サーモス(THERMOS)はなぜ「廃業寸前」から世界トップ企業になったのか?

2015.09.24

(2015年9月24日メルマガより)


■2015年10月30日。


初めての著作を出版いたします。

表紙カバーも完成し、あとは出版を待つばかりです。

『「廃業寸前」が世界トップ企業になった奇跡の物語』
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4827209693/lanchesterkan-22/ref=nosim

現在、アマゾンで予約注文を受け付け中です。

■この著作は、事実をもとにした「ビジネス小説」です。

私がまさに体験した「廃業寸前のダメ事業部が、わずかな期間に世界トップに駆け上がった」企業の話を物語にしました。

その事業部とは、日本酸素株式会社サーモス事業部。

現在は、サーモス株式会社。

ステンレス製魔法瓶のパイオニア企業にして、世界シェアトップのナンバーワン企業です。

■ところが、この会社、ほんの十数年前には、赤字を解消することができずに、身売りや廃業がささやかれていました。

その会社が、営業改革を成し遂げ、世界トップへの階段を駆け上がっていったのです。

その渦中にいた私にとって、それは強烈な体験でした。

■いま、私が営業コンサルタントをしているのも、各地でセミナーや研修を行っているのも、その原点は、

この得難い体験を一人でも多くの方に伝えたい。

共有したい。

さらにいうと、もう一度、再現したい。

という思いからです。

■だからこの著作は念願でした。

この物語の中に、私が体験した内容をできるだけ詰め込みました。

私が見聞したことも入れました。

だから、体験したこと、見たこと、聞いたこと。渦中で吸収したことをすべて追体験していただきたいと思っています。

必ずや、読んだ方の力になる物語であると信じております。

■そういうわけで、今回から何度かにわたって、サーモスのことを書きたいと思います。

物語に書ききれなかったことや補足などをここに書ければいいなと思っております。

ぜひおつきあいいただくようにお願いいたします。

======================================

■あまり知られていないことですが、ステンレス製魔法瓶は、日本の発明品です。

日本発の世界的発明品が少ないと自嘲気味に言われることが多いようですが、これは声高に主張していいことではないでしょうか。

なにしろ、昔は魔法瓶といえばガラス製でした。

ガラス製は割れやすい。ちょっとした衝撃で粉々になってしまいます。

それがステンレス製になったのですから、割れる心配はありません。携帯して、相当手荒に使っても使用に耐えます。

いま、我々が魔法瓶をレジャーに携帯し、子供が学校に持っていくようになったのも、ステンレス製になったからです。

これが世界的な発明でなくて何をそう言うのでしょうか。

■このステンレス製魔法瓶を世界で初めて開発したのが、大手工業用ガスメーカーの日本酸素株式会社(現在は大陽日酸)です。

なんで工業用ガスメーカーがそんなものを発明するんだ?といわれそうですね。

実は、日本酸素は、酸素や窒素やアルゴンなどを扱う企業でした。

鉄工所やプラントなどにそうした工業用ガスを供給しなければなりませんが、大量に運搬するためには液体にしてしまうのが効率的です。

例えば、酸素は-183℃で液体になります。窒素は-196℃。アルゴンは-185.8℃です。

いわゆる超低温にしてしまえば、それなりの量を運搬することができます。

道路を走っているタンクローリーの中には、そうした超低温の液体が入っているものもあるのです。

■ところがタンクローリーも炎天下の中を走っていれば、温度が上昇して、気化してしまうかも知れません。急激に気化すれば爆発してしまうかも知れません。恐ろしいことです。

そこで、超低温の液体を運ぶタンクは二重構造になっていて、間が真空になっています。つまり、そのまんま魔法瓶の構造となっているのです。それならば、外気温の影響を極力減らすことができます。

日本酸素は、もともと、このような真空のタンクを製造する技術を持っている会社だったのです。

だとすれば、このデカいタンクを手に持てるサイズにすれば、魔法瓶になるじゃないか。

最初はそういう発想だったようです。(1978年)

■私が新卒で入った会社は、その日本酸素でした。そして、配属されたのが、まさに魔法瓶を扱う事業部(サーモス事業部)でした。

私は会社員としての14年間をそのサーモス事業部の営業担当者として過ごしました。

ステンレス魔法瓶のパイオニア企業で過ごす日々!なんと刺激的でワクワクする14年間だったことでしょうか!

