野村克也を超一流のプロ野球人にした3つの力

2017.04.06

(2017年4月6日メルマガより)


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■「BEST TIMES」というサイトが、3月中、野村克也氏の人生を振り返るという企画をやっていました。

参考:【3月毎日更新!】一流の秘密、30問30答 野村克也さん
http://best-times.jp/category/bt-nomura

3月中、毎日ですよ。

野村克也氏といえば、南海ホークスの名捕手として、またヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルスの名監督として、一時代を築いたプロ野球の歴史に残る人物です。

何を隠そう、私は大ファンでして。

野村氏のことは、このメルマガでも何度か題材にさせていただきました。

参考:戦略がなければ生き残れない(ブログ)"野村克也"タグの記事
https://goo.gl/p0evNf

だから正直にいって、今回の連載に書いてあることはほとんど知っていることでした。

それでも面白いので、毎日、楽しみに読みました^^

■それにしても、今回の連載とともに野村克也氏の人生を振り返ってみて、あらためて思ったのですが、野村さんって本当に偉大な人ですよね。

何度も読んだ内容なのに、また感動してしまいました。

だから今回は、ぜひ上記の連載を読んでいただきたいとお勧めすると同時に、このメルマガで、なぜ野村氏が偉大なのかを考えてみたいと思います。

■野村克也。京都府竹野郡網野町出身。

元プロ野球選手(南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズ)

元プロ野球監督(南海ホークス、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルス)

選手として3017試合出場。首位打者1回。本塁打王9回。打点王7回。最多安打1回。(三冠王1回)

監督として3204試合出場(選手兼任含む)。リーグ優勝5回。日本一3回。(wikipediaによる)

