水戸黄門の終焉と大阪都構想

2012.01.12

(2012年1月12日メルマガより)



■昨年の末頃から大阪が熱いですね^^


大阪都構想の件です。

「大阪維新 橋下改革が日本を変える」上山信一著
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4047315311/lanchesterkan-22/ref=nosim

私も大阪府民ですから無関心ではいられません。

昨年の選挙でも、宮古島出張から帰ってその足で投票させていただきました。

■先日、テレビを見ていると、あるコメンテーターが、大阪都構想がらみで
「水戸黄門が終わったのと、地域主権が進んでいくのとは関連がある」とい
う意味のことを発言していました。

面白い視点ですよね。

なぜなら、水戸黄門は、地方の悪代官や悪庄屋を、中央政権からきた前の副
将軍が正していくといういわば究極の中央集権肯定物語です。

地域が主権をもって自立しなければならないという現在の流れとは相容れま
せん。

■そういえば堺屋太一も似たようなことを言っていました。

私がそれを聞いたのは、まだ子供の頃ですから、水戸黄門が圧倒的な共感を
得ていた時代です。

堺屋太一は「日本は典型的な中央集権国家だ」というような文脈でそれを使
っていたような気がします。

確かに、水戸黄門は、国民的というべきほどの人気を誇った時代がありました。

水戸黄門の中で、善人はあくまで善人。誰にも迷惑をかけずにつつましく暮
らしているのに、悪者にいじめられたり搾取されるが、最後には水戸黄門に
助けられて、やっぱり真面目でコツコツが一番となる。

ひたすら誠実な人間像は美しいともいえますが、自分で運命を切り開く強さ
も戦略眼もない愚かな人間だともいえます。

さすがに、この価値観は、為政者に都合が良すぎるだろーーと、子供心に感

じていたのを思い出します。

私が特にひねくれていのでしょうか。むしろ、大勢の子供がそう思っていた
んじゃないかと思うのですが。。。

■あるいはこれは大阪人に特有の感覚なのかも知れない。

「大阪維新」という本にも書いてありますが、大阪はもともと反中央政権の
姿勢を持っています。

それは歴史的に、東京(江戸)にいいところを持っていかれたーーという恨
みがあるからなのでしょう。

そういう意味では、日本の中でも、中央集権的ではない考えを持った人たち
が多かった大阪に、地域主権回復運動が起こるのは、歴史の必然なのかも知
れません。

■大阪維新とは、明治期の廃藩置県で剥奪された地域の権利を、もう一度復
活させるための運動です。

水戸黄門は中央集権的ですが、江戸時代の日本は今ほど中央集権的ではあり
ませんでした。

というより、厳然とした自治権を持つ各藩の集合体でした。

明治4年の廃藩置県は、その各藩の自治権を中央政府が剥奪しました。

司馬遼太郎は、明治期最大の革命は、廃藩置県であったと書いていますが、
あっさりとそれがなされたのは、当時の日本全体が持っていた外国に侵略さ
れるかも知れないという危機感だったと思われます。

目先の利益を捨ててでも、中央に権力を集中させて、近代国家たらねばなら
ないという当時の既得権者の決意の賜物です。

ところが日本における中央集権はその役割を終えたのではないか。

1つには、縮小していく日本では、現存する企業の多くが生き残れない。グ
ローバル化市場に進出しなければならない。しかし多様で動きの激しいグロ
ーバル市場に国家一律の政策で臨むのは動きが鈍くなる。だから地域単位で
柔軟な施策をとるべきだ。