といいたいところですが、最初はそうでもありませんでした。

なぜなら、私が配属された当時のサーモス事業部は、ステンレス魔法瓶の市場シェア3位の赤字事業部でした。

世界で初めてステンレス魔法瓶を開発した会社がなんで日本3位の位置にあるんだ?

あまりにも情けないじゃないか。と当時の私も思ったものです。

確かに発売当初は話題になり、マスコミにもとりあげられたようです。

百貨店や一部の高級雑貨店などでは、扱ってくれるところもありました。

ところが、一般に浸透するにはまだ値段も高い。安くするにも、量がはけない。

このまま珍しい高級品として細々と売るならいいのでしょうが、当然狙うのは、一般顧客への普及です。そうじゃないと、大きなビジネスになりません。

ここにビジネスの難しさがあります。

いい商品を作ったからといって売れるわけではない。

この言葉を身に染みて知ることになりました。

■やはり普及させるためには、それに相応しい販売店があるはずです。

マーケティングにいう「PLACE」です。

当初は百貨店や専門店が主流でしたが、普及させるために必要な顧客接点とは、量販店です。(イオンやイトーヨーカ堂やダイエーなど)

しかし消費財を扱い慣れていない日本酸素には、量販店とのツテがありませんから、流通チャネルを一から開拓していかなければなりません。

ところが、日本にはガラス製の魔法瓶を販売する強力なメーカーが既に存在しました。

それが、象印魔法瓶であり、タイガー魔法瓶でした。

彼らが、新参者をやすやすと受け入れるはずもありません。

ステンレス魔法瓶の製法が特許で守られているうちはよかったものの、そのうち象印が特許に抵触しない製造方法を開発しました。

そうなれば、販売チャネルを持っている方が強い。

日本酸素が流通チャネルをなんとか開拓しえた頃には、象印、タイガーは商品を市場に投入し終えていました。

かくして、1位象印、2位タイガー、3位日本酸素という序列が出来上がり、それは長らく固定化されてしまうのです。

■著書には書きましたが、流通というのは、一度序列が出来てしまうと、覆すのは極めて難しい世界です。

トップ企業は、トップという地位ゆえに負けなくなっていきます。

ここで3位というのは辛い順位です。トップ企業と同じような頑張りでは、ひっくり返すことなどできません。

そこで資本力のある日本酸素がとったウルトラCが、世界最大のガラス製魔法瓶メーカーであるサーモス社(THERMOS L.L.C)を買収することでした。(1989年)

ちなみに私が入社したのも、この年です。

■サーモス社とは、世界で初めてガラス製魔法瓶を量産化に成功した会社です。1904年、ドイツで設立されたテルモス(サーモスのドイツ語読み)は、世界展開に成功し、会社名が魔法瓶の代名詞となっていきます。

