なぜ落合博満はブレないのか?

2011.12.01

(2011年12月1日メルマガより)


■ついに2011年のプロ野球シーズンが終わりました。

今年は震災の影響から、開幕が遅れたので、11月中旬までシーズンだったこ
とになります。

思えば、開幕の日程変更問題で、日本プロ野球選手会会長の新井貴浩が奔走
したのが、今年のことです。

「11月まで野球をやってもいい」と新井が言った通りの結果となりましたね。

できれば、日本シリーズでもその新井に大活躍してほしかったのですが、そ
んな劇的なドラマは起こりませんでした...

■普段は、阪神タイガース以外の試合は観ない私ですが、今年の日本シリー
ズは(全部ではありませんが)観ることとなりました。

果たして、内容の濃い試合が第7戦まで続くこととなりました。

シリーズ進出チームのファンでなくても、楽しめる内容でしたよ。

■今回の日本シリーズがこれほど濃い内容になったのは、中日ドラゴンズの
意外な頑張りに負うところが多いというのが大勢の意見です。

なにしろ、チーム打率にしろ、ホームラン数にしろ、防御率にしろ、ソフト
バンクホークスの数字は圧倒的でした。

基礎的な戦力比較からみれば、ホークスの4勝0敗でもおかしくなかったはず。

それでも、シリーズが異様な緊張感で進んでいったのは、中日ドラゴンズが、
その持ち味を十分に発揮したからでした。

シリーズ後の報道を見ても、ドラゴンズをとりあげた内容の方が多いと感じ
るのですが、いかがでしょうか。

これはやはり、今年限りで退任する落合博満監督に対する興味が、多くの人
たちを惹きつけるからではないでしょうか。

■落合博満監督は、2004年に中日ドラゴンズの監督に就任し、その年い
きなり優勝。その後、今年に至るまで8年間で4回優勝しています。しかも、
その8年間、一度もBクラス(4位以下)にならなかったという脅威の成績
を残しています。

巨人の川上哲治(14年間で優勝11回)、西武の森祇晶(9年間で優勝8
回)に次ぐ成績です。

ちなみによく比較される野村克也監督のヤクルト時代の成績は、9年間で優
勝が4回。ただし、Bクラスも4回です。

一体、落合博満とは、どういう人なのでしょうか。

■落合監督が神秘的なのは、彼が余計な情報をマスコミに与えないことにも
一因があります。

これは、饒舌に語ることで、マスコミをうまく利用する野村克也監督とは、
全く違うスタイルです。

秘密主義ともとれる徹底した情報管理をとりながら、実績を上げるものだか
ら、我々としては知りたくなりますな。

野球人は、試合で結果を出せばいいのだ、という姿勢があるのでしょうが、
その試合中も表情が乏しく、感情の起伏を感じさせません。

一体、腹の中では、何を考えているのだ、と知りたくなりますよね。

■落合博満の「采配」という著書が出ています。
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4478016267/lanchesterkan-22/ref=nosim