1つには、もはや税収は潤沢ではなく、成長期のような住民サービスは望め
ない。だから地域単位で、住民の実態に則した効率的な行政運営をしなけれ
ばならない。

これが大阪維新の前提となる考えのようです。

■要するに、自分のことは自分で決める。地域のことは地域で決める。とい
う至極シンプルでまっとうな考え方です。

私はこの基本的な前提に納得しますので、その一里塚である大阪都構想にも
賛同しています。

基本線で賛同した以上は、細かな部分で異議があったとしても、前向きに、
建設的に考えていきたいと思っています。

そうじゃないと話が進みませんからね。

■それはともかく、このメルマガでは、ビジネスに関することを書いていき
ます。

上に紹介した「大阪維新」という本には、現在の日本が抱えた問題が、非常
に分りやすく端的に書かれています。

日本が成長する過程で機能した中央集権の仕組みは、日本市場の成熟化とと
もにその役割を終えたのではないかと上にも書きました。

ところが、これまでの制度に慣れ親しんだ我々は、容易に考え方を変えるこ
とができません。

端的にいうと、重要なことはお上が決めるものだ、という考え方です。

例えば、中小零細企業に根強い「政治が悪い」「景気が悪い」という責任の
転嫁。

これは、権限を国に預ける代わりに、高度成長を享受できた時代のメンタリ
ティを引きずっています。

この10年ほどで、さすがにそういう能天気な企業は少なくなりましたが、
未だに目立つのは、「インターネットならもっと売れる」「○×方式なら売
上回復する」「小沢一郎が首相なら日本も変わる」という「宝箱待望論」です。

要するに、権限と責任をお上からその他のものに押しつけ変えただけの他人
頼みのメンタリティです。

「橋下市長ならバラ色の大阪にしてくれる!」という無責任なムードもその
一つ。

あくまで重要なことは自分で行動し、自分で責任を持つという意識を持たな
いと、為政者はおろか、自分の人生からも裏切られます。

■などと私が偉そうなことを言えた柄ではありません。

私なぞ会社員時代は、上司が理解してくれない、先輩が分ってくれないなど
と自分ではコントロール不能なことにイライラして、ずいぶん時間を無駄に
しました。

独立してからは約束を反故にされたり、いいように利用されたりして怒り、
騙される方にも問題があるんじゃないのと嗤う会社員の知人の言葉にやる気
を失ったりしました。

これは全部、私の考え違いでした。

なぜなら、理解されなかったり、約束を破られたり、騙されたり、嗤われた
り、それはすべて他人による行動であり、私がコントロールできるものでは
ありません。

私がコントロールできるのは、そういう人たちとどのように接するかであり、
彼らの行為に対してどう反応するかです。

だからイライラしたり怒ったり絶望したり、全く非建設的で無駄な行動だっ
たと思います。

やはり人は自分で考えて行動すべきであり、その行動の結果については、ど
んな結果であり責任を持つべきです。

■まあ私は間抜けですから、いい年になるまでそういうことに気づかなかっ
たのですな^^;

世間の人は、大抵、そういう原理に気づいているんでしょうね。

私がお付き合いする企業でも、規模が大きくなればなるほど、そういう能天
気な人は少なくなり、責任をとるのは自分しかいない、という意識が明瞭に
なります。

ただ、次に厄介なのが、その責任の範囲が狭いことです。

極端にいうと、自分だけは守る、自分の家族までは守る、自分の部署だけは
守る、という責任の持ち方です。

自分だけは損をしないぞというのは、誠に合理的な考えではあるものの、全
体からみれば、甚だ利己的です。

組織全体としては、ある一定の方向へ行くべきであると皆が分っているのに、
実際には行動しない。先に動くと損をするからです。まるで「囚人のジレン
マ」そのままです。

会議で発言を求められるととうとうと高説を述べるのに、具体的な行動をど
うするかというところでは、腕組みをして黙ってしまう。あるいは、自分が
何もしないでいいように誘導する。

いわゆる総論賛成、各論反対というやつです。

自分が損をしないなら賛成!自分は何もしないけど賛成!非常に明確ですね。

■大げさに聞こえるかも知れませんが、私は、これこそが資本主義が行き詰
ってしまった理由であると考えます。

経済全体が成長している時は、皆が自分の利益追求に躍起になっても、公に
迷惑をそれほどかけなかった。

しかし、経済が縮小した結果、個人の利益最適化が、公共の利益追求と乖離
してしまった。

世界の先進国でそれが起こっています。

例えば地球温暖化に絡むCO2削減問題を考えてみてください。(科学的な
論拠に疑念があるそうですが、それはともかく...)

