消えかけた町が復活した理由

2024.07.02

消滅可能性自治体の島


先月の「戦略勉強会」で、隠岐・海士町(あまちょう)の事例をとりあげました。

※次回の戦略勉強会は7月24日(水)です。

島根県の境港から連絡船で4時間の場所に位置する離れ島。かつては後鳥羽上皇の配流地となったこともあるところです。

消滅可能性自治体だと目されていたこの島が、今、消滅の危機から脱しつつあり、地域振興の象徴のようになっています。

いったいこの小さな島に何があったのでしょうか?


町長の身を切る改革


海士町が最も落ち込んでいたのが2000年頃。最大7000名いた島民が2000名ほどに減少していました。

世帯数は約1000。出生数は毎年10名程度で、少子高齢化を絵にかいたような島です。想像するに、日本全国にこのような田舎は、いっぱいあるように思えます。

きっかけは、2002年に改革派の山内道雄町長が誕生したことだったようです。

この方、海士町の生き残りをかけた「自立促進プラン」を策定、その端緒として、自身を含む町役場の人件費を大幅にカットしました。

町の三役の賃金をカットするのは当然として、職員たちも自ら賃金カットを申し出たというから、島全体の危機意識は相当のものだったのでしょう。

役場職員の本気度をみたのか、町民からも各種手当を返却する動きがあったといいます。

こうして捻出した費用を地場産業の振興や子育て支援に回していきました。


よそものの視点をとりいれる


海士町が産業振興に取り組む上で特徴的なのは、町民以外のよそものの目をとりいれたことです。

「町民は、島にある隠れた資源に気付きにくい。よそものなら発見してくれる」といって、「商品開発研修生」なる制度を発足。

これは、半年ほどの短期滞在で、給与をもらい加工や販売の業務を担当しながら、島の「宝探し」をするというものです。

転職サイトなどでこの制度を知った全国の人たちが、この制度を利用して島に滞在し、それぞれの目線から島の魅力を発掘していったようです。

当然ながら様々なバックボーンを持つ人たちが集まりますから、多様な目線で見ることになります。

生まれたのが、「さざえカレー」「隠岐牛ステーキ」「干しナマコ」「瞬間冷凍いか」など。

これらを全国で販売。「干しナマコ」などは高級食材として中国に販売しているようですが、これも流通に詳しい研修生がいたからこそです。


元からいる住民との軋轢は?


産業が立ち上がると同時に、研修生の中から島に移住する人たちが増えてきたといいます。

特に移住者のための補助制度はもうけていないということですが、今や、町民の2割が移住者だというから、大したものです。

海士町は、今後、人口がV字回復していく予測を立てています。

ただ、もとからいる町民は、移住者のことをどう思っているのでしょうか。

日本全体で考えても、移住者や移民者を敵視する人たちがいます。よそものは犯罪をするものだと決めつけて、排他的であることを正当化しようとする人までいます。

元の島民と移住者の間に、トラブルや軋轢はないのか。この部分に関しての記事は探しても見つからなかったので、実際のところを知りたいものです。


そうはいいつつも、勉強会内でも、一度、海士町に訪問してみたいという声が上がるほど、すばらしい事例でした。


消滅可能性自治体の島


先月の「戦略勉強会」で、隠岐・海士町(あまちょう)の事例をとりあげました。

※次回の戦略勉強会は7月24日(水)です。

島根県の境港から連絡船で4時間の場所に位置する離れ島。かつては後鳥羽上皇の配流地となったこともあるところです。

消滅可能性自治体だと目されていたこの島が、今、消滅の危機から脱しつつあり、地域振興の象徴のようになっています。

いったいこの小さな島に何があったのでしょうか?


町長の身を切る改革


海士町が最も落ち込んでいたのが2000年頃。最大7000名いた島民が2000名ほどに減少していました。

世帯数は約1000。出生数は毎年10名程度で、少子高齢化を絵にかいたような島です。想像するに、日本全国にこのような田舎は、いっぱいあるように思えます。

きっかけは、2002年に改革派の山内道雄町長が誕生したことだったようです。

この方、海士町の生き残りをかけた「自立促進プラン」を策定、その端緒として、自身を含む町役場の人件費を大幅にカットしました。

町の三役の賃金をカットするのは当然として、職員たちも自ら賃金カットを申し出たというから、島全体の危機意識は相当のものだったのでしょう。

役場職員の本気度をみたのか、町民からも各種手当を返却する動きがあったといいます。

こうして捻出した費用を地場産業の振興や子育て支援に回していきました。


よそものの視点をとりいれる


海士町が産業振興に取り組む上で特徴的なのは、町民以外のよそものの目をとりいれたことです。

「町民は、島にある隠れた資源に気付きにくい。よそものなら発見してくれる」といって、「商品開発研修生」なる制度を発足。

これは、半年ほどの短期滞在で、給与をもらい加工や販売の業務を担当しながら、島の「宝探し」をするというものです。

転職サイトなどでこの制度を知った全国の人たちが、この制度を利用して島に滞在し、それぞれの目線から島の魅力を発掘していったようです。

当然ながら様々なバックボーンを持つ人たちが集まりますから、多様な目線で見ることになります。

生まれたのが、「さざえカレー」「隠岐牛ステーキ」「干しナマコ」「瞬間冷凍いか」など。

これらを全国で販売。「干しナマコ」などは高級食材として中国に販売しているようですが、これも流通に詳しい研修生がいたからこそです。


元からいる住民との軋轢は?


産業が立ち上がると同時に、研修生の中から島に移住する人たちが増えてきたといいます。

特に移住者のための補助制度はもうけていないということですが、今や、町民の2割が移住者だというから、大したものです。

海士町は、今後、人口がV字回復していく予測を立てています。

ただ、もとからいる町民は、移住者のことをどう思っているのでしょうか。

日本全体で考えても、移住者や移民者を敵視する人たちがいます。よそものは犯罪をするものだと決めつけて、排他的であることを正当化しようとする人までいます。

元の島民と移住者の間に、トラブルや軋轢はないのか。この部分に関しての記事は探しても見つからなかったので、実際のところを知りたいものです。


そうはいいつつも、勉強会内でも、一度、海士町に訪問してみたいという声が上がるほど、すばらしい事例でした。


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代表者・駒井俊雄が発行するメルマガ「営業は売り子じゃない!」
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