タイミングのいいことで。私など、喜んで、買ってしまいました^^

非常に興味深い本です。

ただし、ここには題名の通り、野球の采配に関する戦術論が書かれているわ
けではありません。

どちらかというと、落合氏の監督として野球人としての心構えや基本的な考
え方、原理原則について書かれています。

だから、一面、抽象的でもありながら、一般人にも応用できる普遍的な知恵
に満ちた本となっています。

■落合博満という人物を見るとき、やはり印象としての残るのは、芯の通っ
たブレのない姿勢です。

寡黙だからそう感じるのかと思っていたら違いました。

この本を読んでも、そのブレのなさは際立ちます。

それは、自分の目標を明確に規定した人間の強さです。

■要するに、彼は、自分の目標を「優勝すること」だと規定し、それにつな
がらないことは、徹底して排除しようとします。

極端に言えば、優勝という目標のためには、選手の個人成績も、マスコミへ
の対応も、ファンサービスも、観客動員も関係ないという姿勢です。

だから、WBCやオリンピックへの協力も、ペナントレースの勝利のために
は必要ない。

そのあたりの姿勢が、一般のファン(特に中日以外)や、経営側と摩擦を生
じようとも意に介しません。

ペナントレースと日本シリーズで優勝するためには、その他の多くのことを
犠牲にしなければならないという決意は徹底しています。

■その象徴が、2007年の日本シリーズ第5戦で、完全試合目前の山井投
手を下げて、岩瀬投手をリリーフに出したことです。

落合監督はこの試合に勝てなければ、シリーズの流れが変わると読んでいた
ようです。

だから、どうしても勝ちたかった。

ただし、日本シリーズで完全試合を成し遂げて、そのまま優勝するという史
上初の快挙も重要です。

あの時、多くのファンや野球人が、山井投手の続投を望んでいたことでしょう。

うがった見方をすれば、もし、山井続投が裏目に出て、そのままシリーズを
落とすようなことがあっても、落合監督の采配を責めるような場面ではあり
ませんでした。(たとえ、山井投手のマメがつぶれて、限界がきていたとし
ても)

それでも彼は、自分の信念を曲げずに、勝利に向けた最善の策をとりました。

これが落合野球そのものです。

■落合氏は「勝利の方程式」という便利な言葉にも疑問を呈しています。

たとえば、阪神タイガースでいえば、藤川球児を出して、負けたのなら仕方
がないという風潮があります。

なぜなら、それがタイガースの勝利の方程式だから。そこまで持ち込んだら、
後は監督の責任ではないという考えです。

しかし、落合監督は、そんなのは監督の責任逃れに過ぎない。と言います。

どんな状況であろうと、負けは監督の責任である。それならば、監督は、方
程式などに逃げずに、その時、その時の最善の策をとるべきだと。

ファンが納得する、ましてや評論家が納得するなど関係なし。最善の策は自
分で決めるという信念です。

これがオレ流というものならば、全くもって正論です。

■こういう人は強いですよ。

なにより、揺るぎない目標を持っている。

目標の明確さが、そのまま信念の強さとなっています。

要は、自分の目標を貫けるかどうか、ぶれないかどうかです。

これは、我々一般人にも大いに教訓となります。

どんな目標であれ、明確に定めた者は、判断が揺るぎません。

まさに「成果を上げる唯一の秘訣は、成果とは何かを知ることである」

よきにつけ、悪しきにつけ、我々の成果は、最初の目標に規定されるわけです。

■だから、最初の目標が大切になります。

ただし、多くの人は、その目標を決めきれずに逡巡しています。

間違った目標決めをすると、取り返しがつかないと思うからですね。

私にもそういう傾向がありますので偉そうなことはいえません。

でも、成果を得られるのは、目標を明確にした者だけだというセオリーを真
剣に捉えなければなりませんね。

私に言っておきます。

■落合博満も、野村克也も、若いうちに明確な目標を持った人たちです。

ところが、落合監督と野村監督では、その目指すところが微妙に違うらしい。

落合監督は、勝利を提供することこそが、ファンに報いることだと考えてい
ます。

野村監督も同じでしょうが、彼は、同時にプロらしいプレーや采配を見せる
ことがファンに報いることだと考えているようです。

どちらかというと落合監督は結果優先、野村監督はプロセス優先ですかね。

もっともこれは二人の自己顕示欲の性質の違いかも知れません。

私は「目的」を明確にすることが戦略的思考の重要要素だと考えていますが、
それは相当、人間個人の本質に根ざしたことなのでしょうね。

■プロ野球は長らく、日本におけるプロスポーツの王様でした。

だから、プロ野球選手になれるのは、日本でも有数の基礎体力と才能を持っ
た人たちです。

その中でも、一流になれる人、なれない人たちが存在します。それは、単に
才能の大小ではないはずです。

ドラフト3位でロッテに入団した落合博満も、テスト生で南海に入団した野
村克也も、当初からトップクラスの資質を持っていたわけではないでしょう
から、決して恵まれていたわけではありません。