このままでは経済社会は立ち行かなくなると皆が分っているのに、だからと
いって、自分だけが多大なコストをかけて対策をとれば、ライバルに負けて
しまう。

先に手を上げた方が損をして、最後まで何もしない者がぬくぬくと利益を享
受する図式です。

法律で取り締まられるならともかく、なんで自分だけが率先して損をしなけ
ればならないのだ。そう主張する人を、今の資本主義社会では、特段利己主
義者だと断罪できることはできません。

■深刻なのは世代間格差です。

高齢者は既得権を手放さない。だから若者に利益が回らない。よく指摘され
る問題です。

今の若者にはやる気が見られない。ニートに甘んじて平気でいるのはおかし
い。などと言われますが、雇用の機会を奪っているのは、親世代です。

だからといって、セーフティネットが整備されていない状況で、わしは引退
する、若者に任せる!と素直に行動するお人よしはいないでしょう。

常識とか道徳とか倫理とかで片付けられる問題でないことは確かです。

■アメリカ型の資本主義は、個人格差を生みました。アメリカの富裕層は、
人道主義や博愛主義を掲げて、大掛かりな寄付や社会貢献活動などを行いガ
ス抜きしてきましたが、それでも追いつかなくなったようです。

日本の場合は、それほど個人格差が大きいわけではありません。資本主義と
いいながら、富の再分配に注力してきた官僚機構の運営がうまくいっていた
からです。

ただ、その分、再分配をする役割の者(政治家、公務員)が、マージンをと
りすぎるという問題がここにきてクローズアップされました。これもやはり、
税収がふんだんにあった頃には見えなかったものです。

いずれも精神論で解決するはずはなく、社会の仕組みを変化させなければな
らない問題です。

■話をミクロな企業組織の問題に戻すと、大企業のような大きな組織になれ
ばなるほど、狭い範囲での利益追求(セクショナリズム)に力を入れる人た
ちが目立つようになります。

中小企業やベンチャーなど小さな組織の場合、それほど目立たないのは、や
はり組織の目的と個人の目的が一致しやすいからです。

企業の目的とは、顧客に満足してもらいファンになってもらい収益を上げ続
けることです。

小さな企業の場合、全社員が顧客と接触しなければなりませんから、顧客か
ら代金を貰わないと自分の給料は支払われないという基本を忘れることは難
しいでしょう。

ところが仕組みの出来上がった大企業は、顧客からもらったお金が自分の給
料になるという道筋が見えにくい。だから、今の地位や職場の仲間たちを守
ることに力を入れることが、個人にとって自然な行動となります。

そんな分りやすいことがあるんか?と疑問に思われるかもしれませんが、本
当にあります。複数の企業を同時に見ていると、その温度差がよく分かります。

■顧客志向を失った組織を再生することは大変です。顧客不在のまま地位を
固めてしまったヌエのような社員がいっぱいいますので。

彼らが好きな言葉は「ソフトランディング」です。何とかしなければならん。
だけど、急ぎすぎると混乱するから徐々にやっていこう。

翻訳すると「わしが引退するまで、何もせんといてくれよ」という意味です。

百歩譲っても「うちの部署には問題はない。他の部署が何とかすべき」と主
張して憚りません。

それが部署内では、仲間を守るリーダーとして尊敬されるのですから、一筋
縄ではいきません。

■こういう組織は、意識を変える、という優しい改革では追いつきません。

部署を解体するなり、階層を減らすなり、仕組みを変えなければ、動きませ
んし、意識は変わりません。

そのためには、トップマネジメントが「顧客中心の組織に変える」と宣言し
て、抵抗勢力を跳ね返しつつ、強い決意で断行することです。

その援護射撃のもと、専門のコンサルタントが、組織の仕組みの変革を順を
追ってやっていく。

これしか浮かびませんね。

トップが社内調整にばかり時間をかけて、日和見するような姿勢を見せれば、
外部のコンサルタントがどれだけ必死になっても、絶対に進みません。

■そういう意味では、橋下市長の強権的ともいえる姿勢は、危うさを感じる
としても、必要なエネルギーの賜物だと理解します。

企業の現場を見ていると、あれぐらい強引な社長でないと、社員は本気で動
きません。

水戸黄門の世界なら、中央からやってきた正義の人が、悪代官(大阪市長)
を懲らしめるのでしょうが、本当は現場を知らない中央の者なんて、役に立
ちません。

常に組織は現場を中心に組み立てなければならない。すなわち、現場の人間
が中心になって改革すべきです。

動き始めると早いですよ。

はっきりと既得権益を持っている人は最後まで抵抗するでしょうが、大半の
人は意識的に変わるのが嫌だなと思っているだけですから、動くことが普通
になれば問題なく協力者になります。

真面目にコツコツ生きることは尊いことですが、それだけでは危機に臨めな
い。自ら判断できる戦略眼をもって、最初の一歩にエネルギーを注ぎましょう。

それが、自分の人生に、自分で責任を持つための姿勢です。



(2012年1月12日メルマガより)



