたからです。

相手の教養に負けないように猛勉強をしながら論争を挑んだ川淵氏は、結果的に渡辺氏の主張を退けます。

世間的にも、渡辺氏の意見の方に批判が集まるようになりました。

このことが、川淵氏の知見や教養をいっそう高めることになり、さらにいうと、世間的な格を上げることになったのです。


外部人材の登用


さらにいうと、バスケットボール団体の改革が、これほど早く進んだのは、外部からの人材を多くとりいれたことが大きいと思います。

現在、日本バスケットボール連盟会長は、バレーボール出身者の三屋裕子氏です。

副会長の大河正明氏は、サッカーJリーグ関係者でした。

またリーグ統一に向けて細かなことまで実際に決めていったのは、弁護士の境田正樹氏だったようです。

いずれも川淵氏のネットワークから連れてきた人材です。

バスケットボール関係者からすれば、外部人材に乗っ取られたような気になって心穏やかではいられなかったようですが、それも仕方ありません。

なぜなら、内部人材だけでは、利害関係が入り組んでいるので、ジャイアンとスネ夫のグループが復活するかも知れません。そうなるとまた内紛が起きてしまいます。

落下傘で降りてきたような人材配置は、組織を落ち着かせるのに役立ったようです。


川淵三郎がダークサイドに堕ちない理由


こうしてみると、川淵三郎氏と、不祥事を起こすスポーツ団体のトップの違いは明らかです。

(1)まず川淵氏には、営業マネージャーとしての経験があり、そのため、組織を動かすためには「理念」が最も重要であることを知っていた。

(2)理念に基づく「正当性」を自らの行動規範とした。だから独裁的な強制力を発揮するに躊躇がなかった。

(3)難敵に対するため正当性の根拠を「理論」で固めた。そのため社会的、客観的な支持を得た。

(4)利害関係やしがらみのない「外部人材」を登用し、組織を統治させた。


いかがでしょうか。

不祥事を起こす組織には「理念」「正当性」「理論」「外部人材」がないはずです。

ともすればただの独裁者になってしまいそうな川淵氏が、「私欲ない人」と認められ、実績を上げることができるのは、この4つを押さえたからだと考えます。

逆にいえば、規範や制度で自らを縛り、ダークサイドに堕ちないようにするのが、営業マネージャーを経験した人の知恵なのかも知れません。


もう一つ。川淵氏をみていて思うのは、権威や権益に対する未練を感じないことです。

一度、独裁者になれば降りることができない。と昔からいわれています。権力にしがみつくトップが多い中、川淵氏は、仕事さえ終わればすぐに辞めてしまいます。

ですからここも重要です。

(5)課題解決と同時にトップの座を降り「短期政権」で終わらせた。

誰もが相応しいと思っていた日本バスケットボール協会会長就任も固辞したようです。

その潔さもまた、川淵氏の信頼感、安心感につながっていると思います。


≪参考≫

独裁力 (幻冬舎新書)
川淵 三郎
幻冬舎
2016-09-30

黙ってられるか (新潮新書)
川淵 三郎
新潮社
2018-08-08



(2018年8月23日メルマガより)

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この夏の好ましくないトピックといえば、「アマスポーツ界における様々な不祥事」が記憶に新しいですね。