まさに選手としても、監督としても超一流です。

ただその記録以上に、野村克也氏は偉大です。なぜなら、その人生は困難の連続を乗り越えてきた結果だからです。

■かいつまんで言うと

〇貧しい母子家庭で育ち、野球することさえも難しかった。→兄が母親を説得してくれた。

〇高校野球部が廃部寸前だった。→顧問の先生の子供を抱き込み、存続させた。

田舎の高校で活躍したけれどとてもプロ野球にスカウトされるような環境ではなかった。→キャッチャーが手薄なチームを探してテストを受けた。

〇プロ入り1年目でクビを宣告された。→南海電車に飛び込んで死ぬと脅迫し、撤回させた。

〇肩が弱く、1軍選手として通用しなかった。→当時、禁じられていた筋トレに励み、肩を強化した。

〇打撃、守備ともに、レギュラーの力がなかった。→相手を観察し、データを分析し、予測することで一線級の選手たちと対峙した。

〇若くしてプレーイングマネージャーになった。→メジャーリーガーをヘッドコーチに招き、考える野球を突き詰めた。

〇南海をクビになり、評論家になった。→投手の次の球を予測する「野村スコープ」を考えだし、人気に。

〇ヤクルトスワローズに招かれて監督復帰。→「野村の考え」を徹底し、チームで考える野球に取り組むことで、常勝軍団を作り上げた。

簡単に書きましたが、その人生は驚異的な困難克服の連続です。

どうやら野村氏は、最初から特別な才能に恵まれた人ではなかったらしい。少なくとも、相当の努力の上に、才能を開花させた人です。

そんなプロ野球人としては決して恵まれていたとはいえないスタートを切って、最後には歴史に残るような活躍を見せたのです。

いったいどうすれば、このような強い人になれるのでしょうか。

■野村氏の折々のふるまいをみて、まず学ばないといけないと思うのは、その粘り強さです。

何か困難に当たった時、逃げたり諦めたりするのではなく、克服しようと考える。

それって、言葉でいうのは簡単ですが、実際には相当難しく勇気がいることです。

たとえば、プロ入りして1年目のオフ。南海ホークスのフロントから「おまえはプロでやっていける才能がない。今ならやり直せるから、辞めろ」と宣告されました。

これはフロント側の本音であり、親心であったことでしょう。

ところが野村氏にしてみれば「やり直せる」とは思いませんでした。なぜなら、自分には野球しかないと思っていたからです。

ここに野村氏の強さの秘密があると考えます。

つまり選択肢を持っていない者の強みです。いわゆる背水の陣の強み。

もし野村氏の実家がそこそこ裕福で、辞めても何とかなる状況だったら「南海電車に飛び込む」とは言えなかったでしょう。

あるいは野村氏が多彩な能力の持ち主なら、野球選手は諦めて、ビジネスマンになろうと考えたかも知れません。

野村氏は後に「生涯一捕手」を名乗りますが、その一点集中の力が、困難を打ち破る原動力になっていたのだと思います。

野村氏もこう言っています。

「器用な人は、もう一工夫、地道な努力が足りないことが多いので、長期戦になれば最後は必ず不器用が勝つんです」

不器用で、逃げ道を作れない者の粘りがそこにあります。

■さて壁に当たった野村氏は、どうふるまったのか。

冷静に自分の状況を分析して、どうすればいいのかを考えて見つけ出しています。

先ほど、野村氏が、特別な才能に恵まれたわけではない、といいましたが、かといってまるでダメだったわけではありませんでした。

野村氏は、当時としては大柄でパワーもあり、打撃はよかったようです。

プロ野球界全体が、パワー化、大型化を志向していた当時の状況で、それが有利に働いたのは間違いないでしょう。

ただし、捕手としては肩が弱い、打者としてはカーブを打つのが下手、という致命的な欠点がありました。

そこで野村氏が取り組んだのが、筋肉を強化して肩を強くすることと、投手がカーブを投げてくるクセを知り、配球を読む訓練でした。

つまり野村氏が困難に当たった時にしたことは、

(1)1軍に定着する。という短期目標を設定する。

(2)現状を分析し、目標に足りない課題(肩が弱い、カーブが打てない)を見つけ出す。

(3)筋肉トレーニング、配球を予測するという「努力の方向性」を決める。

という3つで、あとは努力をすればいい状態を作ったわけです。

これって、そのままビジネスや人生で使える問題解決のテクニックそのものですよね。

■凡庸な選手は、この簡単なことができないはずです。

まず(1)目標設定ができていない。

何となく、うまくなりたい、頑張りたい、と思うばかりで、短期目標を明確に決めていません。

そのために必要な(2)強み、弱みが、自己分析できていない。

だから(3)努力の方向性が正しく導きだせない。

結果として、努力をしても成果が出せない空回りになってしまいます。

野村氏は、監督になってから「野村再生工場」といわれるぐらい1軍半の選手を1軍選手として活躍させる手腕に長けていましたが、それは、この問題解決のテクニックを使ったからだと推測します。

プロ野球に入った選手はいずれも特別な才能の持ち主です。特にドラフト上位で指名された選手はすべからくそうでしょう。

しかし才能に頼った選手は限界も早い。ライバルたちに分析され弱点を暴かれ、そこを徹底して突かれて、壁に当たると対応できなくなります。

多くの人は、自分のことを客観的にみることができません。持って生まれた才能をどのように使うとプロ野球界で生き残れるか、という努力の方向性を自ら導き出せる人は多くありません。

だからこそ野村氏のような気づかせ屋の価値があるわけです。

■もうひとつ。野村氏について思うのは、「言葉」の力を持っているということです。

本人は、評論家になった時、必要に迫られて、言葉を学んだと言っています。

が、いまとなっては、言葉を巧みに使う力は、野村氏の特長のひとつです。

野村氏の人生が、困難とその克服の歴史だったと書きましたが、それが我々に伝わるのも、野村氏がストーリーとして構成して語っているからです。

もしかしたら、野村氏のように幾多の困難を乗り越えて活躍した人は、ほかにもいたのかも知れない。

ただ、野村氏が特異なのは、その苦労や工夫を自ら言葉で再現できることです。だから、他人に伝え、指導することができるのです。

もしこれほど言葉を操ることができなければ、指導者としての野村克也はなかったでしょうし、我々の興味をひくこともなかったことでしょう。

■まとめます。

野村氏をこれほど偉大なプロ野球人にしたのは、

(1)退路を断ち、一点集中した者の粘る力

(2)困難に至った時に「努力の方向性」を導き出す力

(3)それらを言葉として再現できる力

という3つの力だと、私は読み取りました。

私なら、困難に陥った時に、これほど粘って、問題解決の方向性を導くことができるだろうか。

器用貧乏になってはいないだろうか。

そう自らを省みずにはいられません。

まだまだ学ぶところが多い人です。

■いま、野村克也氏は、御年81歳。

もう監督復帰することはなさそうですかね。

阪神タイガースの監督時代、成績は悪かったですけど、野球そのものは意図がみえて面白かったと記憶しています。

できれば、一度はWBCで日本代表の監督をやってほしかったなー

そのあたりクセのある性格が災いしたんでしょうかね。

その部分は残念です。


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■「BEST TIMES」というサイトが、3月中、野村克也氏の人生を振り返るという企画をやっていました。

