オニツカ錐もみ商法とは(後編)

2005.03.03


(2005年3月3日メルマガより)

■「オニツカタイガー」はその後、世界的ブランドへと成長していきます。
最近、日本でも同ブランドが復活し、若者を中心に支持を得ているようです。

その第1号は、今から50年以上も前に、実際の競技者の声をつぶさに聞きな
がら開発されました。文字通り、鬼塚会長が、顧客に張り付いて開発したも
のです。

だから、出来上がったシューズは、バスケットボール競技者にとって、とて
も満足度の高いものでした。

■ところが「すばらしい商品」ができたからといって、すぐに売上が立つほ
ど、流通は甘いものではありません。

無名企業が商品を持ち込んでも、大阪の問屋は、ほとんど相手にしてくれな
かったといいます。

このあたり、私も経験があります。新しい問屋や小売店のバイヤーに商品を
持ち込んでも、最初はてんで相手にしてくれません。

そりゃそうですよね。生産力も配送体制も経営姿勢もわからない企業の商品
を安直に仕入れるわけにはいかないでしょう。

あとで聞くと、バイヤーたちは、取引のある会社(オニツカにとってはライバル企業)
に「この商品どう思う?」と、感想を聞いたりしていたらしいです。

無理もない話です。。

■そこで、鬼塚会長がとった手段。それは、またもや「最終顧客に密着」す
ることでした。

最終顧客とは、バスケットボール競技者のことです。

鬼塚会長は、各県の強豪バスケットボール部を訪ね歩き、「オニツカタイガ
ー」をPRしてまわりました。

また、国体、インターハイ、全国大学選手権などに積極的に出向いて、PR
活動を行い、有力選手には、商品を無償提供していきました。

監督やコーチは、使ってみてよさがわかると、地元の運動具店を斡旋してく
れました。

そうなると運動具店も「オニツカ」を置かないわけにはいきません。すると、
当然、問屋も、鬼塚(株)に注文を出さざるを得ません。

競技者→運動具店→問屋→メーカー、という強力な逆流通をたどったわけで
す。

今でこそ「川下」の重視は常識ですが、作ったら売れる時代に、そんなキツイ
商売をそれを実践してきたのです。
しかも、小売店に止まることなく、最終顧客へ密着したのが非凡です。

■バスケットボールの一流選手が「オニツカタイガー」を履いているとなる
と、口コミで広がるのが、競技者の世界です。

鬼塚会長が標的としたのは、競技者層の上層部です。
つまり、一流選手および一流を目指す選手の層です。

この層を攻略することで、あとは、自然に浸透していきます。
結果として、競技人口の50%のシェアを獲得するに至りました。

■これが「キリモミ商法」です。一つの狭い市場をさらに細分化して、コツ
コツコツコツと攻略を目指す。あえて難しい課題に挑むことで、社内のモチ
ベーションと技術力を高め、40%以上のシェアを獲得するまで、その一点
に集中し続ける。

これが、ランチェスター「弱者の戦略」です。

■その後、鬼塚(株)は、バレーボール、テニス、登山、ハイキング、マラ
ソン、体操、レスリングと、扱い商品を増やしていきます。

もちろん、一気に品揃えを広げたわけではありません。

一つ一つに「キリモミ」で穴を開けていったのです。

鬼塚会長も病気で二度も死地をさまよいながら、懸命の経営を続けた結果で
ありました。

■お気づきかも知れませんが、この「キリモミ商法」は、鬼塚会長のオリジ
ナルです。

実は、後に、田岡信夫先生と出会った鬼塚会長は、ランチェスター戦略の話
を聞いて「自分のやってきたことがランチェスター戦略なんだ」と得心した
ということです。

■後に、(株)オニツカ、(株)ジィティオ、ジェレンク(株)とが、合併
により(株)アシックスになりました。
その頃には、弱者の戦略とともに強者の戦略を使う局面がでてきました。そ
の際に、ランチェスター戦略の教えは、非常に役立ったと仰っていました。

しかし、その話は、また別の機会にしたいと思います。

■今や、アシックスは、世界的な企業です。昨年のアテネオリンピックで、
マラソンの野口みずきが、優勝した際、靴にキスをしたのは有名ですね。
あれは、アシックスの靴でした。

一流のオリンピック選手の困難な要望に応えて、最高の靴を提供し、オンリ
ーワンブランドとなる。

おわかりでしょう、オニツカキリモミ商法の手法は、そのスケールと質を変
えて健在です。

(『アシックス鬼塚喜八郎の「経営指南」』致知出版を参考にさせていただ
きました)



追記:

余談になりますが、ナイキとオニツカタイガーには、少なからぬ因縁があり
ます。ナイキの前進であるブルーリボンは、オニツカタイガーの販売代理店
としてスタートしました。

様々な事情(相当な事情のようです)があって、取引がなくなりましたが、
その後、ナイキが世界最大のスポーツ用品会社になったのは周知の通りです。

鬼塚会長は、ナイキの躍進をみて、「我々は、彼らのマーケティング戦略に
負けたのだ」と発言しています。

「我々は、技術ありき、生産ありき、販売ありきのビジネスをしてきた。し
かし、彼らは、工場に投資する代わりにマーケットに投資している。今後、
我々が飛躍するためには、見習うべきところは見習わないといけない」のだ
と。

恩讐を超えて、この姿勢には、本当に頭が下がります。
私こそ、鬼塚会長の真摯な姿勢を少しでも見習いたいものだと思っています


(2005年3月3日メルマガより)