日大アメフト部による悪質タックル事件に始まる監督とコーチの強圧的な支配構造の露見は、世間に衝撃を与え、また多くの耳目を集めました。

さらには、日大そのものが、理事長による強圧的な支配により健全なガバナンスが行われているとは言い難いのではないかという報道もあり、この事件は尾を引いています。

しかし、その後に勃発した日本ボクシング連盟における不祥事の告発騒ぎは、日大アメフト部の事件を吹き飛ばしてしまった感があります。

なにしろ、当事者である日本ボクシング連盟の山根会長のキャラクターが強烈です。明石家さんまが「オモロさで負けた」と発言したぐらいですから。

確かに、あのキャラクターは、4、5年に一度、現れるか現れないかというぐらい特異なものでした。


ジャイアンとスネ夫の構図


なにしろ「わたしは、歴史に生きた、歴史の男です」と堂々と発言する人物です。

常識的な規範や客観的な自己認識から逸脱した存在であることがわかるというものです。

仲間には厚いのでしょうが、仲間ではないと思える相手には、躊躇なく攻撃する。威嚇し、怒鳴りつけ、無理を通そうとする。

もともとそういう性質を持っていたのでしょうが、この場合、加齢による要素も加わっています。

自分の言動がどのように波紋を広げ、人々に受け取られるのかを想像できなくなっているので、わがまま放題になっているようです。

ドラえもんでいうとジャイアンですな。歳とったジャイアンです。


だとすると、取り巻きの幹部連中は、スネ夫ですな。

一人のジャイアンと、複数のスネ夫がグループを作っている状態です。

この場合、ジャイアンは腹黒くありません。わがままで厄介な存在ではありますが、自分が悪いなんて微塵も思っていないでしょう。

腹黒いのはスネ夫です。たまに理不尽なことを言うジャイアンですが、機嫌さえとっておけば、嫌われ役をやってくれるので便利な存在だと思っていることでしょう。

炊きつければ、敵を躊躇なく踏みつぶしてくれます。

「やれやれ。ジャイアンには逆らえませんね」とでも言っておけば、自分に火の粉がかかることを避けられます。


問題があるのはボクシングだけではない


私はプロボクシングのファンですから、プロとアマボクシングの関係がうまくいっていないことは何となくは聞いていましたが、まさかアマ組織がこれほどひどいガバナンス(統治プロセス)だったとは、呆れるばかりです。

何やってんだ。と言いたくなりますが、その後の報道をみていると、どうやらひどいのはボクシングだけではないらしい。



いや、アマチュアだけではありません。

プロボクシングにおいても、日本ボクシングコミッションが、預かった健保金を不正に使用していた問題があったばかりです。


いったい日本のスポーツ組織はどうなってしまったのでしょうか。


再建請負人


そんな折、思い出すのが、川淵三郎という人です。

サッカーのプロリーグであるJリーグをチェアマンとして成功させた立役者であり、その後、バスケットボール協会の立て直しをやり遂げ、今や日本トップリーグ連携機構代表理事会長を務める人物です。

ちなみに日本トップリーグ連携機構とは、日本の団体球技リーグの運営強化を図る団体です。

アイスホッケー、アメフト、サッカー、ソフトボール、バスケットボール、バレーボール、ハンドボール、フィールドホッケー、フットサル、ラグビーユニオンが参加している日本の主要球技団体を束ねる機構です。

そこでも、川淵会長は、各団体のガバナンスの監視および立て直しに精力的に取り組んでいます。

なんだか物凄い偉い人になっていますよ。


御年81歳 川淵三郎という人


川淵三郎という人を見ていると、昭和の頑固おやじを思い起こさせます。

人となりとして、聞こえてくるのは、強引、剛腕、強権的、高圧的、独裁的。といったイメージです。

だから決していい評判ばかりではありません。

テレビで話しているのを聞いたことがありますが、その際も、キャスターからの意にそわない質問にいら立って、眉間に皺を寄せ、声を荒げておりました。

川淵氏自身は「自分が嫌われることで注目が集まる。だからわざとマスコミと対立する」なんて意味のことを仰っていますが、嘘だと思います。

あれは、本気で癇癪を爆発させているように見えました。

思った通りに事を進めようとし、うまくいかないと苛立って声を荒げる。。

という姿勢は、ボクシング連盟の山根会長と一緒じゃないか。と思ってしまいます。


ただ川淵三郎氏には、ゆるぎない実績がありますし、今も、スポーツ団体のガバナンス整備に力を発揮しておられると聞きます。

川淵三郎と山根会長。。この昭和のおやじ二人の間にはどのような違いがあるというのでしょうか?


川淵氏の華麗なる経歴


興味を持ったので、少し調べてみました。

川淵三郎氏は、1936年(昭和11年)生まれ。大阪府高石市出身です。(当時は泉北郡高石町)