サーモス社の持つ販売チャネルに、日本酸素のステンレス製魔法瓶を乗せれば、世界に広がるはずです。

日本で苦戦しているなら、海外から押さえてしまおう。というスケールの大きな戦略です。

これが機能すれば、一気に逆転ができるという計算です。

ところが、現実はそう簡単ではありませんでした。

なぜなら

(1)海外の顧客にはまだ価格が高く、普及させることは難しい。

(2)海外に供給するための生産体制が整っていない。

(3)海外展開するための人材が足りない。

などの課題があり、すぐに戦略通りいくというわけではありませんでした。

■折から、バブル経済が崩壊し、日本経済は深刻な状況になってしまいました。

多くの日本企業が「選択と集中」を掲げるようになると、日本酸素にとって本業から遠い魔法瓶ビジネスは微妙な立場に置かれてしまいました。

しかも、魔法瓶事業部には、サーモス社を買収した際の借入金の利息が重くのしかかっていました。金利負担を入れると、事業部は赤字です。

社内での事業部の位置づけも本業から離れた異端の上、赤字とあっては、お荷物のようなものです。

サーモス事業部は「身売り」や「廃業」がささやかれる存在になってしまいました。

■実際、日本酸素は、工業用ガスビジネスとは縁遠い事業部をリストラクチャリングの対象としていました。

冷凍食品を扱う事業部は、味の素に売却されました。

あるいは化粧品を扱う事業部は、廃業となりました。

サーモス事業部もいつそうなっても不思議ではありません。

(おそらく水面下では、いくつかの会社と売却交渉をしていたと思います)

ところが、サーモス事業部は身売りも廃業もされませんでした。

それどころか、2003年には、世界シェアトップの企業になり、今でも、有数の高収益企業サーモス株式会社として存在しています。

■20世紀の終わりには、赤字のお荷物事業部だった小さな事業部が、わずかな期間に世界トップ企業に変貌したのはなぜなのか。

これが、『「廃業寸前」が世界トップ企業になった奇跡の物語』のテーマです。
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4827209693/lanchesterkan-22/ref=nosim

一つには、海外事業がうまく軌道に乗せられたことがあります。

しかし、最大の要因は、当時、最も大きな市場であった日本において、万年3位の地位から、ダントツのトップ企業になることができたからでした。

当時、サーモスの人びとが、どのように営業を改革し、市場シェアを逆転していったのか。

「奇跡の物語」と銘打っていますが、それは決して奇跡ではありません。

夢のような新製品が開発されたわけではありません。がむしゃらにやっているうちに信じられない幸運がやってきたからでもありません。

理に適った「目に見える」営業の取組みをコツコツ積み重ねたからです。

■その取り組み内容については、著作に書かせていただきましたので、ぜひ読んでいただきたいと思います。

が、そのポイントや補足については、次回のメルマガでお伝えしたいと思います。

お楽しみにお待ちください^^

(2015年9月24日メルマガより)


■2015年10月30日。


初めての著作を出版いたします。

表紙カバーも完成し、あとは出版を待つばかりです。

『「廃業寸前」が世界トップ企業になった奇跡の物語』
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■この著作は、事実をもとにした「ビジネス小説」です。