参考:【3月毎日更新!】一流の秘密、30問30答 野村克也さん
http://best-times.jp/category/bt-nomura

3月中、毎日ですよ。

野村克也氏といえば、南海ホークスの名捕手として、またヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルスの名監督として、一時代を築いたプロ野球の歴史に残る人物です。

何を隠そう、私は大ファンでして。

野村氏のことは、このメルマガでも何度か題材にさせていただきました。

参考:戦略がなければ生き残れない(ブログ)"野村克也"タグの記事
https://goo.gl/p0evNf

だから正直にいって、今回の連載に書いてあることはほとんど知っていることでした。

それでも面白いので、毎日、楽しみに読みました^^

■それにしても、今回の連載とともに野村克也氏の人生を振り返ってみて、あらためて思ったのですが、野村さんって本当に偉大な人ですよね。

何度も読んだ内容なのに、また感動してしまいました。

だから今回は、ぜひ上記の連載を読んでいただきたいとお勧めすると同時に、このメルマガで、なぜ野村氏が偉大なのかを考えてみたいと思います。

■野村克也。京都府竹野郡網野町出身。

元プロ野球選手(南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズ)

元プロ野球監督(南海ホークス、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルス)

選手として3017試合出場。首位打者1回。本塁打王9回。打点王7回。最多安打1回。(三冠王1回)

監督として3204試合出場(選手兼任含む)。リーグ優勝5回。日本一3回。(wikipediaによる)