■昨年の末頃から大阪が熱いですね^^


大阪都構想の件です。

「大阪維新 橋下改革が日本を変える」上山信一著
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4047315311/lanchesterkan-22/ref=nosim

私も大阪府民ですから無関心ではいられません。

昨年の選挙でも、宮古島出張から帰ってその足で投票させていただきました。

■先日、テレビを見ていると、あるコメンテーターが、大阪都構想がらみで
「水戸黄門が終わったのと、地域主権が進んでいくのとは関連がある」とい
う意味のことを発言していました。

面白い視点ですよね。

なぜなら、水戸黄門は、地方の悪代官や悪庄屋を、中央政権からきた前の副
将軍が正していくといういわば究極の中央集権肯定物語です。

地域が主権をもって自立しなければならないという現在の流れとは相容れま
せん。

■そういえば堺屋太一も似たようなことを言っていました。

私がそれを聞いたのは、まだ子供の頃ですから、水戸黄門が圧倒的な共感を
得ていた時代です。

堺屋太一は「日本は典型的な中央集権国家だ」というような文脈でそれを使
っていたような気がします。

確かに、水戸黄門は、国民的というべきほどの人気を誇った時代がありました。

水戸黄門の中で、善人はあくまで善人。誰にも迷惑をかけずにつつましく暮
らしているのに、悪者にいじめられたり搾取されるが、最後には水戸黄門に
助けられて、やっぱり真面目でコツコツが一番となる。

ひたすら誠実な人間像は美しいともいえますが、自分で運命を切り開く強さ
も戦略眼もない愚かな人間だともいえます。

さすがに、この価値観は、為政者に都合が良すぎるだろーーと、子供心に感

じていたのを思い出します。

私が特にひねくれていのでしょうか。むしろ、大勢の子供がそう思っていた
んじゃないかと思うのですが。。。

■あるいはこれは大阪人に特有の感覚なのかも知れない。

「大阪維新」という本にも書いてありますが、大阪はもともと反中央政権の
姿勢を持っています。

それは歴史的に、東京(江戸)にいいところを持っていかれたーーという恨
みがあるからなのでしょう。

そういう意味では、日本の中でも、中央集権的ではない考えを持った人たち
が多かった大阪に、地域主権回復運動が起こるのは、歴史の必然なのかも知
れません。

■大阪維新とは、明治期の廃藩置県で剥奪された地域の権利を、もう一度復
活させるための運動です。

水戸黄門は中央集権的ですが、江戸時代の日本は今ほど中央集権的ではあり
ませんでした。

というより、厳然とした自治権を持つ各藩の集合体でした。

明治4年の廃藩置県は、その各藩の自治権を中央政府が剥奪しました。

司馬遼太郎は、明治期最大の革命は、廃藩置県であったと書いていますが、
あっさりとそれがなされたのは、当時の日本全体が持っていた外国に侵略さ
れるかも知れないという危機感だったと思われます。

目先の利益を捨ててでも、中央に権力を集中させて、近代国家たらねばなら
ないという当時の既得権者の決意の賜物です。

ところが日本における中央集権はその役割を終えたのではないか。

1つには、縮小していく日本では、現存する企業の多くが生き残れない。グ
ローバル化市場に進出しなければならない。しかし多様で動きの激しいグロ
ーバル市場に国家一律の政策で臨むのは動きが鈍くなる。だから地域単位で
柔軟な施策をとるべきだ。