私がまさに体験した「廃業寸前のダメ事業部が、わずかな期間に世界トップに駆け上がった」企業の話を物語にしました。

その事業部とは、日本酸素株式会社サーモス事業部。

現在は、サーモス株式会社。

ステンレス製魔法瓶のパイオニア企業にして、世界シェアトップのナンバーワン企業です。

■ところが、この会社、ほんの十数年前には、赤字を解消することができずに、身売りや廃業がささやかれていました。

その会社が、営業改革を成し遂げ、世界トップへの階段を駆け上がっていったのです。

その渦中にいた私にとって、それは強烈な体験でした。

■いま、私が営業コンサルタントをしているのも、各地でセミナーや研修を行っているのも、その原点は、

この得難い体験を一人でも多くの方に伝えたい。

共有したい。

さらにいうと、もう一度、再現したい。

という思いからです。

■だからこの著作は念願でした。

この物語の中に、私が体験した内容をできるだけ詰め込みました。

私が見聞したことも入れました。

だから、体験したこと、見たこと、聞いたこと。渦中で吸収したことをすべて追体験していただきたいと思っています。

必ずや、読んだ方の力になる物語であると信じております。

■そういうわけで、今回から何度かにわたって、サーモスのことを書きたいと思います。

物語に書ききれなかったことや補足などをここに書ければいいなと思っております。

ぜひおつきあいいただくようにお願いいたします。

======================================

■あまり知られていないことですが、ステンレス製魔法瓶は、日本の発明品です。

日本発の世界的発明品が少ないと自嘲気味に言われることが多いようですが、これは声高に主張していいことではないでしょうか。

なにしろ、昔は魔法瓶といえばガラス製でした。

ガラス製は割れやすい。ちょっとした衝撃で粉々になってしまいます。

それがステンレス製になったのですから、割れる心配はありません。携帯して、相当手荒に使っても使用に耐えます。

いま、我々が魔法瓶をレジャーに携帯し、子供が学校に持っていくようになったのも、ステンレス製になったからです。

これが世界的な発明でなくて何をそう言うのでしょうか。

■このステンレス製魔法瓶を世界で初めて開発したのが、大手工業用ガスメーカーの日本酸素株式会社(現在は大陽日酸)です。

なんで工業用ガスメーカーがそんなものを発明するんだ?といわれそうですね。

実は、日本酸素は、酸素や窒素やアルゴンなどを扱う企業でした。

鉄工所やプラントなどにそうした工業用ガスを供給しなければなりませんが、大量に運搬するためには液体にしてしまうのが効率的です。

例えば、酸素は-183℃で液体になります。窒素は-196℃。アルゴンは-185.8℃です。

いわゆる超低温にしてしまえば、それなりの量を運搬することができます。

道路を走っているタンクローリーの中には、そうした超低温の液体が入っているものもあるのです。

■ところがタンクローリーも炎天下の中を走っていれば、温度が上昇して、気化してしまうかも知れません。急激に気化すれば爆発してしまうかも知れません。恐ろしいことです。

そこで、超低温の液体を運ぶタンクは二重構造になっていて、間が真空になっています。つまり、そのまんま魔法瓶の構造となっているのです。それならば、外気温の影響を極力減らすことができます。

日本酸素は、もともと、このような真空のタンクを製造する技術を持っている会社だったのです。

だとすれば、このデカいタンクを手に持てるサイズにすれば、魔法瓶になるじゃないか。

最初はそういう発想だったようです。(1978年)

■私が新卒で入った会社は、その日本酸素でした。そして、配属されたのが、まさに魔法瓶を扱う事業部(サーモス事業部)でした。

私は会社員としての14年間をそのサーモス事業部の営業担当者として過ごしました。

ステンレス魔法瓶のパイオニア企業で過ごす日々!なんと刺激的でワクワクする14年間だったことでしょうか!

といいたいところですが、最初はそうでもありませんでした。

なぜなら、私が配属された当時のサーモス事業部は、ステンレス魔法瓶の市場シェア3位の赤字事業部でした。

世界で初めてステンレス魔法瓶を開発した会社がなんで日本3位の位置にあるんだ?

あまりにも情けないじゃないか。と当時の私も思ったものです。

確かに発売当初は話題になり、マスコミにもとりあげられたようです。

百貨店や一部の高級雑貨店などでは、扱ってくれるところもありました。

ところが、一般に浸透するにはまだ値段も高い。安くするにも、量がはけない。

このまま珍しい高級品として細々と売るならいいのでしょうが、当然狙うのは、一般顧客への普及です。そうじゃないと、大きなビジネスになりません。

ここにビジネスの難しさがあります。

いい商品を作ったからといって売れるわけではない。

この言葉を身に染みて知ることになりました。

■やはり普及させるためには、それに相応しい販売店があるはずです。

マーケティングにいう「PLACE」です。

当初は百貨店や専門店が主流でしたが、普及させるために必要な顧客接点とは、量販店です。(イオンやイトーヨーカ堂やダイエーなど)