才能に任せて漫然と野球をしているだけなら、決して一流にはなれいことを
彼らは知っていたことでしょう。

だから、目標を明確に定め、そこに向かって一点集中しなければならなかっ
たはずです。

その過程では、家庭を犠牲にしなければならなかったのかも知れません。あ
るいは、その他の才能や可能性を犠牲にしたのかも知れません。

それでも、目標に集中しなければ、成し遂げられないと彼らは感じ、それを
守ってきた。

その結果が、今の彼らを形作っているはずです。

落合博満は、3度も三冠王をとりました。

並大抵のことではないですが、もしかすると、落合氏の中には、記録など形
になるものを残そうという意識が強いのかも知れません。

だから、記録という結果に残らないものは、排除するようになったわけです。

これに対して、野村克也は、王、長嶋というスター選手の影で、記録よりも
記憶に残る選手への憧れがあったのでしょう。

だから「どうせおれは月見草」とかいって、屈折した自己顕示欲を見せてい
ます。

それがユーモラスである時もあれば、生臭い時もありますが。

■落合監督と野村監督では、目標を実現する手法にも違いがあります。

野村監督は、戦力の差を、頭を使った奇策や奇襲で補おうとする「弱者の兵法
を得意としています。

これが私からすれば、非常に興味深く、面白い部分です。

ところが落合監督は、著作を読む限り、愚直なほど基本に忠実です。

彼は、勝率を高めるためには、奇策に頼るのではなく、普段通りの野球を続
けて勝てることが大切だと考えました。

普段通りの野球をして勝ち続けるためには、戦力を高めなければなりません。

そこで戦力を高めるための準備(キャンプでの徹底した練習や、調子のいい
選手の選択)を重視しています。

大雑把な分け方ではありますが、野村監督は弱者の戦略、落合監督は強者の
戦略ということになります。

そういえば、川上哲治監督も、森祇晶監督も、強者の戦略を志向しています。

野村監督が名将でありながら、記録として分が悪いのもうなづけます。

■もっとも「采配」という本には、戦術面のことが書かれていません。

基礎的な戦力勝負では、ソフトバンクに太刀打ちできなかったはず。

ということは、落合氏の野球の「基礎的戦略」には、数字に表れない独特の
視点があるのです。

恐らく、今後も監督の声がかかる可能性のある落合氏ですから、そのあたり
の秘密は明かさないのでしょう。

やはり、監督の戦術を明かすこともファンサービスの一環だ、と考える野村
監督とは違いますね。

勝負師としての落合監督の現場復帰を楽しみに待ちましょう。



(2011年12月1日メルマガより)


■ついに2011年のプロ野球シーズンが終わりました。

今年は震災の影響から、開幕が遅れたので、11月中旬までシーズンだったこ
とになります。

思えば、開幕の日程変更問題で、日本プロ野球選手会会長の新井貴浩が奔走
したのが、今年のことです。

「11月まで野球をやってもいい」と新井が言った通りの結果となりましたね。

できれば、日本シリーズでもその新井に大活躍してほしかったのですが、そ
んな劇的なドラマは起こりませんでした...

■普段は、阪神タイガース以外の試合は観ない私ですが、今年の日本シリー
ズは(全部ではありませんが)観ることとなりました。

果たして、内容の濃い試合が第7戦まで続くこととなりました。

シリーズ進出チームのファンでなくても、楽しめる内容でしたよ。

■今回の日本シリーズがこれほど濃い内容になったのは、中日ドラゴンズの
意外な頑張りに負うところが多いというのが大勢の意見です。

なにしろ、チーム打率にしろ、ホームラン数にしろ、防御率にしろ、ソフト
バンクホークスの数字は圧倒的でした。

基礎的な戦力比較からみれば、ホークスの4勝0敗でもおかしくなかったはず。

それでも、シリーズが異様な緊張感で進んでいったのは、中日ドラゴンズが、
その持ち味を十分に発揮したからでした。

シリーズ後の報道を見ても、ドラゴンズをとりあげた内容の方が多いと感じ
るのですが、いかがでしょうか。

これはやはり、今年限りで退任する落合博満監督に対する興味が、多くの人
たちを惹きつけるからではないでしょうか。

■落合博満監督は、2004年に中日ドラゴンズの監督に就任し、その年い
きなり優勝。その後、今年に至るまで8年間で4回優勝しています。しかも、
その8年間、一度もBクラス(4位以下)にならなかったという脅威の成績
を残しています。