まさに選手としても、監督としても超一流です。

ただその記録以上に、野村克也氏は偉大です。なぜなら、その人生は困難の連続を乗り越えてきた結果だからです。

■かいつまんで言うと

〇貧しい母子家庭で育ち、野球することさえも難しかった。→兄が母親を説得してくれた。

〇高校野球部が廃部寸前だった。→顧問の先生の子供を抱き込み、存続させた。

田舎の高校で活躍したけれどとてもプロ野球にスカウトされるような環境ではなかった。→キャッチャーが手薄なチームを探してテストを受けた。

〇プロ入り1年目でクビを宣告された。→南海電車に飛び込んで死ぬと脅迫し、撤回させた。

〇肩が弱く、1軍選手として通用しなかった。→当時、禁じられていた筋トレに励み、肩を強化した。

〇打撃、守備ともに、レギュラーの力がなかった。→相手を観察し、データを分析し、予測することで一線級の選手たちと対峙した。

〇若くしてプレーイングマネージャーになった。→メジャーリーガーをヘッドコーチに招き、考える野球を突き詰めた。

〇南海をクビになり、評論家になった。→投手の次の球を予測する「野村スコープ」を考えだし、人気に。

〇ヤクルトスワローズに招かれて監督復帰。→「野村の考え」を徹底し、チームで考える野球に取り組むことで、常勝軍団を作り上げた。

簡単に書きましたが、その人生は驚異的な困難克服の連続です。

どうやら野村氏は、最初から特別な才能に恵まれた人ではなかったらしい。少なくとも、相当の努力の上に、才能を開花させた人です。

そんなプロ野球人としては決して恵まれていたとはいえないスタートを切って、最後には歴史に残るような活躍を見せたのです。

いったいどうすれば、このような強い人になれるのでしょうか。

■野村氏の折々のふるまいをみて、まず学ばないといけないと思うのは、その粘り強さです。

何か困難に当たった時、逃げたり諦めたりするのではなく、克服しようと考える。

それって、言葉でいうのは簡単ですが、実際には相当難しく勇気がいることです。

たとえば、プロ入りして1年目のオフ。南海ホークスのフロントから「おまえはプロでやっていける才能がない。今ならやり直せるから、辞めろ」と宣告されました。

これはフロント側の本音であり、親心であったことでしょう。

ところが野村氏にしてみれば「やり直せる」とは思いませんでした。なぜなら、自分には野球しかないと思っていたからです。

ここに野村氏の強さの秘密があると考えます。

つまり選択肢を持っていない者の強みです。いわゆる背水の陣の強み。

もし野村氏の実家がそこそこ裕福で、辞めても何とかなる状況だったら「南海電車に飛び込む」とは言えなかったでしょう。

あるいは野村氏が多彩な能力の持ち主なら、野球選手は諦めて、ビジネスマンになろうと考えたかも知れません。

野村氏は後に「生涯一捕手」を名乗りますが、その一点集中の力が、困難を打ち破る原動力になっていたのだと思います。

野村氏もこう言っています。

「器用な人は、もう一工夫、地道な努力が足りないことが多いので、長期戦になれば最後は必ず不器用が勝つんです」

不器用で、逃げ道を作れない者の粘りがそこにあります。

■さて壁に当たった野村氏は、どうふるまったのか。

冷静に自分の状況を分析して、どうすればいいのかを考えて見つけ出しています。

先ほど、野村氏が、特別な才能に恵まれたわけではない、といいましたが、かといってまるでダメだったわけではありませんでした。

野村氏は、当時としては大柄でパワーもあり、打撃はよかったようです。

プロ野球界全体が、パワー化、大型化を志向していた当時の状況で、それが有利に働いたのは間違いないでしょう。

ただし、捕手としては肩が弱い、打者としてはカーブを打つのが下手、という致命的な欠点がありました。

そこで野村氏が取り組んだのが、筋肉を強化して肩を強くすることと、投手がカーブを投げてくるクセを知り、配球を読む訓練でした。

つまり野村氏が困難に当たった時にしたことは、

(1)1軍に定着する。という短期目標を設定する。

(2)現状を分析し、目標に足りない課題(肩が弱い、カーブが打てない)を見つけ出す。

(3)筋肉トレーニング、配球を予測するという「努力の方向性」を決める。

という3つで、あとは努力をすればいい状態を作ったわけです。

これって、そのままビジネスや人生で使える問題解決のテクニックそのものですよね。

■凡庸な選手は、この簡単なことができないはずです。

まず(1)目標設定ができていない。

何となく、うまくなりたい、頑張りたい、と思うばかりで、短期目標を明確に決めていません。

そのために必要な(2)強み、弱みが、自己分析できていない。

だから(3)努力の方向性が正しく導きだせない。

結果として、努力をしても成果が出せない空回りになってしまいます。

野村氏は、監督になってから「野村再生工場」といわれるぐらい1軍半の選手を1軍選手として活躍させる手腕に長けていましたが、それは、この問題解決のテクニックを使ったからだと推測します。

プロ野球に入った選手はいずれも特別な才能の持ち主です。特にドラフト上位で指名された選手はすべからくそうでしょう。

しかし才能に頼った選手は限界も早い。ライバルたちに分析され弱点を暴かれ、そこを徹底して突かれて、壁に当たると対応できなくなります。

多くの人は、自分のことを客観的にみることができません。持って生まれた才能をどのように使うとプロ野球界で生き残れるか、という努力の方向性を自ら導き出せる人は多くありません。

だからこそ野村氏のような気づかせ屋の価値があるわけです。

■もうひとつ。野村氏について思うのは、「言葉」の力を持っているということです。

本人は、評論家になった時、必要に迫られて、言葉を学んだと言っています。

が、いまとなっては、言葉を巧みに使う力は、野村氏の特長のひとつです。

野村氏の人生が、困難とその克服の歴史だったと書きましたが、それが我々に伝わるのも、野村氏がストーリーとして構成して語っているからです。

もしかしたら、野村氏のように幾多の困難を乗り越えて活躍した人は、ほかにもいたのかも知れない。

ただ、野村氏が特異なのは、その苦労や工夫を自ら言葉で再現できることです。だから、他人に伝え、指導することができるのです。

もしこれほど言葉を操ることができなければ、指導者としての野村克也はなかったでしょうし、我々の興味をひくこともなかったことでしょう。

■まとめます。

野村氏をこれほど偉大なプロ野球人にしたのは、

(1)退路を断ち、一点集中した者の粘る力

(2)困難に至った時に「努力の方向性」を導き出す力

(3)それらを言葉として再現できる力

という3つの力だと、私は読み取りました。

私なら、困難に陥った時に、これほど粘って、問題解決の方向性を導くことができるだろうか。

器用貧乏になってはいないだろうか。

そう自らを省みずにはいられません。

まだまだ学ぶところが多い人です。

■いま、野村克也氏は、御年81歳。

もう監督復帰することはなさそうですかね。

阪神タイガースの監督時代、成績は悪かったですけど、野球そのものは意図がみえて面白かったと記憶しています。

できれば、一度はWBCで日本代表の監督をやってほしかったなー

そのあたりクセのある性格が災いしたんでしょうかね。

その部分は残念です。


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