しかし消費財を扱い慣れていない日本酸素には、量販店とのツテがありませんから、流通チャネルを一から開拓していかなければなりません。

ところが、日本にはガラス製の魔法瓶を販売する強力なメーカーが既に存在しました。

それが、象印魔法瓶であり、タイガー魔法瓶でした。

彼らが、新参者をやすやすと受け入れるはずもありません。

ステンレス魔法瓶の製法が特許で守られているうちはよかったものの、そのうち象印が特許に抵触しない製造方法を開発しました。

そうなれば、販売チャネルを持っている方が強い。

日本酸素が流通チャネルをなんとか開拓しえた頃には、象印、タイガーは商品を市場に投入し終えていました。

かくして、1位象印、2位タイガー、3位日本酸素という序列が出来上がり、それは長らく固定化されてしまうのです。

■著書には書きましたが、流通というのは、一度序列が出来てしまうと、覆すのは極めて難しい世界です。

トップ企業は、トップという地位ゆえに負けなくなっていきます。

ここで3位というのは辛い順位です。トップ企業と同じような頑張りでは、ひっくり返すことなどできません。

そこで資本力のある日本酸素がとったウルトラCが、世界最大のガラス製魔法瓶メーカーであるサーモス社(THERMOS L.L.C)を買収することでした。(1989年)

ちなみに私が入社したのも、この年です。

■サーモス社とは、世界で初めてガラス製魔法瓶を量産化に成功した会社です。1904年、ドイツで設立されたテルモス(サーモスのドイツ語読み)は、世界展開に成功し、会社名が魔法瓶の代名詞となっていきます。

サーモス社の持つ販売チャネルに、日本酸素のステンレス製魔法瓶を乗せれば、世界に広がるはずです。

日本で苦戦しているなら、海外から押さえてしまおう。というスケールの大きな戦略です。

これが機能すれば、一気に逆転ができるという計算です。

ところが、現実はそう簡単ではありませんでした。

なぜなら

(1)海外の顧客にはまだ価格が高く、普及させることは難しい。

(2)海外に供給するための生産体制が整っていない。

(3)海外展開するための人材が足りない。

などの課題があり、すぐに戦略通りいくというわけではありませんでした。

■折から、バブル経済が崩壊し、日本経済は深刻な状況になってしまいました。

多くの日本企業が「選択と集中」を掲げるようになると、日本酸素にとって本業から遠い魔法瓶ビジネスは微妙な立場に置かれてしまいました。

しかも、魔法瓶事業部には、サーモス社を買収した際の借入金の利息が重くのしかかっていました。金利負担を入れると、事業部は赤字です。

社内での事業部の位置づけも本業から離れた異端の上、赤字とあっては、お荷物のようなものです。

サーモス事業部は「身売り」や「廃業」がささやかれる存在になってしまいました。

■実際、日本酸素は、工業用ガスビジネスとは縁遠い事業部をリストラクチャリングの対象としていました。

冷凍食品を扱う事業部は、味の素に売却されました。

あるいは化粧品を扱う事業部は、廃業となりました。

サーモス事業部もいつそうなっても不思議ではありません。

(おそらく水面下では、いくつかの会社と売却交渉をしていたと思います)

ところが、サーモス事業部は身売りも廃業もされませんでした。

それどころか、2003年には、世界シェアトップの企業になり、今でも、有数の高収益企業サーモス株式会社として存在しています。

■20世紀の終わりには、赤字のお荷物事業部だった小さな事業部が、わずかな期間に世界トップ企業に変貌したのはなぜなのか。

これが、『「廃業寸前」が世界トップ企業になった奇跡の物語』のテーマです。
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4827209693/lanchesterkan-22/ref=nosim

一つには、海外事業がうまく軌道に乗せられたことがあります。

しかし、最大の要因は、当時、最も大きな市場であった日本において、万年3位の地位から、ダントツのトップ企業になることができたからでした。

当時、サーモスの人びとが、どのように営業を改革し、市場シェアを逆転していったのか。

「奇跡の物語」と銘打っていますが、それは決して奇跡ではありません。

夢のような新製品が開発されたわけではありません。がむしゃらにやっているうちに信じられない幸運がやってきたからでもありません。

理に適った「目に見える」営業の取組みをコツコツ積み重ねたからです。

■その取り組み内容については、著作に書かせていただきましたので、ぜひ読んでいただきたいと思います。

が、そのポイントや補足については、次回のメルマガでお伝えしたいと思います。

お楽しみにお待ちください^^

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