高校でサッカーを始めて、早稲田大学に進学。大学リーグで活躍します。

卒業後は古河電機工業に入社。同社のサッカー部に所属します。

1964年の東京オリンピックに選手として出場。銅メダル獲得メンバーとなります。

その後、引退。

古川電気工業では、名古屋支店金属営業部長まで務めたということですから、会社員としての役割もきちんとやられていたようです。

1991年に退社すると、1993年のJリーグ開幕に向けて初代チェアマンとして尽力します。

その後の活躍はよく知られるところです。

日本サッカー協会会長(キャプテン)を務めた後、東京都教育委員、首都大学東京理事長を歴任。

2015年には、バスケットボール協会改革に立ち上がり、見事、プロリーグの一本化を成し遂げ、その後の興隆の礎を築きます。

そして今や、日本トップリーグ連携機構会長として、各スポーツ団体のガバナンス健全化に睨みを効かせています。

こうした実績をみれば、ボクシング協会も、川淵氏に立て直しを依頼すればいいやんと思えてきます。


大企業で営業部長を経験


川淵氏の経歴で着目すべきは、古河電気工業で営業部長まで務めたことです。

この経歴こそが、まずは、スポーツ団体にありがちな「そのスポーツしかやってこなかった人が経営陣」という事態から一線を画すものです。

営業マネージャーは、営業テクニックを持っているだけで務まる仕事ではありません。

営業メンバーの掌握と、営業プロセス全体をマネジメントすることが不可欠です。

そのためにはマネジメントに関する深い知見と統率力、メンバーを引っ張るリーダーシップが必要です。

私は「営業を究めた者は何でもできる」と考えていますが、川淵氏の活躍はその好例であると考えます。


理念を確立する


川淵氏の著作やインタビューをみてみると、団体を再建するためにまず最初にやることは「理念を確立すること」だと明言しています。

これは、経営層に近いところでビジネスに取り組んだ者特有の発言です。

ここでいう理念を別の言葉で言い換えると「社会における存在価値」すなわち、なぜその団体がこの世の中に必要なのか?を言い表したものです。

この意味での理念なくしては、組織や団体は健全な形で維持できません。

個人でも同じです。ビジネスする者が「儲けたらええやん」と思っているとダークサイドに堕ちるしかなくなってしまいます。

例えば、この20年から30年、名だたる大企業が、派閥争いのあげくに、企業価値を著しく棄損させてきた事例をいくつもみてきました。

シャープしかり、東芝しかり、パナソニックやソニーでさえそうです。日本の家電企業が世界で通用しなくなった裏には、顧客価値を創ることを忘れて、自分たちの権益を守ろうとした経営陣の原始人のような争いがあったということですから、なんとも情けない。

理念を軽視し、忘れてしまった企業の末路は実にみじめなものです。


理念がなければ組織は維持できない


スケールは小さくなりますが、各スポーツ団体における不祥事の根本は、トップ層が自身の保身や権益を守ることを優先させて、団体の存在意義を忘れていたことにあると言えます。

そうならないために、川淵氏が理念の確立を最優先させることは、げに合理的なやり方であると思います。

例えば、日本バスケットボール協会(JBA)の場合

理念は「バスケットボールの普及・振興と強化を図り、もって人々の心身の健全なる発展に寄与する」

ビジョンは「バスケットボールを愛する誰もが、バスケットボールを楽しめる環境を作る
全ての人々に感動と希望を与え、皆が誇れる日本代表チームを作る」

となっています。

このシンプルな言葉をお題目と捉える団体に未来はありません。これがあるから、取り組むべきことの優先順位を決めることができますし、発生する諸問題に対して、どのように接すればいいのかが分かります。少なくとも、優先順位を決める際の議論の前提とすることができます。

もしこの理念がなければ、優先順位を決めるのは、トップの腹一つとなってしまって、議論の余地がなくなります。

いくら理不尽な決定といえども、判断基準がないのですから仕方ない。トップの顔色をうかがうのみです。

それが、ガバナンス不全に陥った団体の姿です。


トップダウンの改革


理念が決まった後、どうするのか。

川淵氏のやり方は、トップダウンで強引に改革を進めるというものです。

判断基準があるのだから間違うことはないという理屈ですが、実際には、あまりの強引さに不平不満が頻発します。

バスケットボール改革においても、不満を持つグループからのリークらしき川淵批判記事が週刊誌に掲載されたりしました。

それでも改革に多少の不平不満はつきものです。

ここを民主的にやろうとすれば「総論賛成、各論反対」状態になってしまって、全く進まないでしょう。

多くのアマチュアスポーツ団体の問題点がここにあります。

実はアマチュアスポーツ団体の理事の多くは、報酬を得ていない善意の人が多いようです。

無報酬でやっている善意の人なのだから、改革が必要だと感じていても、自分が矢面に立って嫌われ役をやろうと思う人は極めて少ないでしょう。

それよりは、なるべく喧嘩にならないように、穏便に、合議制で進めていく方が、ストレスが少ない。

民主的ではあるものの、課題解決されないままに時間を過ごすことになってしまいます。

それに比べて、川淵氏のやりようは性急で、不満を抱く者を顧みることがありません。目的にむかって一直線です。

バスケットボールの場合、内紛のあげく意見の違うプロリーグが二つ存在する事態になっていました。世界のバスケット連盟から、これを統合させなければ、オリンピック出場を認めないと宣言されるに至りました。