1つには、もはや税収は潤沢ではなく、成長期のような住民サービスは望め
ない。だから地域単位で、住民の実態に則した効率的な行政運営をしなけれ
ばならない。

これが大阪維新の前提となる考えのようです。

■要するに、自分のことは自分で決める。地域のことは地域で決める。とい
う至極シンプルでまっとうな考え方です。

私はこの基本的な前提に納得しますので、その一里塚である大阪都構想にも
賛同しています。

基本線で賛同した以上は、細かな部分で異議があったとしても、前向きに、
建設的に考えていきたいと思っています。

そうじゃないと話が進みませんからね。

■それはともかく、このメルマガでは、ビジネスに関することを書いていき
ます。

上に紹介した「大阪維新」という本には、現在の日本が抱えた問題が、非常
に分りやすく端的に書かれています。

日本が成長する過程で機能した中央集権の仕組みは、日本市場の成熟化とと
もにその役割を終えたのではないかと上にも書きました。

ところが、これまでの制度に慣れ親しんだ我々は、容易に考え方を変えるこ
とができません。

端的にいうと、重要なことはお上が決めるものだ、という考え方です。

例えば、中小零細企業に根強い「政治が悪い」「景気が悪い」という責任の
転嫁。

これは、権限を国に預ける代わりに、高度成長を享受できた時代のメンタリ
ティを引きずっています。

この10年ほどで、さすがにそういう能天気な企業は少なくなりましたが、
未だに目立つのは、「インターネットならもっと売れる」「○×方式なら売
上回復する」「小沢一郎が首相なら日本も変わる」という「宝箱待望論」です。

要するに、権限と責任をお上からその他のものに押しつけ変えただけの他人
頼みのメンタリティです。

「橋下市長ならバラ色の大阪にしてくれる!」という無責任なムードもその
一つ。

あくまで重要なことは自分で行動し、自分で責任を持つという意識を持たな
いと、為政者はおろか、自分の人生からも裏切られます。

■などと私が偉そうなことを言えた柄ではありません。

私なぞ会社員時代は、上司が理解してくれない、先輩が分ってくれないなど
と自分ではコントロール不能なことにイライラして、ずいぶん時間を無駄に
しました。

独立してからは約束を反故にされたり、いいように利用されたりして怒り、
騙される方にも問題があるんじゃないのと嗤う会社員の知人の言葉にやる気
を失ったりしました。

これは全部、私の考え違いでした。

なぜなら、理解されなかったり、約束を破られたり、騙されたり、嗤われた
り、それはすべて他人による行動であり、私がコントロールできるものでは
ありません。

私がコントロールできるのは、そういう人たちとどのように接するかであり、
彼らの行為に対してどう反応するかです。

だからイライラしたり怒ったり絶望したり、全く非建設的で無駄な行動だっ
たと思います。

やはり人は自分で考えて行動すべきであり、その行動の結果については、ど
んな結果であり責任を持つべきです。

■まあ私は間抜けですから、いい年になるまでそういうことに気づかなかっ
たのですな^^;

世間の人は、大抵、そういう原理に気づいているんでしょうね。

私がお付き合いする企業でも、規模が大きくなればなるほど、そういう能天
気な人は少なくなり、責任をとるのは自分しかいない、という意識が明瞭に
なります。

ただ、次に厄介なのが、その責任の範囲が狭いことです。

極端にいうと、自分だけは守る、自分の家族までは守る、自分の部署だけは
守る、という責任の持ち方です。

自分だけは損をしないぞというのは、誠に合理的な考えではあるものの、全
体からみれば、甚だ利己的です。

組織全体としては、ある一定の方向へ行くべきであると皆が分っているのに、
実際には行動しない。先に動くと損をするからです。まるで「囚人のジレン
マ」そのままです。

会議で発言を求められるととうとうと高説を述べるのに、具体的な行動をど
うするかというところでは、腕組みをして黙ってしまう。あるいは、自分が
何もしないでいいように誘導する。

いわゆる総論賛成、各論反対というやつです。

自分が損をしないなら賛成!自分は何もしないけど賛成!非常に明確ですね。

■大げさに聞こえるかも知れませんが、私は、これこそが資本主義が行き詰
ってしまった理由であると考えます。

経済全体が成長している時は、皆が自分の利益追求に躍起になっても、公に
迷惑をそれほどかけなかった。

しかし、経済が縮小した結果、個人の利益最適化が、公共の利益追求と乖離
してしまった。

世界の先進国でそれが起こっています。

例えば地球温暖化に絡むCO2削減問題を考えてみてください。(科学的な
論拠に疑念があるそうですが、それはともかく...)