巨人の川上哲治(14年間で優勝11回)、西武の森祇晶(9年間で優勝8
回)に次ぐ成績です。

ちなみによく比較される野村克也監督のヤクルト時代の成績は、9年間で優
勝が4回。ただし、Bクラスも4回です。

一体、落合博満とは、どういう人なのでしょうか。

■落合監督が神秘的なのは、彼が余計な情報をマスコミに与えないことにも
一因があります。

これは、饒舌に語ることで、マスコミをうまく利用する野村克也監督とは、
全く違うスタイルです。

秘密主義ともとれる徹底した情報管理をとりながら、実績を上げるものだか
ら、我々としては知りたくなりますな。

野球人は、試合で結果を出せばいいのだ、という姿勢があるのでしょうが、
その試合中も表情が乏しく、感情の起伏を感じさせません。

一体、腹の中では、何を考えているのだ、と知りたくなりますよね。

■落合博満の「采配」という著書が出ています。
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4478016267/lanchesterkan-22/ref=nosim

タイミングのいいことで。私など、喜んで、買ってしまいました^^

非常に興味深い本です。

ただし、ここには題名の通り、野球の采配に関する戦術論が書かれているわ
けではありません。

どちらかというと、落合氏の監督として野球人としての心構えや基本的な考
え方、原理原則について書かれています。

だから、一面、抽象的でもありながら、一般人にも応用できる普遍的な知恵
に満ちた本となっています。

■落合博満という人物を見るとき、やはり印象としての残るのは、芯の通っ
たブレのない姿勢です。

寡黙だからそう感じるのかと思っていたら違いました。

この本を読んでも、そのブレのなさは際立ちます。

それは、自分の目標を明確に規定した人間の強さです。

■要するに、彼は、自分の目標を「優勝すること」だと規定し、それにつな
がらないことは、徹底して排除しようとします。

極端に言えば、優勝という目標のためには、選手の個人成績も、マスコミへ
の対応も、ファンサービスも、観客動員も関係ないという姿勢です。

だから、WBCやオリンピックへの協力も、ペナントレースの勝利のために
は必要ない。

そのあたりの姿勢が、一般のファン(特に中日以外)や、経営側と摩擦を生
じようとも意に介しません。

ペナントレースと日本シリーズで優勝するためには、その他の多くのことを
犠牲にしなければならないという決意は徹底しています。

■その象徴が、2007年の日本シリーズ第5戦で、完全試合目前の山井投
手を下げて、岩瀬投手をリリーフに出したことです。

落合監督はこの試合に勝てなければ、シリーズの流れが変わると読んでいた
ようです。

だから、どうしても勝ちたかった。

ただし、日本シリーズで完全試合を成し遂げて、そのまま優勝するという史
上初の快挙も重要です。

あの時、多くのファンや野球人が、山井投手の続投を望んでいたことでしょう。

うがった見方をすれば、もし、山井続投が裏目に出て、そのままシリーズを
落とすようなことがあっても、落合監督の采配を責めるような場面ではあり
ませんでした。(たとえ、山井投手のマメがつぶれて、限界がきていたとし
ても)