内紛の末に生み出された利害団体双方の言い分を全部くみ取ることなど不可能です。

そこで、川淵氏は自分で落とし所を決めて、それを推し進めました。

双方不満はあったでしょうが、結果としてリーグ統一を果たし、オリンピック出場資格を得たのだから、バスケットボール界全体では利益を得ることができました。

川淵氏自身は「私欲のない独裁だ」と言っていますが、まさに川淵氏の強制力がなければ、達成できなかった課題であったと言えます。


理論武装する


もう一つ、川淵氏は、強引に物事を進めるからには、正当性がなければならない。だから根拠となる理論を完璧にしておく。と発言しています。

これもビジネスマンの感覚です。

特に川淵氏は、「最後の独裁者」を公言する読売グループの総帥・渡辺恒雄氏と論争を繰り広げました。

これはJリーグ発足当時、地域密着球団の理念を推し進めようとした川淵氏のことを渡辺氏が「空疎な理念」と批判したことに端を発しています。

プロ野球球団を持つ渡辺氏からすれば、企業の支援を重視していないように映るJリーグの在り方に憤懣やるかたない思いがあったようです。

さすがの川淵氏にとっても、相手は超大物です。しかも渡辺氏、ああ見えて、幅広い教養の持ち主ですから、論争にも強い。

それでも川淵氏は怯みませんでした。ヨーロッパにあるような地域コミュニティを中心としたサッカーチームを作り、ひいては地域にサッカー文化を根付かせたいという理念に自信を持っていたからです。

相手の教養に負けないように猛勉強をしながら論争を挑んだ川淵氏は、結果的に渡辺氏の主張を退けます。

世間的にも、渡辺氏の意見の方に批判が集まるようになりました。

このことが、川淵氏の知見や教養をいっそう高めることになり、さらにいうと、世間的な格を上げることになったのです。


外部人材の登用


さらにいうと、バスケットボール団体の改革が、これほど早く進んだのは、外部からの人材を多くとりいれたことが大きいと思います。

現在、日本バスケットボール連盟会長は、バレーボール出身者の三屋裕子氏です。

副会長の大河正明氏は、サッカーJリーグ関係者でした。

またリーグ統一に向けて細かなことまで実際に決めていったのは、弁護士の境田正樹氏だったようです。

いずれも川淵氏のネットワークから連れてきた人材です。

バスケットボール関係者からすれば、外部人材に乗っ取られたような気になって心穏やかではいられなかったようですが、それも仕方ありません。

なぜなら、内部人材だけでは、利害関係が入り組んでいるので、ジャイアンとスネ夫のグループが復活するかも知れません。そうなるとまた内紛が起きてしまいます。

落下傘で降りてきたような人材配置は、組織を落ち着かせるのに役立ったようです。


川淵三郎がダークサイドに堕ちない理由


こうしてみると、川淵三郎氏と、不祥事を起こすスポーツ団体のトップの違いは明らかです。

(1)まず川淵氏には、営業マネージャーとしての経験があり、そのため、組織を動かすためには「理念」が最も重要であることを知っていた。

(2)理念に基づく「正当性」を自らの行動規範とした。だから独裁的な強制力を発揮するに躊躇がなかった。

(3)難敵に対するため正当性の根拠を「理論」で固めた。そのため社会的、客観的な支持を得た。

(4)利害関係やしがらみのない「外部人材」を登用し、組織を統治させた。


いかがでしょうか。

不祥事を起こす組織には「理念」「正当性」「理論」「外部人材」がないはずです。

ともすればただの独裁者になってしまいそうな川淵氏が、「私欲ない人」と認められ、実績を上げることができるのは、この4つを押さえたからだと考えます。

逆にいえば、規範や制度で自らを縛り、ダークサイドに堕ちないようにするのが、営業マネージャーを経験した人の知恵なのかも知れません。


もう一つ。川淵氏をみていて思うのは、権威や権益に対する未練を感じないことです。

一度、独裁者になれば降りることができない。と昔からいわれています。権力にしがみつくトップが多い中、川淵氏は、仕事さえ終わればすぐに辞めてしまいます。

ですからここも重要です。

(5)課題解決と同時にトップの座を降り「短期政権」で終わらせた。

誰もが相応しいと思っていた日本バスケットボール協会会長就任も固辞したようです。

その潔さもまた、川淵氏の信頼感、安心感につながっていると思います。


≪参考≫

独裁力 (幻冬舎新書)
川淵 三郎
幻冬舎
2016-09-30

黙ってられるか (新潮新書)
川淵 三郎
新潮社
2018-08-08



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