このままでは経済社会は立ち行かなくなると皆が分っているのに、だからと
いって、自分だけが多大なコストをかけて対策をとれば、ライバルに負けて
しまう。

先に手を上げた方が損をして、最後まで何もしない者がぬくぬくと利益を享
受する図式です。

法律で取り締まられるならともかく、なんで自分だけが率先して損をしなけ
ればならないのだ。そう主張する人を、今の資本主義社会では、特段利己主
義者だと断罪できることはできません。

■深刻なのは世代間格差です。

高齢者は既得権を手放さない。だから若者に利益が回らない。よく指摘され
る問題です。

今の若者にはやる気が見られない。ニートに甘んじて平気でいるのはおかし
い。などと言われますが、雇用の機会を奪っているのは、親世代です。

だからといって、セーフティネットが整備されていない状況で、わしは引退
する、若者に任せる!と素直に行動するお人よしはいないでしょう。

常識とか道徳とか倫理とかで片付けられる問題でないことは確かです。

■アメリカ型の資本主義は、個人格差を生みました。アメリカの富裕層は、
人道主義や博愛主義を掲げて、大掛かりな寄付や社会貢献活動などを行いガ
ス抜きしてきましたが、それでも追いつかなくなったようです。

日本の場合は、それほど個人格差が大きいわけではありません。資本主義と
いいながら、富の再分配に注力してきた官僚機構の運営がうまくいっていた
からです。

ただ、その分、再分配をする役割の者(政治家、公務員)が、マージンをと
りすぎるという問題がここにきてクローズアップされました。これもやはり、
税収がふんだんにあった頃には見えなかったものです。

いずれも精神論で解決するはずはなく、社会の仕組みを変化させなければな
らない問題です。

■話をミクロな企業組織の問題に戻すと、大企業のような大きな組織になれ
ばなるほど、狭い範囲での利益追求(セクショナリズム)に力を入れる人た
ちが目立つようになります。

中小企業やベンチャーなど小さな組織の場合、それほど目立たないのは、や
はり組織の目的と個人の目的が一致しやすいからです。

企業の目的とは、顧客に満足してもらいファンになってもらい収益を上げ続
けることです。

小さな企業の場合、全社員が顧客と接触しなければなりませんから、顧客か
ら代金を貰わないと自分の給料は支払われないという基本を忘れることは難
しいでしょう。

ところが仕組みの出来上がった大企業は、顧客からもらったお金が自分の給
料になるという道筋が見えにくい。だから、今の地位や職場の仲間たちを守
ることに力を入れることが、個人にとって自然な行動となります。

そんな分りやすいことがあるんか?と疑問に思われるかもしれませんが、本
当にあります。複数の企業を同時に見ていると、その温度差がよく分かります。

■顧客志向を失った組織を再生することは大変です。顧客不在のまま地位を
固めてしまったヌエのような社員がいっぱいいますので。

彼らが好きな言葉は「ソフトランディング」です。何とかしなければならん。
だけど、急ぎすぎると混乱するから徐々にやっていこう。

翻訳すると「わしが引退するまで、何もせんといてくれよ」という意味です。

百歩譲っても「うちの部署には問題はない。他の部署が何とかすべき」と主
張して憚りません。

それが部署内では、仲間を守るリーダーとして尊敬されるのですから、一筋
縄ではいきません。

■こういう組織は、意識を変える、という優しい改革では追いつきません。

部署を解体するなり、階層を減らすなり、仕組みを変えなければ、動きませ
んし、意識は変わりません。

そのためには、トップマネジメントが「顧客中心の組織に変える」と宣言し
て、抵抗勢力を跳ね返しつつ、強い決意で断行することです。

その援護射撃のもと、専門のコンサルタントが、組織の仕組みの変革を順を
追ってやっていく。

これしか浮かびませんね。

トップが社内調整にばかり時間をかけて、日和見するような姿勢を見せれば、
外部のコンサルタントがどれだけ必死になっても、絶対に進みません。

■そういう意味では、橋下市長の強権的ともいえる姿勢は、危うさを感じる
としても、必要なエネルギーの賜物だと理解します。

企業の現場を見ていると、あれぐらい強引な社長でないと、社員は本気で動
きません。

水戸黄門の世界なら、中央からやってきた正義の人が、悪代官(大阪市長)
を懲らしめるのでしょうが、本当は現場を知らない中央の者なんて、役に立
ちません。

常に組織は現場を中心に組み立てなければならない。すなわち、現場の人間
が中心になって改革すべきです。

動き始めると早いですよ。

はっきりと既得権益を持っている人は最後まで抵抗するでしょうが、大半の
人は意識的に変わるのが嫌だなと思っているだけですから、動くことが普通
になれば問題なく協力者になります。

真面目にコツコツ生きることは尊いことですが、それだけでは危機に臨めな
い。自ら判断できる戦略眼をもって、最初の一歩にエネルギーを注ぎましょう。

それが、自分の人生に、自分で責任を持つための姿勢です。



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