それでも彼は、自分の信念を曲げずに、勝利に向けた最善の策をとりました。

これが落合野球そのものです。

■落合氏は「勝利の方程式」という便利な言葉にも疑問を呈しています。

たとえば、阪神タイガースでいえば、藤川球児を出して、負けたのなら仕方
がないという風潮があります。

なぜなら、それがタイガースの勝利の方程式だから。そこまで持ち込んだら、
後は監督の責任ではないという考えです。

しかし、落合監督は、そんなのは監督の責任逃れに過ぎない。と言います。

どんな状況であろうと、負けは監督の責任である。それならば、監督は、方
程式などに逃げずに、その時、その時の最善の策をとるべきだと。

ファンが納得する、ましてや評論家が納得するなど関係なし。最善の策は自
分で決めるという信念です。

これがオレ流というものならば、全くもって正論です。

■こういう人は強いですよ。

なにより、揺るぎない目標を持っている。

目標の明確さが、そのまま信念の強さとなっています。

要は、自分の目標を貫けるかどうか、ぶれないかどうかです。

これは、我々一般人にも大いに教訓となります。

どんな目標であれ、明確に定めた者は、判断が揺るぎません。

まさに「成果を上げる唯一の秘訣は、成果とは何かを知ることである」

よきにつけ、悪しきにつけ、我々の成果は、最初の目標に規定されるわけです。

■だから、最初の目標が大切になります。

ただし、多くの人は、その目標を決めきれずに逡巡しています。

間違った目標決めをすると、取り返しがつかないと思うからですね。

私にもそういう傾向がありますので偉そうなことはいえません。

でも、成果を得られるのは、目標を明確にした者だけだというセオリーを真
剣に捉えなければなりませんね。

私に言っておきます。

■落合博満も、野村克也も、若いうちに明確な目標を持った人たちです。

ところが、落合監督と野村監督では、その目指すところが微妙に違うらしい。

落合監督は、勝利を提供することこそが、ファンに報いることだと考えてい
ます。

野村監督も同じでしょうが、彼は、同時にプロらしいプレーや采配を見せる
ことがファンに報いることだと考えているようです。

どちらかというと落合監督は結果優先、野村監督はプロセス優先ですかね。

もっともこれは二人の自己顕示欲の性質の違いかも知れません。

私は「目的」を明確にすることが戦略的思考の重要要素だと考えていますが、
それは相当、人間個人の本質に根ざしたことなのでしょうね。

■プロ野球は長らく、日本におけるプロスポーツの王様でした。

だから、プロ野球選手になれるのは、日本でも有数の基礎体力と才能を持っ
た人たちです。

その中でも、一流になれる人、なれない人たちが存在します。それは、単に
才能の大小ではないはずです。

ドラフト3位でロッテに入団した落合博満も、テスト生で南海に入団した野
村克也も、当初からトップクラスの資質を持っていたわけではないでしょう
から、決して恵まれていたわけではありません。

才能に任せて漫然と野球をしているだけなら、決して一流にはなれいことを
彼らは知っていたことでしょう。

だから、目標を明確に定め、そこに向かって一点集中しなければならなかっ
たはずです。

その過程では、家庭を犠牲にしなければならなかったのかも知れません。あ
るいは、その他の才能や可能性を犠牲にしたのかも知れません。

それでも、目標に集中しなければ、成し遂げられないと彼らは感じ、それを
守ってきた。

その結果が、今の彼らを形作っているはずです。

落合博満は、3度も三冠王をとりました。

並大抵のことではないですが、もしかすると、落合氏の中には、記録など形
になるものを残そうという意識が強いのかも知れません。

だから、記録という結果に残らないものは、排除するようになったわけです。

これに対して、野村克也は、王、長嶋というスター選手の影で、記録よりも
記憶に残る選手への憧れがあったのでしょう。

だから「どうせおれは月見草」とかいって、屈折した自己顕示欲を見せてい
ます。

それがユーモラスである時もあれば、生臭い時もありますが。

■落合監督と野村監督では、目標を実現する手法にも違いがあります。

野村監督は、戦力の差を、頭を使った奇策や奇襲で補おうとする「弱者の兵法
を得意としています。

これが私からすれば、非常に興味深く、面白い部分です。

ところが落合監督は、著作を読む限り、愚直なほど基本に忠実です。

彼は、勝率を高めるためには、奇策に頼るのではなく、普段通りの野球を続
けて勝てることが大切だと考えました。

普段通りの野球をして勝ち続けるためには、戦力を高めなければなりません。

そこで戦力を高めるための準備(キャンプでの徹底した練習や、調子のいい
選手の選択)を重視しています。

大雑把な分け方ではありますが、野村監督は弱者の戦略、落合監督は強者の
戦略ということになります。

そういえば、川上哲治監督も、森祇晶監督も、強者の戦略を志向しています。

野村監督が名将でありながら、記録として分が悪いのもうなづけます。

■もっとも「采配」という本には、戦術面のことが書かれていません。

基礎的な戦力勝負では、ソフトバンクに太刀打ちできなかったはず。

ということは、落合氏の野球の「基礎的戦略」には、数字に表れない独特の
視点があるのです。

恐らく、今後も監督の声がかかる可能性のある落合氏ですから、そのあたり
の秘密は明かさないのでしょう。

やはり、監督の戦術を明かすこともファンサービスの一環だ、と考える野村
監督とは違いますね。

勝負師としての落合監督の現場復帰を楽しみに待ちましょう。



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