■「オニツカタイガー」はその後、世界的ブランドへと成長していきます。
最近、日本でも同ブランドが復活し、若者を中心に支持を得ているようです。

その第1号は、今から50年以上も前に、実際の競技者の声をつぶさに聞きな
がら開発されました。文字通り、鬼塚会長が、顧客に張り付いて開発したも
のです。

だから、出来上がったシューズは、バスケットボール競技者にとって、とて
も満足度の高いものでした。

■ところが「すばらしい商品」ができたからといって、すぐに売上が立つほ
ど、流通は甘いものではありません。

無名企業が商品を持ち込んでも、大阪の問屋は、ほとんど相手にしてくれな
かったといいます。

このあたり、私も経験があります。新しい問屋や小売店のバイヤーに商品を
持ち込んでも、最初はてんで相手にしてくれません。

そりゃそうですよね。生産力も配送体制も経営姿勢もわからない企業の商品
を安直に仕入れるわけにはいかないでしょう。

あとで聞くと、バイヤーたちは、取引のある会社(オニツカにとってはライバル企業)
に「この商品どう思う?」と、感想を聞いたりしていたらしいです。

無理もない話です。。

■そこで、鬼塚会長がとった手段。それは、またもや「最終顧客に密着」す
ることでした。

最終顧客とは、バスケットボール競技者のことです。

鬼塚会長は、各県の強豪バスケットボール部を訪ね歩き、「オニツカタイガ
ー」をPRしてまわりました。

また、国体、インターハイ、全国大学選手権などに積極的に出向いて、PR
活動を行い、有力選手には、商品を無償提供していきました。

監督やコーチは、使ってみてよさがわかると、地元の運動具店を斡旋してく
れました。

そうなると運動具店も「オニツカ」を置かないわけにはいきません。すると、
当然、問屋も、鬼塚(株)に注文を出さざるを得ません。

競技者→運動具店→問屋→メーカー、という強力な逆流通をたどったわけで
す。

今でこそ「川下」の重視は常識ですが、作ったら売れる時代に、そんなキツイ
商売をそれを実践してきたのです。
しかも、小売店に止まることなく、最終顧客へ密着したのが非凡です。

■バスケットボールの一流選手が「オニツカタイガー」を履いているとなる
と、口コミで広がるのが、競技者の世界です。

鬼塚会長が標的としたのは、競技者層の上層部です。
つまり、一流選手および一流を目指す選手の層です。

この層を攻略することで、あとは、自然に浸透していきます。
結果として、競技人口の50%のシェアを獲得するに至りました。

■これが「キリモミ商法」です。一つの狭い市場をさらに細分化して、コツ
コツコツコツと攻略を目指す。あえて難しい課題に挑むことで、社内のモチ
ベーションと技術力を高め、40%以上のシェアを獲得するまで、その一点
に集中し続ける。

これが、ランチェスター「弱者の戦略」です。

■その後、鬼塚(株)は、バレーボール、テニス、登山、ハイキング、マラ
ソン、体操、レスリングと、扱い商品を増やしていきます。

もちろん、一気に品揃えを広げたわけではありません。

一つ一つに「キリモミ」で穴を開けていったのです。

鬼塚会長も病気で二度も死地をさまよいながら、懸命の経営を続けた結果で
ありました。

■お気づきかも知れませんが、この「キリモミ商法」は、鬼塚会長のオリジ
ナルです。

実は、後に、田岡信夫先生と出会った鬼塚会長は、ランチェスター戦略の話
を聞いて「自分のやってきたことがランチェスター戦略なんだ」と得心した
ということです。

■後に、(株)オニツカ、(株)ジィティオ、ジェレンク(株)とが、合併
により(株)アシックスになりました。
その頃には、弱者の戦略とともに強者の戦略を使う局面がでてきました。そ
の際に、ランチェスター戦略の教えは、非常に役立ったと仰っていました。

しかし、その話は、また別の機会にしたいと思います。

■今や、アシックスは、世界的な企業です。昨年のアテネオリンピックで、
マラソンの野口みずきが、優勝した際、靴にキスをしたのは有名ですね。
あれは、アシックスの靴でした。

一流のオリンピック選手の困難な要望に応えて、最高の靴を提供し、オンリ
ーワンブランドとなる。

おわかりでしょう、オニツカキリモミ商法の手法は、そのスケールと質を変
えて健在です。

(『アシックス鬼塚喜八郎の「経営指南」』致知出版を参考にさせていただ
きました)



追記:

余談になりますが、ナイキとオニツカタイガーには、少なからぬ因縁があり
ます。ナイキの前進であるブルーリボンは、オニツカタイガーの販売代理店
としてスタートしました。

様々な事情(相当な事情のようです)があって、取引がなくなりましたが、
その後、ナイキが世界最大のスポーツ用品会社になったのは周知の通りです。

鬼塚会長は、ナイキの躍進をみて、「我々は、彼らのマーケティング戦略に
負けたのだ」と発言しています。

「我々は、技術ありき、生産ありき、販売ありきのビジネスをしてきた。し
かし、彼らは、工場に投資する代わりにマーケットに投資している。今後、
我々が飛躍するためには、見習うべきところは見習わないといけない」のだ
と。

恩讐を超えて、この姿勢には、本当に頭が下がります。
私こそ、鬼塚会長の真摯な姿勢を少しでも見習いたいものだと思っています

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